第9話 暴走

 突如カルスの体より噴き出た黒い膿。

 それは彼の体を包み込んだあと、試合場をも覆い尽くした。


「な、なんだこれ!?」

「逃げろ! こっち来るぞ!」


 逃げ惑う観衆。

 黒い膿は一瞬にして試合場一帯に広がると、今度は上方向に伸び試合場をドーム型に包み込んでしまった。

 ドームの中にはカルスとヴォルガのみがいる形。外と中は完全に切り離されてしまった。


「どうなってんだ……」


 突然の事態に呆然とする生徒たち。審判として来た教師ゴドベルですら困惑し動けなくなっていた。

 そんな中、謎の黒い膿に怯むことなく向かう生徒がいた。


「カルスを……返しなさい!」


 赤髪の少女、クリス。

 彼女は剣に炎を纏わせると、怖じけることなく膿に斬りかかった。

 激しく炎が舞い、膿が焼ける。しかしクリスの攻撃が焼き切るよりも早くそれは再生してしまう。


 何度も何度も斬りかかるクリスだが、それを破ることは出来なかった。


「なによこれ!? 硬すぎる!」

「私もお手伝いします……!」


 動いたのはクリスだけではなかった。

 聖女セシリア。彼女もまた呪いに怯むことなく立向かっていた。


光の照射ラ・ルクス!」


 放たれたのは眩い光を放つ光線。

 カルスの『光の浄化ラ・ルシス』を参考にして作られたその魔法は、強い光属性を内包しており呪いに強い効果を発揮する。


 その光を受けた膿は痛そうに蠢くが……破壊することは出来なかった。


「……この魔法でもダメなんて」

「諦めてる暇はないわ! これが何なのかは知らないけど……良くないものだってのは分かる。壊さないとカルスが危ない!」


 それの危険性を肌で感じ取ったクリスは何度も斬りかかる。

 しかし五年間もの間、抑えられていたそれを壊すことは、叶わないのだった。


◇ ◇ ◇


「……いったいどうなってるんだ」


 ドームの中で目を覚ましたヴォルガは、あたりを見渡す。

 360度どこを見渡したても黒く蠢く何かで覆われている。外の様子は全く見えない。

 外光も全て遮断されている。それなのに不気味なことに内部は明るくよく見えた。


 目の前に立つ。それの存在も。


「……お友達。って感じじゃなさそうだな」


 ヴォルガの数メートル先に蠢くは、黒いなにか。

 かろうじて人型であることは分かるが、体がでこぼこしておりどちらが正面なのかも分からない。

 だがその中にカルスがいることと、意思を持った何かがこの黒い膿を動かしていることは分かった。


『…………』


 人型の顔と思わしき所に赤い光が二つ灯る。どうやら目のつもりのようだ。

 その恐ろしい双眸はゆっくりとヴォルガを捉え……その後くぐもった、耳にへばりつくような恐ろしい声が放たれる。


『……タナ』

「んあ?」


『オマエ、カるスヲイジメたナ?』


 次の瞬間、それの腕が伸び、ヴォルガを思い切り殴り飛ばした。

 腕の先端は棍棒のように膨らんでおり、硬質化している。そんな物で思い切り殴られれば普通の人であれば体が粉々になってしまう。


 幸い頑丈な体を持つヴォルガは人の体を留めてはいたが……そのダメージは大きかった。


「効いた……!!」


 ガンガン痛む頭を押さえながらヴォルガは立ち上がる。

 ここで気を失って見逃してくれる相手だとは思えない。戦う以外の選択肢は残されていなかった。


「なんだかよく分からないが……やるしかなさそうだな」


 あまりにもわからないことが多い状況。

 ヴォルガは疑問全てを一回忘れ去った。そして脳のリソースを今戦うことに全振りする。

 生き残るためにはそれしかない、彼はそのことを理解していた。


「くらえ! 雷の槍リ・サクス!」


 雷の槍を生み出し、力の限り投擲する。

 まるで雷そのもののような速度で飛来したそれは、相手の表面に突き刺さる。


 しかし黒いそれは意に介した様子はない、表面を焦がした程度ではダメージはないようだ。


雷の肉体リ・バーフ!」


 今度は雷で肉体を強化し接近する。

 黒いそれは再び腕を触手のように振り回し殴りかかってくるが、ヴォルガはそれを全て回避した。


(確かに速度は速い。しかし動きが直線的過ぎるぞ……!)


 既に相手の動きを見切っていたヴォルガは嵐のような攻撃を全て掻い潜ると、黒いそれの頭部と思わしき箇所を殴り飛ばす。

 岩ですら撃ち抜く攻撃、しかし黒いそれは少し体勢を崩しただけで全くダメージを与えられていなかった。


「嘘だろ……!? こいつどんだけ硬いんだ!?」


 まるで巨大なゴムを殴ったような感覚。衝撃が全て分散されてしまっているとヴォルガは感じた。

 何度も何度も殴り、蹴り、雷を打ち込む。しかしどの攻撃も有効打にはならなかった。


「これならどうだァ! 雷の噛咬リ・バウッ!」


 両手に雷の牙を宿し、思いきり首元に噛みつく。

 しかしそんな渾身の攻撃も、わずかに相手の動きを止めただけで有効打にはならなかった。


『シツコい』


 腕を高速で振り下ろし、ヴォルガの頭を強打する。

 するとヴォルガの頭部は地面に叩きつけられ、そのまま地面に横たわってしまう。


「が……ッ!?」


 血反吐を吐くヴォルガ。あまりの衝撃に体が動かなくなってしまう。

 大人と何度も手合わせをしたことがある彼だが、ここまで力の差を感じたのは初めてだった。


 生物としての圧倒的な格の差。それがあることを思い知った。


『ソロソロ……シンデ?』


 黒いそれは大きな手でヴォルガを持ち上げ……叩きつける。

 骨がきしみ、内臓が悲鳴を上げる。しかしヴォルガは気合で意識を保ち続けた。


「まだ、まだ……」

『シブトイ……』


 ヴォルガの首根っこを掴んだまま、顔の近くに寄せ興味深そうに眺める。

 するとヴォルガはそれの目をにらみ、口を開く。


「おい、聞いてるんだろう……? いいのか、こんな終わり方で」

『?』


 それは首を傾げる。

 目の前のこれは何を言っているんだろうと。


「俺は嫌だぞ。俺が戦いたいのは貴様だ。こいつではない」

『……ウルサイ』


 黒いそれは左手を巨大な針の形に変形する。

 それの先端を胸に向け、一気に突き出す。


「……っ!!」


 終わった。

 二人ともそう思ったが、その針は突き刺さる直前で止まった。

 いったいなぜ。そう両者が思った瞬間、黒いそれの表面に亀裂が入る。


『カルス、ナンデ……』


 亀裂から漏れ出る光。

 それは瞬く間に黒いそれを浄化し……砕いて見せた。


「――――ぷはっ!」


 そして中からカルスが現れ、地面に転がる。

 試合場を包んでいたドームも壊れ黒い膿は辺りから完全に消え去る。


 カルスは呼吸を整え、なんとか立ち上がる。

すると正面には同じ様に疲れ切った感じで立つヴォルガの姿があった。


「……ごめんなさい。少し寝ちゃってたみたいです」

「気にするな。それより……再開しようか」

「はい。よろしくお願いします」


 聞きたいこと。分からないことはたくさんある。

 しかし二人ともこの戦いに決着をつけること以上に優先的なことは存在しなかった。


 膨らみ、激突する両者の魔力。

 お互い次の一撃が最後の攻撃になることを理解していた。

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