052.師走の大晦日
師走――――
それは昔、師匠が慌ただしく走り回るほど忙しいというところから生まれた言葉らしい。
年を越すまでの最後の期間。忙しいのは現代にも当てはまり、企業によっては年末進行とか年末商戦とか年末即売会とか様々な理由がある。
理由として忙しくなるのは、総じて気持ちよく新しい年を迎えるために尽きる。
今でこそ失われつつあるが、年末もクリスマスと同様に大切な人と一緒に過ごす。そのための忙しさだ。
特に今日……31日なんて相当だ。
大晦日。世間一般には大掃除をする日。
今年の汚れを来年に引き継がないということらしく、店にはお掃除グッズが大量に並べられるのを先日見た。
そんな忙しい12月31日だが、俺と言えば何もない普通の日である。
客の来ない喫茶店に年末年始の特別メニューや年末商戦なんてものもあるはずがなく、いつもどおりの日常。いつもどおりの明日。
ただ変わるというのは西暦の数字が一個増えるだけだ。多少書類作成時にミスは増えるが、それ以外になんの影響も無い。
重ねて言えば今日は年越しの瞬間でさえあっても恋人たちとの予定は一切組まれていない。
クリスマスにお泊りという無茶をした分、年越しくらいは家族と過ごしてほしいからだ。
もちろんみんな……特に優佳がブーブー言っていたがそんなの知ったこっちゃない。最後には全員納得してもらい、それぞれの家庭で新しい一年を迎える手筈だ。
俺といえば閉店までのんびり過ごし、夕飯にはちょっといいお蕎麦。そしてタブレットで生放送でも見ながら年越しを。そんな一分の隙もない完璧な計画――――だった。
そう、完璧な計画だったのだ。
俺のカビ生えた脳内ではじき出した計算では。
「マスターさん、コレを向こうの部屋にお願いできますか?」
「あ、は~い!ただいま!」
「それじゃあマスターさん、私ところにあるものもお願いしようかねぇ」
「わかりました~!」
しかし現実は意気軒昂といった様子で答える俺は右へ走って左へ走って。
まさに師走を体現するかのように忙しく走り回っていた。
こうなったのにも理由があるのだ。
今回も、ほんの少しだけ時を遡る――――
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それは大晦日という今年最後の日にもかかわらず開店をして来るわけのない客をノンビリと待っている時に始まった。
事件はいつも突然やってくる。もちろん、俺の不意を突くように。
「マスターさんっ! 大変……!大変なの……!!」
「っ……!? なにがあった!?」
ふあぁぁ。とあくびをしている時に大慌てで扉を開けたのは今をときめくアイドル、奈々未ちゃん。
勢いよく扉を開いた彼女はその狼狽を体現するかのようにいつも外出る時に着用していたコートすら忘れてしまっている。
「いいから……!お願い……!早く私の家に……」
「わっ……!わかった!!」
その様子にただ事ではないと感じ取った俺は慌てて店の火を落として先導する彼女のあとを走っていく。
知らない小道を右へ左へ迷うこと無く突き進む彼女にその後姿を必死についていく俺。
もしかして数日前にやったボクシングの成果が出ているのだろうか。普段ならもうバテて止まってしまうところがまだ足が動く。
運動した当日は疲労で、後日は筋肉痛で動けなくなったがその成果が出たことに驚きつつ走っていくと、彼女はとある建物の家で立ち止まった。
店から5分とかからず着いた場所は、これまた人の入って来にくい小道にある和モダンの小豆色に近い建物だった。
左奥だけピョコンと2階が見えるものの、建物の概ねは平屋というこれまた綺麗なお家。
建物だけでなく庭まで完備されていて、玄関に続く歩道とガレージに続く車道の間には色鮮やかな花々や小さい木が設置されている。
「マスターさん、この先だから」
「あ、あぁ!」
思わずその綺麗な家に見とれかけたが彼女の言葉によって意識を取り戻して再度追っていく。
