051.オオゲンカ?


「ごめんなさいねぇ。お構いもできずに」

「こちらこそすぐに挨拶もできずお邪魔してすみません」


 顔を出した太陽がどんどん上昇を続け、もう数時間でテッペンにたどり着くというところ。

 俺は家の前で灯とともに彼女の両親と向かい合っていた。


「そんな事気にしなくっていいのに。 灯とよろしくやってたんでしょ?若いわねぇ」

「いえ、よろしくなんてことはまったくなく……。 それに、灯さんのお母様も十分若いのでは……」

「あらやだ。若い子に褒められちゃったわ。 私もまだまだ捨てたものじゃないものねぇ」

「…………! …………!」


 ドスッ!ドスッ!

 と、くぐもりつつも軽快な音が聞こえてくる。

 その音の発生源は灯の母親。そして発生場所は父親の横腹だ。


 ほんの少し言い回しが年寄りめいているが、彼女の容姿も十分に若い。

 長い、腰まで届くストレートの黒髪。そして全体的に細く、スレンダーが最も適した灯の母親。まさに娘の灯をおしとやかに成長させた姿といった感じだ。

 しかし繰り出す拳はなかなかのもので、いい快音を鳴らしている。さっきから「オホホホ」と言いつつ父親の脇腹を殴っているが、当の父親は効いてるのか効いていないのか無表情で耐えている。


「それより『灯さんのお母様』だなんて他人行儀ね。普通に『お義母さん』でいいのよ?」

「いやぁ……あはは……」


 随分と打ち解けた感もあるが、灯が起きてから今まで、一貫して彼女の対応は変わっていない。


 あの後灯が目を覚ましてから階下に降りると、彼女は快く俺を迎え入れてくれた。

 まるで昔からの付き合いがある家族かのように俺を椅子に座らせ、どんどんと出てくる朝食の数々。

 そのどれもが美味しかったし、昨日の夜何も食べていなかったからいつも以上に食べてしまった。今思えば随分と行儀の悪いことをしたのだが、ニコニコと笑みを浮かべて見守ってくれた灯母には感謝しかない。


 しかし、だからといってその呼び方はまだちょっと……。今朝会ったばかりなのに。


「ほら、お父さんからもなにかないの?私も話したかったのにずっとミット打ちで独占したお父さん? どうせ何の説明もなく始めちゃったんでしょ」

「む……う……」

「総さんも困ったでしょ~。 この人ったらいっつも説明しないんだから~!」


 ゴスッ!ゴスッ!

 と、さっきまで腹部で鳴っていた軽快な音にだんだんと鈍い音も混ざっていく。

 それをひたすら黙って喰らっている彼の表情にも少し陰りが。これツッコミ待ちじゃないよね?


「そ、それについては驚きましたが全然……久しぶりにいい運動にもなりましたし―――」

「そぉ? いい子ね~総くんは~!」

「――――で、でも!」


 言外で父親に攻撃を続ける母親は微笑みながら褒めてくるのを俺は被せるように言葉を紡ぐ。


 いい運動になったのは本当だ。説明がなかったのも灯の策略が絡んでいたということで納得している。

 だが、2人に会ってからは絶対に聞かなければならないことがあったのだ。たとえ殴られても、文句の言えない問いを。


「でも……よかったのですか? その……灯さんと私がそういう関係というのは……」

「そういう関係って?」

「えっと……恋人同士……です」


 口火を切った俺の心臓は早く、そして強く鳴っている。昨日の激しい運動の後のような、飛び出してしまうのではないかと思うくらいの高鳴りだ。

 しかし、灯に好きだと言った以上。付き合った以上。キスをした以上。このことは聞かなければならない。


 青空の下、本題をを切り出したことによって今まで穏やかだった空気がピンと張り詰める。

 灯の表情は見えず、父親は目をつむって無言のまま。そして母親は笑みを崩さないが、目は笑っていない状態で俺を見つめる。


「その口ぶりだと、随分と後ろめたい事があるようね。聞かせてもらっても?」

「……はい」


 俺は彼女との関係を、包み隠さず答える。

 年の差が開きすぎてること。そして大事なもう一つ、複数の女性を付き合っていること。



「――――なるほど。それと?」

「……えっ?」


 灯と付き合う上で大事な2点を隠さず伝えたものの、更に求められて思わず目を丸くする。

 それと……それとなんだ?他になにか伝えるべきことがあったのか?


