第一話 終わりの始まり

 いつもいつもという訳ではないのだが、時々、「家人が変な宗教にハマった」という相談が持ちかけられる事がある。この町は様々な宗教があり、それはそれで良い事なのだが、『幼い』子などは、時々町民に迷惑をかける。そういうものの尻ぬぐいをするのも、年長者の役割だ。

 …正直一七〇〇年も生きていると、定期的に「あいつの子かな?」と、思うような、身も蓋もない言い方をすれば二番煎じな子の方が多いのだが、それはそれ、誰もが通る道だから仕方がない。

「そういう訳で、神父様。突然、嫁が韓国語を話し始めて、韓国語で歌い始めて……。結婚しているから韓国に行ったりはしないだろうけど。」

「言語が悪い訳ではないですが、出来れば韓国語で歌うのは止めさせたいところですね。芸術の力は侮れません。まだ間に合うと希望を持ち―――。」

 町民の涙ながらの訴えを、なんとかまとめようと言うとき、ゾァァッと、激しい不快感に身の毛がよだった。思わず言葉が引っ込み、身体が戦慄く。

「神父様? どうされましたか?」

「………。失礼、ちょっと様子を見てきますので、ここにいて下さい。動かないで下さい。」

 絶対に、と、念を押し、応接室を飛び出して、階段を駆け下りる。司祭館を飛び出し、教会の敷地内に出た。周りに人間はいないようだが、人間でないものがいた。その姿を認めた途端、絶叫をも飲み込むような恐怖心が襲った。

「フーッ…ヒューッ…。」

 呼吸のような音はするが、呼吸器官は見当たらない。道路から上半身だけを出したかのような、固まったアスファルトという海を、下半身だけ沈め、左右に身体を揺すりながら前へ進んでくる。ヘドロの詰まったような色をしているが、臭いはしない。どろどろと表面が溶けているが、その溶けた物質が道路に落ちたり、溶けた向こう側が見えたりすることはない。

「止まれ!」

 物体はその命令に従ったが、ひゅー、ふー、という呼吸音が、何か言葉にも聞こえるような気がした。

「お前……。悪霊の類じゃねえな。悪魔の類でもない。何者だ? 事によっては滅するぞ!」

 声が震えないように、少し強めに叫ぶ。物体は止まったまま、触手にも腕にも見えるものを延ばすその姿に、思わず駆け寄らなければ、という使命感と、決してその身体を動かせない何かが鬩ぎ合った。

「ろ…ま………。」

 ローマン、と、物体は彼の名前を呼んだような気がした。が、名前を呼ばれた、存在の意味を見破られている、という恐怖心に、思わず何もない空間から大剣を取り出し、ザンッと袈裟斬りにした。物体は分断されたところから二重に溶けていき、煙になって消えていく。

「ろ…ぉ…。」

 尚も自分を呼ぼうとしたので、とどめを刺そうとしたが、その前に腕を掴まれた。

「うわああああ!!!」

「落ち着け! オレだ!!」

 大剣を振り上げた両腕を片手で止められ、肩を掴まれた。父だった。怪我をしているのか、光り輝く髪は濁り、ぼさぼさしていて、雪よりも白いローブは薄汚れている。

「お、親父…?」

「良かった、間に合った………。」

 ぎゅっと抱きしめられ、戦意を無くした大剣が消える。状況が分からず混乱していると、父は言った。

「大変なことになった。とにかく教会に入れてくれ、事情を説明する。」

「お、おう…、分かった。今客が来てるから、先に帰らせる。ちょっと待ってて。」

「ああ、ここで待ってるよ。」

 何か奇妙な違和感を覚えながらも、ローマンは司祭館に戻り、先の町民を帰した。父は隠居の身なので、自分の息子や娘が対処できる人間にはあまり会いたがらないのだ。

 客間を片付けていると、この忙しいのに電話がかかってきた。窓から外を見てみると、父が見上げている。ローマンは窓を開けて呼びかけた。

「悪い、電話だ! 片付けは終わってるから、入ってきてくれ!」

 父が手をひらひらと振ったので、ローマンは電話を取った。

「はい、矢追カトリック教か―――。」

『ローマン兄ちゃん、助けて!』

 挨拶も何もなく、電話の向こうから悲鳴が聞こえた。末の弟、エルサレム・カトリックからのようだが、いつも聞こえる不穏な音が聞こえない。

「………イェールか? どうした、また空爆でも―――。」

『おじさんたちが、―――プツッ。』

「イェール? おい、イェール?」

 ローマンが問いかけるが、電話は無機質な音を一定間隔で繰り返している。

「電話線か?」

 しかし、末弟エルサレムの家は治安が悪い地域のため、有線の電話は使っていない、と、言っていたはずだ。いつどんな時に、犠牲者の為のミサが必要になるか分からないから、末弟は沢山の連絡手段を持っている。

 それでも、会話が途切れたと言うことは…。

 今度はローマンの方から、エルサレムへ電話をかけた。パソコンのアプリからスマホ、電話に至るまで、教えられた番号は全て。ところが、終ぞエルサレムの声を聞くことは出来なかった。

 続いて、テレビのニュースをつけた。『おじさん』というのは、十中八九、父の弟の方だろう。ローマンやエルサレムを産んだ、偉大な父は三人兄弟の次男で、父の弟一族、つまり自分達の従弟達は、今とてもデリケートな時代だ。エルサレムが助けを求めてくるとしたら、そちらの方しか有り得ない。父の兄の方は、最近インターネットで、なんたらの首謀者だのなんたらの陰の支配者だのと言われているので、こっちもこっちで忙しい。

 いずれにしろ、エルサレムが助けを求めてくるほどの事であれば、テレビで報道されているだろう。

『続いてのトレンドグルメは―――速報です。信じられません! 全く信じられません! イスラエルの首都エルサレムが、突然消滅しました!』

「………。は?」


 そうして、世界の終わりは、盗人のようにやってきた。


脱落者一覧

 叔父、エルサレム・カトリック。



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