057.しょっぱくて、甘い


「お邪魔します。 マスター、いらっしゃいますか?」

「お邪魔します」


 丁度優佳と遥の包囲網を抜け出してコーヒーを作り終わったとこ。

 ようやく一息つけると適当な席に座って息を吐いたところで、またも扉の鈴が鳴りだして2人の人物が姿を現した。


 それはもちろん、愛しい恋人の2人。伶実ちゃんと灯。

 更に両者は当然のごとく着物をその身に纏っている。伶実ちゃんは藍色、灯はピンク色の生地を使った両者随分と可愛らしい格好だ。

 灯に至ってはなにやら大きい紙袋を持っていた。なにあれ?小さなリュックサックくらいあるんだけど。


「二人ともいらっしゃい。あけましておめでとう」

「こちらこそおめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


 伶実ちゃんが率先して灯共々深々とお辞儀してくる姿を見て思わず俺も姿勢をただし頭を下げる。

 さすが伶実ちゃんだ。新年からしっかりしてる。変わらず行儀がいい。


「遥さんと優佳さんも。あけましておめでとうございます。 …………?どうしました?お2人ともボーっとして」


 続いて優佳と遥に挨拶するも、当の両者は未だトリップ中だ。

 これはちょっと復帰するまで時間がかかりそう。


「2人はちょっと置いておいて。 すぐに戻ってくると思うから」

「そうですか?わかりました。 ところで、お正月早々にコーヒーですか?」

「これ? ちょっと寝不足でね……。 ついつい身体がコーヒーを求めちゃって――――おっと」


 1日3杯なんて生ぬるい俺にとってはコーヒーは生命線、もはや血液を同レベルといっても過言ではないだろう。

 一応早朝帰り着いて目覚めの一杯を飲んだが、やはりそれだけでは足りなかった。ということでこれは元旦から数えて2杯目。今日を終える頃には何杯になるか気になるところだ。


 そして同時にキュウ……と、お腹が訴えを起こしている。

 そういえば帰ってコーヒーは飲んだけれど朝ごはんはまだだったか。その音は彼女の耳にも届いたようで、一瞬だけ目を丸くした後すぐに微笑みに変わってくれる。


「もしかしてマスター、朝ごはんを食べてないのですか?」

「……バレた? ちょっと昨晩から色々と忙しくてね……」


 決して嘘は言ってない。

 昨晩は奈々未ちゃんとの攻防でかなり忙しかった。それも解放感で朝食すら忘れてしまうほどの。

 でもこうやって隠しても後ですぐ広まるんだろうなぁ……。


「丁度よかったです。 でしたらいいものがありますよ。灯さん」

「はい!」

「いいもの……?」


 彼女がポンと手を叩いて灯の名を呼ぶと、少し離れた位置で見守っていた灯が待ってましたと言わんばかりでこちらに近寄ってくる。

 ドンッ!と勢いよくテーブルに乗せられるのはさっきまで彼女が持っていた大きな紙袋。

 なんだこれ? 紙袋にしては随分と幅も奥行きもあるけれど。


「マスターのことです。どうせ元旦でも適当な食事をするだろうと思って、用意してきました!」

「こ、これは……!」


 バサッと綺麗に大きな謎の物体から紙袋を抜いて見えたモノに、思わず俺も感嘆の声を上げる。


 それは幾つもの四角い箱が積み重なった、黒い箱。

 3方向がおよそ20センチほどにもなる真四角の立方体は、正月という特異性も相まって一目でどういうものか理解できた。


「もしかして……おせち!?」

「はい! 感謝してくださいよ。お泊りのあと随分と苦労したんですから!」


 テーブルに鎮座するは黒い箱が3段重なった、重々しい雰囲気の箱。

 間違いなく重箱だった。そして正月、重箱といえば言うまでもない。おせちだ。


 いやぁ、こちらで暮らすにあたって真っ先に諦めたおせちが目の前にあるなんて!

 冷食もインスタントも飽和した現代。一人暮らしだと確実に選択肢から外して今の今まで存在すら忘れていたその物体に、思わず俺の目も輝いてしまう。


「灯が作ってれたの!?」

「はい!……って言いたいところですが、一部です。 大半はお父さんが準備してくれました」

「ぁっ――――――」


 オトウ……サン?


 彼女の口から出るまさかの言葉に輝いていた瞳がスンッと色を失っていく。

 お父さんと言えば、最近会ったあの?長身で、身体も出来上がってて、日が落ちるまで俺の拳を受けてたあの?


「そ、その……一部の比率は?」

「そうですねぇ……さすがにおせちは難しかったので8対2ってところでしょうか。 もちろん私が2割ですよ」


 一抹の希望すら失われた言葉に俺の目は漆黒を帯びていく。


 そっか……8割か……。

 プロボクサーである灯のお父さん。肉体を作る人って食事もなかなかストイックだと聞く。毎日ササミとブロッコリーだとか、生卵飲んだりだとか。

 それとも中にダンベルやバーベルの重りとか入ってるかもしれない。これで身体鍛えろって!