「ただいま……」
「お、お邪魔します」
少し緊張しながら入った玄関は、これまた外観からの期待を裏切らない見事な和だった。
左右にはガラスの張られた襖があり、正面はガラスの窓越しに中庭らしき立派な自然が見えている。
全く余計なものがない、シンプルな部屋。遥の家も日本家屋といった様子だったが、あちらは伝統という言葉が似合っていて、奈々未ちゃんの家は最新の……スタイリッシュなどといった言葉が似合いそうだ。
って、そうじゃない。今は緊急だ。
なんだか入った時の挨拶がやけに落ち着いてた気がするけど、とりあえず行かなきゃ。
「ここ……マスターさん、おねがい」
「う、うん…………」
示されたのは玄関入って右側すぐにある、襖で閉じられた部屋。
彼女に促されるまま開けていくと、そこはリビングのようで広い部屋が広がっていた。
黒いテーブルに黒い椅子。まさしくモダンな雰囲気の家具で統一されていてムダもなくまさに憧れのリビングといった部屋だ。
遠くに見えるキッチンもこれまた黒でしかもアイランド型。壁際にはこちらも料理できそうなフリースペースがあり、竹格子の引き戸と2mほどあるウォールキャビネットがオシャレな空間を演出していた。
そんな中、キッチンを取り囲むようにおじいさんとおばあさんが立っていることに気づいた俺は慌てて2人の側まで駆け寄っていく。
「すみませんおまたせしました!何がありましたか!?」
「おぉ、マスターさん。 よくきたのぉ。手伝ってくれるのかえ?」
「はい……!……はい?手伝う?」
手伝うって……何のことだ?
よく見れば2人の表情は穏やかなもので何も切羽詰まった様子を見せていない。
でも慌てて呼び出された。これが示す答えは――――
「あの……すみません。コレって何をすれば?」
「うん?家の大掃除を手伝ってくれるんじゃないのかえ?」
「…………奈々未ちゃん」
「ん。 ごめん、マスターに来てほしくってちょっとだけ演技した」
「やっぱり……」
まさかと思って確認を取ると案の定、奈々未ちゃんに一杯食わされたというわけだ。
思わず力が抜けて近くの椅子に座ると後ろから抱きついてくる奈々未ちゃん。彼女は肩から顔を出しつつ俺と目を合わせる。
「別に演技しなくても掃除くらい来たのに……」
「……昨日、優佳さんが食い下がっても拒否してたから。私が言っても駄目かなって……。ゴメンね、マスターさん」
そっか、昨日の優佳とのやり取りを見ていたから。
思い出されるは昨日のこと。
優佳が何度も実家に呼ぼうとしたのを俺が徹底して拒否したのだ。
彼女は久しぶりに家でゆっくりと言っていたがその魂胆も知っている。自室の大掃除を手伝わせたいだけなのだ。
これまで何度も、毎年にわたって優佳の部屋の掃除をやってきた。むしろ俺がメインでやっていたと言ってもいい。だから今回は予防も兼ねて拒否したわけだがそれがかえって気後れさせてしまったか。
「マスターさん……怒ってる?」
「ううん、全然。 むしろ頼ってもらえて嬉しいよ」
「ん……ありがと、マスターさん。大好き」
肩から覗かせる彼女の頭をそっと手で抱き寄せると、気持ちよさそうに目を細めて首元に顔を埋めてくれる。
完全に身を委ねて甘えてくれる奈々未ちゃん。スルスルと通る白い髪はまさしく絹のようだ。
「……さて、それじゃあ大掃除、頑張りますかね!」
「私も……手伝うから……!」
「頼りにしてるよ。奈々未ちゃん」
「ん……! えへへ……」
気を改めて立ち上がると隣に立つ彼女も小さく握りこぶしを作って見せる。
そんな様子が可愛くてふと頭を撫でると、これまた破顔させて嬉しそうな表情を見せてくれる。 可愛い。
おっと、そうじゃない。掃除しないと。
俺は腕まくりして彼女とともにキッチンへ向かう。それは忙しい一日の始まりでもあった。
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