第16話 恩恵

 暗く、冷たい階段を下に降りる。

 最初通った時は怖く感じたこの道も、何回か通ったことで何も感じなくなった。


 目的地にたどり着いた僕は、扉を開けて中に入る。


「……おやカルス。来てくれたのか。ちょうど暇を持て余していたところだ」


 その部屋の主は、そう言って笑みを浮かべた。


「暇を持て余してたって……忙しい時があるのですか?」

「ふふふ、手厳しい質問だ。確かにここに封じられて幾星霜、忙しい時などなかったかもしれないな」


 月の魔法使いルナさん。

 古い時代の魔法使いである彼女は、時計塔地下の部屋に幽閉されている。


 一体何をそれほど恐れたのか。彼女は硬い石の椅子に座らされ、両手足を特殊なナイフで手すりと地面に縫い付けられてしまっている。


 もしかしたら関わるべきではないのかもしれない。

 しかし『月の魔力』は呪いを解くのに必要なピースだと思う。多少の危険を冒してでも交流を取る利点はあるはずだ。


 それに……僕はこの人が悪い人には見えない。

 確かにミステリアスな所はある。全てのことを話してくれはしないと思う。


 それでも僕にはこの人が悪人だとはとても思えなかった。


「そういえばこの前、同級生と学園で試合をしたんです」


 僕は部屋の掃除をしながらそう切り出した。

 ヴォルガとの試合後ここに来るのは初めてだったけど、ちょくちょくルナさんのところを訪れては部屋の掃除をしながらお喋りをしている。

 長年放置されていたこの部屋は埃が積もってしまっているし、風化してしまった本とかもある。部屋から出られないルナさんが少しでも快適な生活を送れればと僕が勝手に始めたことだ。


「ほう、試合か。楽しい学園生活を送れているようでなによりだ」

「ありがとうございます。実はその時、あることがきっかけで呪いに体を乗っ取られてしまったんです」


 あの時の感覚は今でも覚えている。

 まるで黒い沼に全身が沈み、地の底まで深く深く引き摺り込まれる感覚。思い出すだけで身の毛がよだつ。


 僕はなんとか意識を取り戻すことが出来たんだけど、その時助けになった物があった。


「呪いに飲まれて、もう駄目だって思った時に、ルナさんにいただいたこの十字架『月の十字印ムーンクロス』が青く光ったんです。僕はがむしゃらにその光に手を伸ばして『助かりたい』と強く願いました。すると次の瞬間呪いが砕けて意識を取り戻すことが出来たんです」

「……ほう。命の危機に陥って、一時的にだが月の魔力を行使可能になったといったところか。たいしたものだ」

「もしこれが無ければ僕は呪いに飲まれていたままかもしれません。本当にありがとうございます」


 そういって頭を下げる。

 もし元に戻るのが少しでも遅れていたら、ヴォルガを手にかけてしまっていたかもしれない。


 そうなったらお終いだ。もう学園にはいられなくなってただろう。


「礼を言う必要はない。私が与えたそれはきっかけに過ぎない。君は自分の力で助かっただけ。所詮他者が与えられる影響など瑣末なもの。人は自分でしか自分を助けられないのだよ」


 どこか寂しげに語るルナさん。

 この人も色々あったんだろうね。いつか話してくれる時が来てくれると嬉しいな。


「見たところ新しい封印を呪いに施したようだが、それではまた何かの拍子にまた呪いに乗っ取られるだろう。そもそも魔力の類は『封印』出来るようなものではない。それでは悪手だ」

「え、そうなんですか?」

「そうだ。封印した魔力は溜まり、凝縮され、手がつけられなくなってしまう。君も分かるだろう?」


 呪いが解放されてしまったあの時を思い出す。

 五年間封印され、外に出てなかった呪いは凝縮され、とても強力なものになっていた。そのせいで僕の意識は一瞬で奪われてしまったんだ。


「『愚者の蓋』という言葉がある。愚か者ほど問題に蓋をし、解決したとつもりになってしまう。蓋をしたところで呪いの力は弱くはならない。長く付き合うのであれば呪いと『共存』する他ない」

「呪いと……共存」


 そんなの考えたことなかった。

 呪いは悪で、押さえつけるもの。そう考えるのが普通だったから。


 きっと魔法使いの誰に聞いても同じ答えが返ってくると思う。

 やっぱりこの人は今の時代の魔法使いとは違う。魔法というものへの理解度が飛び抜けて高い。


「呪いと共存ってどうすればいいんですか? 考えなしに呪いを解き放ってしまったらまた体が痛くなるだけだと思いますが」

「呪いに身を委ねるのではなく、律し、己が力として扱うのだ。呪いも闇の魔力を用いた魔法現象ならば、人の手で操ることが出来るのは当然の帰結だ」


 なるほど。確かにそれが出来るようになれば、ガス抜きになって呪いが体内に溜まり過ぎない。

 よし、やってみよう。


「呪いを律して……制御する」


 左胸に指先を当て、集中する。

 体内に蠢く呪いから闇の魔力を抜き取る。


「う……!」


 胸に刺さる鋭い痛み。

 やっぱり呪いを制御するなんて無理なのかな。


「落ち着け。その痛みは制御できないだけだ。抜き出した呪いを支配し、制御下に置くんだ。お主なら出来る」


 ルナさんのアドバイスを聞き、さらに集中する。

 抜き出した呪いは隙あれば僕を攻撃しようとする。それは僕が制御できてない証だ。


「言うことを……聞け!」


 指先に魔力を集中。

 イメージは首輪をつけ、手綱を握る感じだ。暴れ回る呪いを乗り回し……操る。


「はああああああっ!」


 呪いを芯で捉えた僕は、腕を思い切り振る。

 すると抜き出した呪いは漆黒の刃となり放たれ、地下室の壁に激突する。


 ズン! という大きな衝撃音。

 地下室はかなり硬い壁で出来てるんだけど……今の一撃でかなり大きなヒビが入った。


「……何てすごい威力なんだ」


 体から抜き出した呪いはほんの少しだ。

 それなのにこんな威力を持ってるなんて。開いた口が塞がらないや。


「よくやった。呪いの力を利用するその技を『呪闘法じゅとうほう』と呼ぶ。今も残っているかは知らないが古い時代には呪いをそのようにして扱う者たちもいた。お主ほど強い呪いの持ち主はいなかったがな」

「……凄い力ですね。使い方を間違わないようにしないと」

「喜ぶより先に心配が来るとは感心だ。力には常に責任が伴う。呪いの力ともなればその責任は更に大きい」


 使ったから分かる。

 この技は当てた人を『呪う』ことも出来る恐ろしい技だ。使い方を間違えたら大変なことになる。


「技それ自体に善も悪もない。大事なのは使う人間、それを肝に銘じておくのだな」

「はい……」


 手にしてしまった大きな力。

 僕は間違うことなくこれを使うことが出来るんだろうか。

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