053.乙女ルート
さて、まずは換気扇の掃除からだ。
大晦日に行われる大掃除。その中身は窓拭きやトイレ・お風呂掃除など家中に渡るためかなりの種類になるが、その中でもトップクラスといっていいほど面倒くさく後回しにされがちなものが、換気扇の掃除だ。
淀んだ空気などを吸い込んで新鮮な空気を部屋に送り込む重要な設備。換気扇。
そこを放置するととんでもない状況になるのは明白だ。
淀んだ空気に加えて常日頃から浮遊している埃、場所によっては油なども吸い込むためファンなんかはヌルヌルのベトベトになっている。
俺もここの掃除は何度も……そもそも昨日実家のリビングを掃除したからその惨状はよく理解しているつもりだ。
これまで毎年やってきたがいつも大変な思いをしていた。いつも来年に持ち越そうなどと考えるが、もっと悲惨なことになるのは目に見えているため渋々掃除を毎回行っている。
ちなみに今日呼ばれたのも換気扇の掃除が主な理由だった。
おじいさんとおばあさん、そして奈々未ちゃんしかいない家。確かにこの高さの掃除は無理があるだろうとファンを取り外しながら理解する。
唯一の男手であるおじいさんは夏に腰をやっているし、そもそも年齢が年齢だ。無理もできない。他の子たちは父親がいるのに比べてこちらでの掃除は大変だろう。俺を呼ぶのも理解できる。
「奈々未ちゃん、重曹ってある? あとお湯も」
「ん。 ちゃんと準備してる」
「ありがと」
しばらく換気扇の分解で格闘していたが、下を見れば奈々未ちゃんが必要な物を準備してくれていた。
早々に取り外したものを突っ込んでいき残る課題は外側だ。これらはスポンジを使ってと……
「マスターさん、疲れてない?」
「へ? もちろん。まだ外しただけだしね」
「ううん、そうじゃなくって……。 ちょっと前は灯さんの家でボクシングして、昨日はご実家で大掃除したって聞いたから……」
「あぁ……」
そっか。
女性陣はよく連絡取り合ってるっていつの日か言っていたな。
今もしてるということは仲良くて喜ばしい。こう言っては不適切かもしれないが「私のために争わないで!」案件になってしまったらもう目も当てられない。
…………ん?
ちょっとまてよ。みんなはよく連絡取り合ってる。そしてさっき彼女自身が言っていたように灯の家に行ったことは知っている。
つまり、アレだ。もしかしてその後のことも知ってたり…………?
「……ねぇ、もしかして奈々未ちゃんはその後のこと……灯の家でボクシングした後のことは、聞いてたり……?」
ドクンど一度心臓が高鳴る音が手を触れて無くても聞こえてくる。
頼む……!灯……ややこしいことになるから言ってないでくれ……!
「その後のこと……もしかして、マスターが灯さんとイチャイチャチュッチュしてたこと?」
やっぱり聞いてたぁぁぁぁ!!
ってことは昨日優佳と会ったときもその前にみんなと会った時も全部筒抜けだったってことなの!?その上で平然としてたってこと!?
なんだろう、仲いいことは美しいことのハズなのに末恐ろしくもある。これ、いずれ俺のプライバシーゼロにならないよね?
ゴシゴシとスポンジで換気扇を拭いていくも下にいる奈々未ちゃんを見ることができない。
起こっているのか悲しんでいるのか、その声色からは判断ができなかった。
「えっ……えっと、それはね。ボクシングで疲れ切ってたところに放り込まれたというかなんというか……」
必死に頭を回転させながら良い言い訳を探すも全く出てこない。
むしろアレはライオンの檻に動けなくなった餌を放り込まれたとかそんな感じだ。
いや、灯に対してライオンというのは随分な物言いか。だったら猫?猫だったら俺に位置するものはなんだろう。またたび?
「マスターさん、私はそういうの気にしてないよ。 他の3人とのことだって聞いてるし。キスしたんでしょう?」
「う、うん……」
あの3人のことも知っていたか……。
もしかしたら灯もこのルートでキスしたことを知ってあんな行動を起こしたのかもしれない。
全ての汚れを落としきり、ゆっくりと脚立を降りた俺は奈々未ちゃんと向かい合う。
真っ白な髪に少しだけ眠たげな瞳。憂いているような、いつもどおりのような、そんな表情をした彼女はそっと油まみれになっている俺の手を取って胸元に引き寄せた。
「なっ……奈々未ちゃん! 今は油が……!」
「コレくらい、洗えば平気。 マスターさん、もしかして他の子とキスしたから怒ってると思った?それなら心外」
手も服も油が移って汚れてしまうのを厭わずに引き寄せた彼女は、ムッと怒りの表情を浮かべて俺をにらみつける。
「私、前にも言った。本気にならないなら浮気でも肯定派だって。だからマスターが遊びで付き合っても気にしないし、そもそもみんなは恋人。何を後ろめたいことがあるの?」
「それは――――」
「――――それに」
俺が言い出すよりも早く、彼女は距離を詰めて言葉を重ねる。
「それに、私は最後に隣にいてくれればそれでいいの。マスターさんのことを最後まで愛するのは私だから」
「………………」
彼女の真っ直ぐな。淀みのない目が俺を射抜く。
汚れるにもかかわらずギュッと両手を包み微笑まれる。
「奈々未ちゃん……」
「でも、ちょっとは私のこともかまわないと、寂しい……よ?」
コテンと首をかしげて笑いかける仕草に俺も思わず笑みが溢れる。
すると彼女はポスンと胸に収まり、その小さな顔を見上げてきた。
「ね? マスターさん、面倒くさい私だけど、よろしくね?」
「……あぁ、もちろん。 こんな面倒くさくても可愛い彼女を持って俺も幸せだよ」
「…………ん」
コテンと頭も俺に預け、全身をひっつけてくれる奈々未ちゃん。
触れるわけにもいかないが抱きしめたいこの心情。どうすることもできなくなった俺がふと外に視線を送るととあることに気がついた。
「…………あれ?」
「どうしたの?」
「いや、おじいさんとおばあさんは?」
気づかなかった。
よく見れば俺と奈々未ちゃん以外誰も人が居ない。
そういえば掃除道具を用意してくれて以降おじいさんとおばあさんの姿が無い。一体どこに行ったんだ?
「ホントだ……。マスターさん、アレ」
「……あんなの、あったっけ?」
「無かったと思う。 持ってくるね」
辺りを見渡せば食事をするであろうテーブルに一枚の紙が置かれていた。
あんなの俺が来た時になかった。代わりに取りに行ってくれている彼女がその紙を拾い上げると、クスッと笑ってこちらに駆け寄ってくる。
「2人からの伝言だった。マスターさんに」
「俺に? なになに……『2人の世界を作ってるようなので、しばらく出かけます。3時間ほど帰ってこないのでご自由に』。 おじいさん……」
なんて……なんて物を残すんだ……。
確かにその通りだけど……間違ってはなかったけどそれはやりすぎですよぉ……
心なしか上機嫌な奈々未ちゃんと呆れる俺。
その両極端な反応は、換気扇漬け置きのタイマーが鳴るまで続くのであった。
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