3
グランドール王国では、必要以上の男女の接触は禁止とされていた。
嫁入りが決まっているとはいえ、まだ婚儀の儀式を上げていないのだから、リーリエもクノリスも例外ではないはずである。
「湿気がひどいな、山岳地帯は」
胸元のボタンを開けて、かったるそうにしている男とリーリエの距離はわずか数センチ。
それも、これから夫となる一国の王である。
グランドール王国では、考えられない状況に、リーリエは混乱する頭を落ち着かせることができなかった。
「あの……」
「ん?どうした?」
「少し、離れませんか?」
「どうして?」
「私のドレスひどいですし、長らく着ていなかったものなので匂いもあると思います」
「問題ない。男達の遠征の時は、もっとひどい匂いだからな」
やはり匂いがひどいのだ、とリーリエは心の中で呟いて気持ちばかりクノリスから離れた。
「ドレスが気になるようなら、次の停留地で着替えを調達させよう。それで問題ないな。確かに、泥も跳ねているようだし、お姫様としては少々気になるところだろうな」
黄ばみに触れなかったのは、クノリスなりの優しさなのだろう。
しかし、目の前の王様は、遠回しな指摘というのは通じない相手らしい。
「いや、そういうことではなくて……婚姻前の男女が近すぎはしませんかということを、先程から伝えたかったのです」
「なんだそれは」
クノリスは本気で、リーリエが何を言っているのか理解できない様子だった。
「普通、婚姻前の男女はある一定以上の距離を保つものなんです。そう教育されませんでした?」
勇気を振り絞って、リーリエは意見を伝えた。
クノリスが、グランドール王国の王族たちのように、指摘されることによって逆上するような人間には見えなかったからだ。
クノリスは、眉間に皺を寄せた後、「そのような教育はアダブランカ王国で受けてはいないな」と離れたリーリエの肩を抱き寄せた。
「ちょっと……話聞いていらっしゃいました?」
「大丈夫だ。城に着くまでは取っては食いやしないさ」
困るリーリエを見て、クノリスは楽しんでいるようだった。
どう見ても、幼い男の子が女の子をからかっているようにしか見えない。
本当に国を救った英雄王なのだろうかと、リーリエは分からなくなったが、不思議と不安は消えていた。
真夜中に、馬車はとある街に到着した。
国境からアダブランカ王国の王都であるトスカニーニまでは、二、三日かかるそうだ。
王国が管理している屋敷で一泊だけ休むことになった。
屋敷に到着すると、クノリスは「しばらく準備が整うまでここで待つように」とリーリエに言って、先に馬車から降りてしまった。
馬車に乗っている間ずっと密着していたので、クノリスと触れていたところに、ひんやりと冷たい風が当たった。
誰かと密着していることなど、母が亡くなってから一度もないことだった。
「人の温かさってやつね……」
冷気を感じる場所をさすりながら、小さな声で呟いていると、突然扉が開かれたので「ヒッ」と変な声をあげてしまった。
「驚かせまして、大変申し訳ありません。お初にお目にかかります。ミーナと申します。王が指揮をとられている間、リーリエ様を先に湯あみと着替えに同行せよと指示を受けましたので、ご案内いたします」
ミーナと名乗った侍女が、リーリエに深々と頭を下げて屋敷の中へと案内をした。
リーリエの古びた鞄は、ミーナと共にやって来た軍人が持っている。
せわしなく動く人々の群れをかき分けながら、ミーナはリーリエを屋敷の中へと入れた。
美しい細工がされた木製の大きな扉を開けると、真っ赤なビロードの絨毯が敷かれた広間が視界に入る。
奥には、二階へと上がる木製の螺旋階段があり、そこにも真っ赤な絨毯が敷かれていた。
天井からは、これでもかといった大きなシャンデリアが光を放っている。
「リーリエ様こちらです」
ミーナに案内されて、屋敷の中をリーリエは頼りなくついていく。
屋敷の中でも、王が到着したということで、慌ただしく人が動いていた。
湯あみの場所では、既に数人の召使いがリーリエの到着を待ち構えていた。
「まあまあ、なんとも、ひどい格好で」
一番年配の女性が、心底気の毒だという表情を浮かべてリーリエの黄ばんだドレスを脱がしにかかった。
裸にされて、温かいお湯の中に入ると、身体が冷え切っていたことに気が付いた。
身体の芯からすみずみまで温まっていくのを感じる。
「このドレスどうします?」
リーリエのドレスを受け取った侍女が、ミーナとリーリエの顔を交互に見ながら、今までリーリエの肌を隠していたドレスを持ち上げた。
「順次新しいドレスにお召替えされるので、必要はなくなるかと思いますが、一応洗濯しておきましょう。よろしいですか?リーリエ様」
ミーナに尋ねられて「捨ててください」とリーリエは小さな声で呟いた。
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