第十話 つみかさねた歴史の武装
突然本物のローマンが飛び出した等と夢にも思わないマーティンは、恐怖のあまり、意味不明な絶叫をあげて暴れた。転がった拍子に剣がどこかへ行ってしまったのも、恐怖を煽っただろう。
「落ち着けマーティン! にーやんだ!」
「に、にーや………。」
「―――ただいま。よく頑張ったな。」
そう言ってローマンは額にキスをすると、自分の
「おや、どうしたものかね。『俺』が二人いる。しかも片方は変質者の姿だ。」
敵がそう嘲った時には、もう馬はいなかったが、代わりにローマンが文字通りの弾丸特攻で穿った穴は塞がっていた。おう、と、ローマンは軽く答えて言った。
「そうなんだよ、これだと変質者ルックスだ。トランクスだけだからな。悪いんだけど、着替えさせてくんねえ? 俺んち、今大変な時期だから、もうシモに纏わるスキャンダルは増やしたくねえんだ。」
ローマンがとてつもなく明るく言う。その明るさが逆に怖いなんていうことはなく、本当に、隣人に言うかのように、明るく、新しい友人が出来たかのように、親しく。それを見て我慢ならなかったのは、ローラ達だった。
「この期に及んで保身だなんて! 普段から戒めを守らないからよ!」
「今更すぎるわ、神に是認されてないくせに!」
「さ、再臨はもう終わってるのに、見苦しいニダ!」
「いやー、まったく言い返せないね! あっははは!」
更に口を開けて笑顔まで見せた。それ程の心持ちの裏に何があるのか、敵も興味が湧いたらしい。
「いいよ、着替えなよ。どうせ必殺技か何かあるんだろ? それに―――『
「お? 分かっちゃう? 分かっちゃう? じゃあ俺の一張羅、いっちょお披露目といこうかね! なんちゃって。」
そう言って、ローマンは、家の中のティッシュゴミを拾うかのような自然な動きで、マーティンの剣を手に取った。
そして、古い言葉を唱えた。
「
恐らくその言葉は、他の誰の力よりも、『力』のある言葉だった。聞き取りにくい筈の古く滑らかなラテン語は、ラテン語を必要としない包雲にさえも意味が通った。
宣言に呼ばれて、亡霊が集まってくる。それらの亡霊は、コニーが呼び出した戦士達よりも気味が悪く、如何にも『死者』という風体だった。
が、誰一人として、邪悪なものはいなかった。ただ惨めに醜く成れ果てただけの、小さな魂達。それを見て、口寄せだ、魔術だ、と、批難することは簡単だ。
簡単だったので、ジャネットはそう声を挙げ、皆まとめて自滅しろとまで罵ったが、先ほどまでのローマンの笑顔は最早無く。
「マーシー。」
不意に冷たく呼ばれ、マーシーはびくりと震えた。敵を見てみると、どうぞどうぞ、と、促している。敵から注意を逸らす事なく、ローマンはマーシーに近付き、ほい、と、剣を見せた。その顔は、屈託無く笑っている。まるで、ワンコインの駄菓子を強請る子どものようだった。
「突然だけど、聖セラフィム貸してくれ。」
「は!?」
誰だろう、と、メソジストとルーテルは顔を見合わせた。
「だ、だめよ! よりによってその
「命令だ。―――サロフのセラフィムを寄越せ。」
有無を言わさぬ、というよりも、首を掴んで持ち上げられたような気分だった。最初、名前を呼んだときよりも、その声は冷たく―――そして、優しかった。
命令だ、と言っているのだ。つまり、マーシーの意思は関係ない。マーシーの本心などどうでもいい。全て自分が命令し、強要し、強制したことだと。
その祝福を受けた剣が何をもたらそうと、マスクヴァ・コンスタンティンの責任は問わないと。
そう言っているのだ。兄の警告も頭をよぎる。
けれども、やはり自分には、暴力と政治の境目を縫って歩んできた自分には、それ以外の方法が分からなかった。
「―――勝たなかったら、燃えちゃうんだからねっ!」
「―――良く見ておけ、
ローマンの啖呵を聞いて、何事かを感じ取った剣が震え出す。今にも逃げて飛び出して行きそうな剣を、ローマンが捕まえていた。マーシーも覚悟を決め、手を翳して宣言する。
決して、
「
その瞬間、剣は虹色の炎に包まれた。それを見たメソジストが、ハッと顔色を変えて青ざめる。見るも珍しい虹色の炎に、ジャネットは罵るのを止めた。
「信じてるからね、
「いけませんローマン兄弟! 貴方は、貴方だけはその炎は使ってはいけない!!」
「何寝ぼけた事言ってる、メソジスト。―――これを作ったのも、落としたのも、落とされたのも、俺だ。マーシーの
早くも刀身が黒い涙を流し出す。剣から、犠牲者達の波動のようなものが溢れ、それぞれの胸を打つ。
