第71話 睡眠マスターと姉御の来訪
風邪をひくのは久しぶりだった。高校生になってからは初めてだろう。
昔から不良としていがみ合ったり殴り合ったりを繰り返しているうちに体が強くなったのか、体調を崩す事自体少なくなっていたのだ。
「そんでこのザマたあ笑えねえな」
ベッドに寝て天井を見ながら、
「食欲もわかねえ、眠気もこねえ。暇だな……」
いくら不良だからって、何日も体がだるいまま過ごしたくはない。なので今日一日は部屋で安静にしていて、かなり暇を持て余しているのだ。
喧嘩で50人をひとりで相手する際のシミュレーションは済ませたし、刃物使いと素手で戦う方法も15通りほど考えた。体を動かす事が出来ない分、いつ使うかも分からない物騒な想像力を働かせてどうにか暇に潰されないよう頑張っている無王。
ジッと寝ているのもそろそろ限界かと思われたその時。
不意にインターホンが鳴り響いた。
「……あ?誰だ?」
ちらりと横目で時計を確認すると、今はちょうど午後4時を過ぎた辺り。父親が帰って来るにはまだ早い時刻だ。
「親父、何か買ったのか?」
通販か何かだろうと適当に考えた無王は、リビングに備え付けられているモニター画面をのぞき込む。インターホンに付属しているカメラの前に立っているのは、1人の高校生だった。
「なんだ
無王と繋がりのある数少ない『不良ではない人』の
今日は学校自体休んでいた無王は、当然空とも会っていない。それでわざわざ来てくれたのだろうか。
「げっ、
無王は、空の後ろにもう一人立っている事に気づいた。無王のいる2年1組学級委員長の
刹華からいつもなにかとお𠮟りを受ける無王としてはあまり出たくなかったが、今は空もいる事だし仕方なくドアを開ける事にした。特に滞納している提出物も無いし、今日は怒られる事は無いだろう。
「……あ、無王先輩。もしかして寝てたりしてました……?」
ドアの前に立っていた空は、開口一番そう尋ねてきた。そんなに寝起きのような顔をしていただろうかと首をかしげた無王だが、すぐに自分が寝間着のままだと気づいた。今日は朝から着替えていなかったのだ。
「いや、今は大丈夫だぜ。午前中に寝過ぎてむしろ今夜眠れねえだろうな」
「駄目ですよ夜はちゃんと寝てください。睡眠時間のサイクルがズレるとすぐにぶり返しますし、日々の体調にだって悪影響ですから。生活リズムは睡眠で決まるんですよ。人間の体は睡眠が支配しているんですから」
「お、おう……」
まくしたてるような空の睡眠講座に引き気味に声を返す無王。四六時中眠たそうにして隙あらば寝てそうな空だが、彼も夜はしっかり寝ているらしい。もはや睡眠を極めたかのような彼が言うとやはり説得力が違う。
「それとこれ、見舞いの品です。完全に治ったら食べてください」
「おお、わざわざワリィな。……確かにこれは治ってから食うわ」
空から受け取ったコンビニのビニール袋を覗くと、『元気が出る!味の濃い焼肉パン!』と書かれた食品が入っていた。焼きそばパンの要領でコッペパンに牛肉やらバジルやらを挟んだものらしい。確かに食欲はそそられるが風邪をひいた患者が食べるにしては消化に恐ろしく悪いだろう。
元気が出るパンと聞いて買った空だったが、でかでかと『味の濃い』と書かれているのを見て、ミスチョイスだと気づいた時にはすでに購入後だった。確かに落ち込んだ気分の時なんかは肉料理を食べると元気が出るが、体調不良が治るという意味での『元気が出る』とはちょっと違うのだ。
「……で、お前もいるんだったな。何か用か?」
無王は焼肉パンに注がれていた視線を、空の後ろにいる刹華に向ける。
「お前には家の場所教えて無かったはずなんだけどな。知られると家にまで提出物取りに来そうだし」
「殿炉異君に案内してもらったのよ、あなたにプリントを渡しにね。そしてあんまり滞納するんなら本気で家まで取りに来るから覚悟なさい」
わざわざクリアファイルに入れたプリントをビシッと突き付けるように渡す刹華。無王はそれを受け取りながら、
「あんまし後輩を脅すなよ?一応言っとくが空はうちの連中と違って善良な生徒だかんな」
「脅してなんかないわよ!私を何だと思ってるのよまったく」
「冗談だっつーの。プリントサンキューな姉御」
「姉御言うな!!」
やいのやいのと軽口を叩き合う無王と刹華。あの無王が風邪ををひいたと聞いて、近所でツチノコが発見されたとニュースで流れた時より数倍驚いた空だったが、見た限りだとすっかりいつも通りのようで何よりだ。
彼はそう思いながら、良くも悪くも遠慮のない2人の先輩達のやり取りを、一歩下がった所で静かに見守っているのだった。
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