「そ、その……徹夜明けに筋トレは難しいかなって……」

「筋トレ?何言ってるんですか? 何でも良いので好きなの食べてください」

「えっ!?もう!? また覚悟が――――って、あれ……?」


 俺の言葉など意を介さずに問答無用で開けていく蓋に思わず目を瞑っていく。

 その後そーっと覗いて見えたその光景に、まさかと言葉が漏れ出てしまった。


 蓋を開けて見えた光景は、これまた見事なおせちであった。

 海老やかまぼこ、玉子や黒豆など、おせちとなえばこれ!と言えるような色とりどりの料理が所狭しと並べられていた。

 まさに宝石箱。キラキラと光って見えるその光景に、目を奪われてしまう。


「伊達巻などは私も難しかったですが、数の子や黒豆など頑張って煮付けたんですからね!」


 フンッ!と誇らしげに鼻を鳴らす彼女は本当に頑張ったようだ。

 そっか……この料理を灯が……。なんだかさっきの勘違いが恥ずかしくなってくる。


「……ありがとう。頂くよ」

「はい! まず何から頂きます?」

「うんと……じゃあ作ってくれた数の子を――――って、あれ?」


 せっかく作ってくれたのならそれを食べなきゃ相手に悪い。そう思って数の子に狙いを絞ったものの、さすがにそれだけじゃ食べることができない。

 目の前にも、俺の手の内にも肝心のお箸が無いのだ。あれがなければ食材を持ち上げることができない。まさか忘れたのかと灯へと視線を向けるとそこには俺の求める割り箸が1本握られていた。


「灯、そのお箸くれない? 食べられないんだけど……」

「ダメです。私が用意するのでちょっと待ってください」


 まさかの拒否。そしてパキッと割って見せる手の内の割り箸。

 もしかして……またあ~んコース!?あ~んじゃないとおせちも食べられないの!?


「んっ……! ん~ん!」

「………………なにそれ?」

「ん!!」


 え、なにそれは……。

 まさかあ~んだと思って身構えていると、彼女は数の子の端を加えたと思ったらこちらに口を突き出してきた。

 ……どうしろと?


「マスター、ポッキーゲームですよ。ポッキーゲーム」

「!?」


 ポッキーゲーム!?これが!?

 アレでも10センチは軽く超えてるやつだけど眼の前のヤツって数の子だよ!?5センチ程度しかないよ!?

 そんなので咥えたら即ゲーム終了じゃん!!


「んんんー!」


 『マスター!』のイントネーションで語りかけてくる彼女の眉はつり上がっており、明らかに急かしているようだった。 

 真横には伶実ちゃんがニコニコと立ってるし……これ、逃げ場なくない?


「……しょうがないか。 ――――んっ」

「んっ…………」


 チュッと。

 一瞬だけ口の先が触れる程度の軽いキス。と、同時に口内には数の子のプチプチ感と塩っ気が広がっていく。

 これで……どうかな?セーフ?


「しょうがないですね、マスターは。 これで許してあげますよ」

「良かった……。じゃあ、お箸もうくれない?」

「まだです」


 まだなの!?まだやるって心臓が持たないんだけど!!


「あと1回ですのでがんばってください。 伶実先輩、はい」

「ありがとうございます灯さん。 さ、次は私ですよっ!」


 追撃をするように位置を交代した彼女たちは、今度は伶実ちゃんが意気揚々とお箸を受け取っておせちから1つの食材をセレクトする。

 それは田作り。イワシの小さくて固いやつだ。今回はさっきの数の子よりも更に短く、3センチほどの物を口の先にチョコンと突き出す。


「んっ!」

「……まじか」


 それ、ポッキーゲームとして破綻してるよね。

 そんなことはお構いなしの様子で楽しげに俺を待っている伶実ちゃん。これは腹をくくるしかないか。


「…………んっ」


 ガブッとその田作りの端を噛みながら奪い、それだけだと不完全燃焼だと分かりきっていた俺は一瞬だけ触れるキスをする。


「―――伶実ちゃん、合格?」

「あ、はい。ありがとうございます! うふふ……」


 そんな一瞬のキスであれど彼女は満足したように頬に手を触れながら俺にお箸を渡してくれる。

 何だろ……この怒涛の数日で俺の感性バグったかな?物足りないかと思った俺は杞憂だったか。


「それじゃあ、いただき――――」

「あ、マスター。 食べ終わったらでいいのでまた私にもお願いします。 今度は灯さんの家でのような、熱いキッスを」

「…………はい」


 やはり、あの日のことを聞いた彼女にとっては、先程の触れるキスでは物足りなかったようだ。

 椅子を移動させて隣に寄り添ってくる2人に俺は小さく縮こまる。


 そんな中で口にするおせちはもちろん美味しく、雰囲気からか甘くて、甘くて、甘い、そんなおせちだった。

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