ある者には懺悔を要求し、ある者には追及を要求し、ある者には祈祷を要求し、またある者には―――憐憫を示した。
「アララ。そんなに俺に抱かれたの嫌だった? 不可抗力とは言え大好きなパパの―――。」
「勘違いするなよ、『雑草』。」
その表情が露骨に歪んだのは、何も核の炎の剣を向けられたからではないようだ。
「俺は別に、名誉も尊厳もどうでもいい。いつだってそれらは、初めから俺のものじゃないしな。」
ブン、と、細身の筈の剣が、酷く重たい音を立てて空気を切り裂く。その遠心力で、強い熱が放たれる。慌ててペンテコステとルーテルが結界を作り直したが、僅かに間に合わなかった。二人を庇ったメソジストが、その場に跪いて吐き戻す。彼を心配する者は、全員手が塞がっていたが、ホーリネスは少し身体を寄せた。
「―――大丈夫、アレは、自分が落とし、自分が調べたものだ。だからよく知ってる。」
メソジストは醜く爛れたローマンの右手と、溶けては再生するローマンの身体が、なるべく彼女達の視界に入らないように、或いはもし余波が来ても庇えるように、両手を広げて視界を遮った。見つめるだけで眼球が蒸発しそうな、極彩色の煙を、メソジストは伝聞にしか聞いたことがないし、実家では何度も、それを『正義』と教えてきた。だから祈りしか共有したことはなかった。
だが、融解と再生を繰り返す、理不尽そのものを体現したかのような大兄の姿を見て、メソジストは初めて彼等の気持ちが分かった気がした。正義感でもイデオロギーでもなんでもない、ただ『嫌だから嫌だと言う』ことが、彼の実家では当たり前であるその事が、日本に言わせていることの意味が、分かった気がした。
だからこそ、自分は眼を離す訳にはいかないし、いざという時は自分が加勢しなければと思っていた。
「俺がキレてんのはな―――親父の作った
「え? 何それ。隣人愛?」
「それが分からねえから、お前は苦よもぎじゃなくて雑草ってんだよ。」
一歩踏み込み、細く重たい剣が、敵の背後にあった花壇の上を素通りする。それだけで、花は燃えることなく朽ちた。それをみてメソジストは、ハッとして慌てて唱えた。
「
メソジストの号令で、矢追ハリストス教会で現れた物と同じ影が現れる。か細かったルーテルの歌を彼等がなぞると、結界は矢追カトリック教会全体を覆った。その代わり、自分達にも凄まじい熱波と念が浴びせられる。抗議しようとする少女達に、メソジストは一喝した。
「矢追町の人々を曝す訳にはいかないだろう! これくらい我慢しなさい! 生身の日本人はこの数千倍を浴びて生き延びたんだぞ!」
その言葉で、マーシーが震え上がった。しかし、メソジストには彼女を労る言葉は出せず、歌おう、と、手を取ることしか出来なかった。
「うん、うん、歌おう! 私達に出来るのは、歌うことだけだもん!」
「そうだ、歌おう!」
そうこうしている間にも、ローマンの剣は熱と念を振りまきながら、敵を追いかけている。実のところメソジスト自身も、逃げ出したかった。姉だけ連れて逃げたかった。直視したくなかった。
しかし、大兄は自ら、非核の原則を無視し、核武装をして、自分達全員の敵であるはずのものと戦っている。どうして逃げられようか、彼を『ヒーロー』に仕立て上げた側である自分が!
「ええい、うるさいな!!」
「『
雑草と呼ばれた敵が、何かを飛ばす。しかしほぼ同時に、ローマンが何かを召喚した。プレートアーマーとヘルムを被った、黄色と黒の、けばけばしいピエロのような兵士が現れ、やりのような儀仗のようなものを振り回し、それらを弾き飛ばした。その内の何人かは失敗し、敵の飛ばしたものがプレートアーマーやヘルムに付着して、悶えながら斃れ、黒い水になった。メソジストはそれを見て、増えたバプテスト達が、次々と黒い水になったことを思い出す。敵の攻撃に触れると、霊なるものも黒い水になってしまうのだ。メソジストは喉以外も奮わせている彼女達を密着させ、ぎゅっと腕の中にしまい込んだ。少しでも小さくならなければ、ピエロ兵士達は死んでしまう。
しかし、ピエロ兵士達は、黒い水になるとそこから二人現れて、すぐさまメソジスト達を護りだした。
「とっておきは一つッて、相場が決まってんだけどなぁ!」
敵は、忌々しげにそう叫んで、大蠍の尾のように剣を突き出した。ローマンが剣を横薙ぎにすると、剣はあっさりと融けて、敵の手首までも融かした。
「ケッ、伊達に一七〇〇年世界牛耳ってきてねェんだよ! ポッと出の雑草が!」
「その雑草にアンアン言わされてたお前が言うな!」
「今更すぎて言うことなんか何もねえよ! 千年童貞舐めんな、一通りのことはヤらせたしヤらされたわ!」
