055.100回先も


『このつぶて石は古来より神が投げた石とされ、落ちた場所をもとに社が―――――』


 テレビより温和な声が部屋の中を賑わせ、それを俺はボーっと死んだ目で見続けている。

 壁にかけられた大きなテレビ。流れている番組は日本各地の神社の紹介だ。

 別にこれが趣味だから見ている訳では無い。ただなんとなく、ボーっとできるような番組を探していたら自然と行き着いただけだ。


 そんな毒にも薬にもならない画面をソファーに座りながらウトウト眺めていると、コトリと目の前にある膝高ほどのテーブルに何かが置かれるような音に気が付いた。

 自然とつられるようにテレビからテーブルへ視線を下げると人の顔ほどもある大きな器が。


「……そば?」


 テーブルに置かれたのはよく見る普通のどんぶり。そして中身は細い麺に茶色がかったお汁が収められていた。

 更にネギなど薬味はさることながらエビの天ぷらまでも添えられている。これは言うまでもない。お蕎麦だ。


「年越しそば作ってみたの。食べよ?」


 隣に同じものが入った小さめの器を置いて座ったのは、もちろん奈々未ちゃん。


 そっか、もうそんな時間か。

 近くにある壁掛け時計に目をやればもう23時も50分を過ぎ去ろうというところ。

 随分と長くボーっとしていたようだ。もしかしたら軽く寝ていたのかもしれない。


「ありがとう……あれ、奈々未ちゃんお風呂入った?」

「ん。 お気に入りのパジャマ。どう?可愛い?」


 隣にすわる彼女からいつもとは違う香りにつられてその姿を目に収めれば、明らかにお風呂上がりといった様相であった。

 長く垂らしていた白い髪はヘアターバンを使い器用に纏められ、私服だったその姿は水色のシルク製パジャマを身にまといいつもと違った雰囲気を醸し出していた。

 白く楚々とした雰囲気は崩さないものの、額や首筋は上げた髪に寄って肌を晒し、濡れて火照った身体がえもいえぬ妖艶な雰囲気すら生み出している気がする。


 まさしくお風呂効果とでも言うのだろうか。普段からいい香りがするのにまた別の香りを一層強く纏った奈々未ちゃんは俺の隣にピッタリくっついて返事を待つようにこちらをジッと見つめてくる。


「もちろん。すごく可愛いよ」

「……ありがと」


 そんな彼女の細い首筋や小さな耳に手を触れると、目を細めつつ自ら押し付けてくる。

 シンプルながら歯に浮くような台詞だが、これまでの4人の彼女たちのことを考えると下手に抵抗する気を失ってしまった。

 連日の掃除で疲れたというのもある。そしてもう数分で年越し、俺の心も少し浮足立っているのかもしれない。


「……結局、おじいさんたちは帰ってこれないんだよね?」

「うん。 さっき連絡あったけど向こうで楽しくやってるみたい」


 そっか……。じゃあやっぱり朝まで無理そうか。


 あれから、俺がここに留まることが決まっておよそ6時間。

 年越し前に戻ってくるというおじいさんは結局戻ってくることはなかった。

 どうも出かけたのは業界関係者の年越しパーティーに顔を出したみたいで、すぐ帰る予定だったはずが帰れなくなったらしい。

 2人の年的に大丈夫かと心配が頭を過ぎったが奈々未ちゃんによると全くもって心配いらないようだ。

 相変わらずパワフルな2人だこと。あれならまだまだ長いこと元気でいられそうだ。


 とりあえずおじいさんらの動向がわかってホッとしたが、それと同時に帰ってくるまで一緒にいるという俺の約束は、朝まで続くことが確定した。

 前も灯の家に泊まったしもう仕方ない。付き合えるところまで付き合ってやろうと半分開き直っているのが今の状況である。


「マスターさん、食べないの?伸びちゃうよ」

「あ、あぁ。 食べる食べる」


 少し物思いに耽っていたようだ。

 気づけば彼女はもう蕎麦を食べ進めていて俺も慌てて口をつけ始める。


 あぁ……優しい味だ。

 かつお出汁だろうか。しっかりと味が出て蕎麦や周りの具材の味をうまく引き出してくれている。

 それにえび天から溶けた衣もいい。天かすとはちがった食感が食べる者を飽きさせずにどんどんお箸が進んでいく。


「えっ……あれ、なくなっちゃった……」


 もしかしたら自分でも無意識下で空腹だったのだろうか。

 一度すすった麺はどんどん喉を通り過ぎ、気づけば器の中のものはすっかり食べ尽くされてしまっていた。

 お蕎麦が少なかったわけではない。ただ俺が一心不乱に食べ続けてしまっただけ。

 少し寂しい気になりながらもお汁だけになったお蕎麦をテーブルに置くと、ポスンと肩に奈々未ちゃんが寄りかかってきた。


「美味しかった?」

「うん。すっごく。 美味しすぎて一瞬でなくなってたよ」

「よかった……お出汁から頑張ったかいがあった。 おかわりもあるけど……いる?」

「!!」


 おかわり!?

