第44話 暗黒の自由研究

 理恵りえ博士が真季那まきな専用に作ってくれた研究室で、彼女は苦悩していた。

 その原因は、目の前に置かれているちょっとした花瓶ぐらいの大きさの特殊真空瓶。厳密には、それの『中身』である。


『オイ!いい加減私を元の場所に帰しやがれ!聞いてんのかこの!」


 ヘリウムガスを吸い込んだ人のような高音の声で真季那に罵倒を浴びせる『ソレ』は、真っ黒いモヤモヤが霧のように動いているように見える。

 煙を一か所に集めただけのようなこの存在は、真季那が自由研究のために宇宙から取って来た『暗黒物質ダークマター』だった。


 真空では音が伝わらないはずなのに、『暗黒物質ダークマター』の声は真季那の聴覚センサにしっかりと響いている。それ以前に、明確な意思を持って言葉を発している事自体おかしな話なのだが。


「そもそも暗黒物質ダークマターは目に見えないという話だったけれど、ちゃんと見えているのよね……。機械の私だけじゃなく、人間である博士の肉眼でも。やはり宇宙の謎は深いわね」

『あたりまえだ。お前ら人間がひも解けるほど、宇宙の神秘は甘くねぇんだよ。分かったらさっさと宇宙に帰せってんだ!』

「私は人間じゃないけれど」

『うるせえよ!』


 真季那の独り言にも律儀に返してくれるものの言葉は汚い『暗黒物質ダークマター』は、瓶の中でガチャガチャと暴れ出した。

 だが、テーブルに固定されている特殊真空瓶はびくともしない。


「せっかくこの星に来たのだから、少しゆっくりしてはどうかしら。何なら近所を案内してあげるわよ」

『何がせっかく来ただ!勝手に拉致ったのはお前だろうが!』


 この『暗黒物質ダークマター』はなかなか真季那に気を許してくれないみたいだ。

 自由研究の宿題は、最低でもA4レポート用紙4枚は書かなければならない。なのでなるべく早めに取りかかりたいのだが、この調子だと質問しても何も答えてくれなさそうだ。


「せめて『意思の疎通は出来ない事も無い』とは書けそうだけれど、それだけじゃ全然足りないわね……」


 せめてどういう生活をしているのか程度は聞きだしたい真季那。だが、宇宙の神秘ちゃんは教えてくれそうにない。代わりに返って来るのは高音のせいで若干可愛くなっている罵倒だけだ。


『オイ人間、じゃないんだったか……そこのロボ』

「何かしら」


 初めて向こうから話しかけてきた事に少し嬉しくなる真季那。


『腹が減った。何か食わせろ』

「あなた食事するの?一体何を食べるのかしら」

『惑星のエネルギー。まあ簡単に言やあ、空気とかだな』

「あら、そんなものでいいの?」


 真季那は特殊真空瓶と無数のコードで繋がっているコンピューターを操作して、瓶に空気を取り込むための穴を開けた。初めからそういう作りになっている瓶の表面に、ポツポツと小さな穴がたくさん空いていく。


『うーん……この星の空気は微妙だな。ちゃんと環境を大切にしてんのか?』

「贅沢言わない。人間だって努力はしているのよ」


 そもそもこの研究室は閉め切っているから空気が美味しくないのだと思う。少し空気を入れ替えようかしら、と真季那が窓へ意識を向けた、その直後。


『ハッ!引っかかったなバカめ!』


 バリッ!!と、真空瓶のガラスが粉々に砕ける音が響いた。

 瓶から解放された『暗黒物質ダークマター』は、部屋の空気を吸って巨大化していく。まあ巨大と言っても地面から真季那の腰に届くぐらいの大きさだが。


「凄い、空気を吸えば大きくなれるのね」

「呑気な事を言ってられるのもそこまでだぜ!」


 先ほどまでよりも鮮明に聞こえてくる『声』の主はモゾモゾとうごめいた後、やがてその変化を終えた。

 そこに現れたのは、ちょうど真季那を小学生にしたような、小さな少女だった。真季那にそっくりな外見だが、その髪だけが異質だ。


 長さは腰まで伸びている真季那と違い、彼女 (?)の方は地面に垂れるほど長い。そしてその色は真季那の黒髪に似ているが、明らかに違う。人間の定義する『黒』よりもなお暗いその色。暗黒物質ダークマターというその名を模していうなれば、暗黒色と表現できるだろう。


「ふむ、人間型というのもたまには悪くない」


 小さな手を見つめてゆっくり開閉させる様は、どこにでもいそうな少女のよう。だがその正体は、科学技術の集合体である真季那でさえ解析できない宇宙の神秘である。


 とりあえず目の前にいた真季那に似せて人型を形成した『暗黒物質ダークマター』だったが、小さな身長とそれに似合わない長すぎる髪は、まだ人型への変化へんげに慣れてないという印象を観察者の真季那に与えていた。


「フッ、まあいい」


 『暗黒物質ダークマター』はそう呟くと、真季那に向かって小さな手のひらを向けた。するとそこから、自然界では見る事の出来ないような、漆黒の稲妻がほとばしった。


「私ら暗黒物質ダークマターには、テメェら人間じゃ一生理解できねぇような未知の現象を引き起こす『暗黒素子ダークエネルギー』を自在に生み出す事が出来る。バラバラになりたくなかったら、さっさと宇宙に帰しやがれ」

暗黒素子ダークエネルギー……興味深いわね」

「緊張感持てよ!バラバラにすんぞ!?」


 今もなお、弾けたり歪んだりと手のひらの中で不可思議な現象を起こし続けている『暗黒素子ダークエネルギー』。真季那はそれをたいへん興味深そうに眺めている。


「どうやらこの自由研究は長くなりそうね」

「お、おい、じりじりと距離を詰めてくるな……」

「大丈夫、痛い事はしないわ。ただちょっとあなたの事を知りたいだけよ」


 ゆっくり迫る真季那から離れるために、『暗黒物質ダークマター』は後ずさる。その気迫に、いつの間にか威勢の良さも失われていた。


「来るな、あっちいけ!」

「一説ではこの宇宙の94%が暗黒物質ダークマター暗黒素子ダークエネルギーによって存在しているらしいけれどそのどちらも解明はおろか観測すらままならない状態なのよね……素粒子論や天体物理学的観点から様々な候補が上がっているようだけれどそのどれに当てはまるのか実に興味深いわね」

「怖えよ!来るなって言ってんだろ……!!」


 ぶつぶつとうわ言のように呟きを漏らす真季那に恐怖を感じてさらに後ろへ下がろうとした『暗黒物質ダークマター』だが、その背中は壁にぶつかる。もう後が無かった。

 そして、


「だ、誰か助けてええええええ!!!」


 右手のひらに集束させた『暗黒素子ダークエネルギー』をぶつけて研究室の壁をえぐり飛ばした暗黒少女は、目尻に涙を浮かべて敷地の外へ出る。

 そして自分を研究しようと歩み寄って来る機械少女から離れるべく、その両の足で全力逃走を開始した。


 そこに先ほどまでの強気な気配は微塵もなく、プライドだのなんだのを全てかなぐり捨ててでも捕まりたくない、という確固たる意志が見て取れる。


 『暗黒物質ダークマター』は今日、研究目的で捕まった実験動物の気持ちが初めて分かった気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る