清々しいほどに最低なことを言い切り、ローマンは両手で剣を構え、その頭上に振り下ろす。敵はこの剣に触れたら終わりだと分かっているのか、スッと後ろに引いて避けた。だが、両断の為に一歩踏み込んだローマンは、そのまま勢いに任せて連撃を繰り出す。両手で剣を持ち、振り払って片手に持ち替え、再び両腕で振り上げて振り下ろす。その間にもローマンの鎧は融解して再生するが、徐々に融けた鎧の隙間から、ローマンの素肌が見え始める。恐らく再生が間に合っていないのだ。
やはり与えてはダメだった、と、涙を流し、ここにいない兄の戒めを破った自分を呪うように、マーシーは歌うことを止めて跪いて蹲る。
「
ごめんなさい、ごめんなさい、それでも自分の為に祈らずにはいられない。自分が祝福したものの恐ろしさと向き合うのが怖い。『燃えちゃうんだから』なんて言わなきゃ良かった、強がって言う言葉ではなかった。
人が、融けると言うことを、分かっていなかった。
「マーシー姉妹。」
震えて俯いたままのマーシーを、メソジストが立たせる。
「自分が支えています。落とさせた自分が、持たせた自分が一緒に立ちます。だから貴方も立ちましょう。立って歌いましょう。―――神は、その一人子をお与えになるほど、
マーシーは無言で頷き、涙と鼻水で喉を塞ぎながら、必死でルーテルと救世軍の歌をなぞった。
「メソジスト!!!」
攻撃の手を止めず、ローマンが突然叫んだ。
「は、はい!」
「バリア、教会全部覆ったか!?」
「は、はい! 何も漏らしません! 存分にやって下さい!!」
「お前のような勘の良い奴は大好きだぜ! 有難迷惑だろうがな!」
別段交流があるわけでも争いがあるわけでもない。時々炊き出しで当番が一緒になる程度のメソジストに、ローマンはそんなことを叫んだ。有難迷惑、という言葉を打ち消そうとした時、ローマンは隙が出来るほど大きく振りかぶった。だが、その口から飛び出した叫び声に、敵は怯んで反撃できない。
「
ズン、と、その剣が地面に突き立てられる。ビシビシビシッと凄まじい勢いで地面から虹色の光が噴き上がった。否違う、あれは炎だ。平和ではなく、滅びと敵意の象徴とされた、地獄の炎。彩り豊かに人々の心を塗りつぶし、人の心を塗り替えた悪魔のペンキだ。それらの炎は、矢追教会にも直撃し、次々と建物を融かしていき、結界の天井までも届く。しかし、その炎をペンテコステの異言と、ホーリネスの力が意地で押しとどめる。
「ぐぐ…っ、出すもんか、出すもんか…! 神よ、私の心から溢れて、大声で示してください! 『
間一髪で、炎が突き破るのを防ぐ。ぴったりとすぐ上に現れた新しい傘は、弱った炎を霧散させたが、その零れた火の粉で、初めに張ったバリアが粉々になった。
「ぐううっ!!」
融けた地面に脚を捕られた敵に、噴き上がった炎が襲いかかる。ローマンは地面から剣を抜き、突進した。
「
ドン!!
教会の影まで追い込まれていた敵の姿が、炎によって朽ちた影響でよく見える。
敵の剣が、ローマンの首を突き刺し、持ち上げていた。だが、それでもローマンは雄叫びを上げ、剣を逆手に握り直し、敵の項に突き刺した。
「な…っ!?」
「かはぁー…っかはぁー…っ!」
それでも斃れない敵に、ローマンは剣を引き抜き、左腕を添えて、力の入らない背中を無理矢理反らし、振りかぶる。
「参った、降参だ! 悔い改めるからお情けを!」
そんな形ばかりの懺悔で惑わされるローマンではない。本当の懺悔を、神の前にすら吐き出せないような懺悔を、悪魔に魂を売ってでも救われたいという懺悔を知っているローマンに、保身ですらない言葉など効かない。
懺悔とは、攻撃の手段では無いのだから。
剣が敵の脳天から敵を突き刺す。真っ直ぐに、真っ二つに。竹が割れるより鮮やかに、分断して地面に突き刺さる。
「―――チッ、もう少しだったのに。」
声の出ないはずの敵の恨み言が聞こえた。敵は液体状に融けて黒い水は蒸発し、黒い水蒸気は『消滅』していった。地面に突き刺さった剣の上に、首を貫かれ、尚奮闘したローマンの身体が覆い被さる。その重みで、剣が地面に深く食い込んだ。ローマンの下の大地が融けて拡がっていく。
その先は、コキュートスよりも冷たい、原爆の地獄だ。どんな理由があろうとも、核による攻撃は、
助けようと、全員が走り出した。ローラも、ジャネットも、
そうして、誰よりも侮辱され、誰よりも戦った彼は、誰からも泣かれながら、
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