第11話 貴方に神の祝福あれ

 善行を積むと、神様が願いを聞き届けてくれる。例え今願いがなくとも、普段からいい事をしていれば、神は必ず祝福をもたらしてくれる。


 幼い頃知り合った女性に、そんな事を言われたのを覚えている。

 それから、一愛は思いついた手伝いを片っ端からこなしていった。いつか叶えたい願いが見つかった時、神が助けてくれる事を信じて。



 そんな昔の事を思い出しながらぼんやりと歩いていると、不意に声をかけられた。


「あ、一愛さん……だっけ?」

「は、はい。一愛で合ってますよ」


 職員室を出た所で出くわしたのは、同じクラスの呼詠こよみ 人美ひとみだった。彼女も職員室に用があるのか、ちょうどこちらに向かって来ていた所だ。


「今帰り?」

「はい。ちょうど予定は全て終わった所です」

「じゃあさ、一緒に帰らない?私今日は居残りでね、みんな帰っちゃったんだよ」


 そう言って人美は手に持っているプリントの束をひらひらと振る。これを終わらせるまで帰れなかったらしく、放課後は定時で直帰派な人美はぐったりな様子だった。

 突然のお誘いを受けた一愛は少しだけ驚き、目を丸くしたが、すぐにうなずいた。


「それじゃあお言葉に甘えて、ご一緒させてもらいますね」

「やった。じゃあちょい待ってて。プリント先生に渡してくる」


 そう言いながら足早に職員室へと入っていく人美の背中を、一愛は無意識のうちに見つめていた。

 一愛は、前から人美の事が気になっていた。ありていに言えば、仲良くなりたかったのだ。


 人美の周りには、先日ゴキブリをベリーオーバーキルしたロボ少女をはじめ、なかなかユニークな友人が多いとクラスの一部では有名人だったりする。そしてまた一部では、彼女自身も何かがあるのでは、と思われているらしい。もちろん人美本人は知らない事なのだが。


 そしてそれ抜きにしても一愛は、彼女の快活な人柄や何事も楽しんでいるかのような自由さに、憧れのような敬愛のような、そんな感情を懐いていた。

 最初はそんな人美に興味を持っていただけなのだが、いつの間にかどうしたら仲良くなれるか……なんて考えたりするようにまでなっていた。乙女の心とは不思議なものである。


 だが、人美とこうして一対一で話をしたのは初めてだ。キッカケが見つからずなかなか踏み出せなかった一愛からすれば何度も神に願ったような展開なのだが、人美の方からすれば正真正銘の初会話だろう。それなのに彼女は、あっさりと『一緒に帰ろう』と誘ってくれたのだ。それが一愛には嬉しかった。この上なく。嬉しくてたまらなかった。


「ふふ……」


 一愛は笑みをこぼしながら、首に下げた手のひらに乗るような小さな金の十字架を、両手で優しく包むように握りしめる。幼い頃に、神を名乗る怪しい謎の女性からゆずりうけたそれは、その神様のご加護がたっぷり詰まっているらしい。


 以来それを肌身離さず身に着けている一愛は、嬉しい事があると無意識にそれを握る癖があるのだ。さながら、神に祈るかのように。


(ありがとうございます神様……!人美さんと一緒に下校するなんて祝福を私にくださるなんて……!)


 普段の彼女を知る者には想像もできないほど、一愛は浮かれていた。頬も緩みきっていた。

 だがすぐに職員室のドアが開く音が聞こえ、緩んだ顔とたるんだ心を整えるように両手で顔を挟んでぐにぐにと揉んだ。


「おまたせー。無事に提出かんりょー」


 ドアを後ろ手で閉めながら、通学鞄を肩に担ぐ人美。その姿を見て、一愛もいつも通りの笑みを浮かべて答えた。


「じゃあ、行きましょうか」


 自分でそう言いながら、『今のはちょっと素っ気なかったか?』『もうちょっと話を繋げるべきだったか』など脳内は大忙しだった。

 だが隣を歩く人美は特に気にしてはいなさそうで、一愛は胸をなでおろす。




「ねえ、一つ聞いていい?」

「は、はい」


外靴に履き替え校門を出て、共に帰り道を歩いている時、ふと人美はそう問いかけた。


「一愛さんってさ、なんであんなに人の手伝いとか頑張れるの?」

「え……?」


 いきなりそんな事を聞かれ、間の抜けた声が出てしまった。

 そんな一愛の反応を見て、人美は慌てて付け足した。


「あーいや、無理に話せとは言わないけど。人助けにまい進できるその原動力は何なのかなーって、ちょっと気になっただけ。私にはとても出来ない事だし」

「え、えーっと……」


 そう苦笑する人美を見て、一愛は冷や汗を流しながら作り笑いを浮かべる。


 よくよく考えれば、別段意外な質問でもない。姿を見るとだいたい何かを手伝ってる、いつも他人のために動いている一愛は、見方によっては少し異常にも見えてしまうだろう。そうでなくとも、人のために迷わず行動できるその生き方に疑問を持つのは自然な事だろう。


 そしてそれを聞かれた時のちょうどいい返答を何も用意してなかった一愛は、いつにもなく動揺してしまった。

 あなたと仲良くなるためにやってました、なんて言えるはずもなく、一愛は即行で即興の答えを考えた。


「て、天国に行くためです……なんて……」

「え、天国??」

「生前に善行を積めば、死後天国に行けるっていいますでしょう?」

「まあ聞いた事はあるけど……。壮大な将来設計をお持ちだね」


 苦し紛れにも程があるだろう、と自分で突っ込みたくなる酷い回答だった。だが不意に、一愛の浮かべる苦笑に影が差した。


「まあですので、いつもやってる人助けも全部自分のためなんです。私は別に優しい人間でもないんですよ」


 何でわざわざ嫌われるような事を言ってしまうのだろう、と一愛は自分の事を不思議に思ったが、これは一愛の本心でもあった。


 天国に行くためだろうが人美と仲良くなるためだろうが、そこは同じなのだ。一愛の行う慈善事業の全ては自分のため。自分の目的のために他人を利用してるようなものだ。なので、その行為の結果、一愛が『いい人』だなんて思われるのは間違っている。そう自嘲気味に笑う彼女だったが、


「それはちがうよ」


 人美は一愛の顔を真っ直ぐ見て、それを否定した。


「一愛さんの目的はなんであれ、その行いでたくさんの人が救われてる。だから、一愛さんは優しい人だよ」

「そうでしょうか……」

「うん!いつも見てた私が保証するよ!」

「……っ!」


 憧れていた彼女からそう言われて、一愛は驚いたように目をしばたたかせる。嬉しくなって、頬が徐々に熱くなってるのを感じる。主に『いつも見てた』という部分が何度も脳内に反芻し、つい顔が緩んでしまい慌てて顔を逸らす。


「一愛さん……?」

「い、いえ、なんでもありません。大丈夫ですよ、ええ」

「??」


 心なしか声も弾んでおり、いつもの一愛とはずいぶん違った雰囲気だった。だが、意外な一面を見れた気がして、人美もつられて微笑んだ。


 一愛はまた、無意識に十字架を握りしめる。今の一愛は、全ての生命を愛せる程の自愛に満ちていたことだろう。今日も神に感謝しながら、全ての生命に祈りをささげる。

 あなたに神の祝福あれ、と。

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