 まさかの提案に思わず俺の目は大きく見開く。

 それに出汁からか……それは美味しいはずだ。これまで食べた中で圧倒的に一番だったもの。


「でも、おかわりは年越してから……ね?」

「へ? あぁ……そうだね」


 スッと彼女が指を差したさきにある時計には、長針が既に”11”を越えてしまっていた。

 残り5分。5分で本年とおさらばし新年の幕開けだ。


 ここまで来たら俺の年越しは奈々未ちゃんと一緒に過ごすことが確定だろう。

 最初は一人で年を越すつもりだったが思わぬ展開で2人での年越しとなってしまった。

 でもまぁ、こういう日もいいだろう。後で知った優佳あたりは怒るかもしれないが、それはまたどうにかすれば良い。


「……マスターさん」

「うん?」

「これから先、二人きりでもみんなとでもいいけど、あと100回はこうやって一緒に年越しをしたいね」

「100回ってあと100年? それは……頑張らないといけないなぁ」

「ん。私も頑張るからマスターさんも頑張って」


 ソファーに放り投げていた手にそっと彼女の手が差し込まれると、奈々未ちゃんはテレビに視線を向けながら小さくつぶやき、俺は苦笑する。

 100年か。それだともう120歳になっちゃってるな。でもまぁ、みんなと一緒ならそれも悪くないかもしれない。


「……あと1分だね」

「うん……」


 無言の空間にテレビだけが明るく盛り立てようと色々な音を発している。

 時刻は23時59分。あと1分、秒針が1周回ったら新年だ。

 手を握りあった俺たちは無言でその時を待つ。どちらもまっすぐテレビを見たまま、カウントダウンするその画面を。



 ――――きっと、それは俺のふとした出来心だろう。

 年越しという特別感、何の邪魔も入らない二人きりの家、肩を寄せ合っているその雰囲気。


「…………奈々未ちゃん、ちょっと」

「? なぁに――――」


 30秒を過ぎ、50秒へ。

 あとほんの数瞬で0時のタイミングで俺は行動を起こした。

 彼女の名を呼び、その顔がこちらを向いた瞬間その肩を引き寄せ自らのもとへ。


 有無を言わせなかった。

 少し驚いたように軽く目を開いた彼女を構うこと無く俺はその唇めがけて自らの唇を触れさせにいった。


「――――――」


 奈々未ちゃんとの初めてのキス。

 彼女のプルンとした唇が俺に触れ、息を呑むような驚きの声すら塞ぐように俺たちは余すこと無く密着する。

 小さく、折れてしまいそうな身体。そんな身体をそっと抱きしめ彼女の体温を、感触を、心を、その全てを一身で受け止める。


 それは年を越すように行われた。耳に届くはテレビから発せられる新年を祝うような声。

 少し薄目を開けて彼女の様子を伺えば、普段より数割増しで目を見開いているものの、その手はそっと胸元に触れられているだけで抵抗する様子はない。

 嫌がられるかとも思ったが抵抗の意思のない彼女に安堵を覚えつつ、俺はゆっくりと彼女と距離を取っていく。


「ごめんね突然。奈々未ちゃん、新年あけまして――――ムグゥ!!」


 ちょっとしたサプライズ。

 新年を越える瞬間の小さな記念…………のハズだった。


 しかし彼女にとって初めてのキスを終えて笑いかけると、奈々未ちゃんは枷が解けたように動き出した。

 一瞬のうちに俺の頭に手をやって再び互いの距離をゼロにし、またもキスをする。


 さっきと違うのは2点だけ。その2点が大きかった。

 まず俺からのキスではなく彼女からのキスとのこと。そしてもう一つは、触れた瞬間こじ開けるように彼女の舌が入ってきたことだ。


「ん~~~~!!」


 目を見開いて驚きの声を上げるもそれにとってなにかが変わることもない。

 ただただ俺の口内を、歯を、舌を、全てを彼女の舌が駆けずり回り、蹂躙していく。

 あまりにも深いディープキス。満足したのかそれを終えて2人の距離が離れる頃にはお互いの口から一筋の橋が長く伸びていくのが見て取れた。


「なっ……奈々未ちゃん……!?」

「マスターさんが……マスターさんが悪いんだよ……。 満足してたのに……横に居るだけで満足してたのに、ファーストキス奪って、その悦びを教えちゃったから……」

「ちょっと奈々未ちゃん……?目が……目が怖いよ……?」

「うふふ……。 マスターさん、これから覚悟しててね」

「えっ……あっ…………やっ………!」


 それからのことは、殆ど記憶が残っていない。

 ただ覚えているのは彼女のキス口撃・・によって散々蹂躙されたものの、貞操だけは護りきったことだけだった。

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