 もしかして、昨晩キスしたことか!?いやいや、さすがにそれは無いでしょう。

 一線を越えたか気になってるとか?うぅん、ありえなくもない話だ。


「他にあるんじゃないの? もう既に2人の子を身ごもってるとか」

「みご……!? い……いやいやいや!ない!ないですって!そういうことは一切やってませんっ!!」


 昼前の外で何言ってるの!?一線どころかもう1段階上!?

 そういうことは一切ないから!俺は誰とも経験してないから……してないよね灯!?寝込み襲ってないよね!?


「なぁんだ。つまんない。 改まったからもっと面白いことかと思ったんだけどなぁ~」

「面白いって……」


 そんな、さっき伝えたことでも随分とショッキングだと思ったけど、つまんないのか……。

 全く予想していなかった反応に困惑していると、ふとポンと胸を叩かれたと思ったら母親の腕が伸び、ウインクしている。


「気にしないで頂戴。娘から全部聞いてたもの。 最初はビックリしたけど私は賛成よ。でも……」

「でも…………?」


 さっきまで笑みを浮かべていた彼女は段々と視線を落とし、横に向ける。

 隣りにいるのは今までずっと無言でいた、父親の姿が…………。


「お父さんは大反対だったわね。灯と随分喧嘩になったもの。 ねぇ、お父さん」

「っ――――!」

「…………」


 母親に振られた父親は、腕を組んだまま黙って目を閉じる。

 大反対……喧嘩。当然のことだ。そんな非常識なこと、普通に考えて反対するだろう。むしろ今までが都合の良すぎただけだ。


 しかしそれなら何故、昨日彼は俺を灯の部屋檻の中に突っ込んだのだろう。その言葉と矛盾が生じてしまう。


「ねぇお父さん、どう思ってる?」

「お父さん……」


 再び振られ、灯までもが不安そうな表情で彼を見ている。

 そんな両者の視線を一身に受け、ゆっくりを目を開いた彼はそっと俺の腕を掴み、胸の前に真っ直ぐ伸ばされた。


「この腕の筋力、肩。そして体力。全てにおいて落第だ。ボクシングの才能は全くない」

「……才能?」


 え、才能?

 グッとフォームを取るように腕を伸ばしながら呟く彼に、思わず首をかしげる。

 突然なんだ?才能って……ボクシングの?そりゃあ確かに俺でも無いと思ってるが……。


「ジャブとストレートの違いもわからず、フックも使えない。そして肝心のフォームもなってなかった。これじゃ10年練習したところで時間を浪費するだけだろう」


 随分な言われようだ。

 しかしそれがどうしたのだろう。さっき振られた問いの答えになるのだろうか。


「……しかし、昨日の練習では一切泣き言は言わなかった。 めげずに、夜までひたすら身体を動かしていた」

「…………」

「拳を受ければ相手がどんな者かわかる。最初は理解できなかったが、真っ直ぐな気持ちということは理解できた」

「お父さん……!それって……!」


 結論を急ぐように灯が一歩前に出て問いかける。

 それに答えるよう、彼はゆっくりと頷きながら灯の頭に手を乗せて――――


「灯、お前の好きにしろ。俺からは何も言うことはない」

「……!」


 そんな彼の言葉に灯の目は大きく見開いて俺の手をギュッと握る。

 その言葉は間違いなく了承の言葉だった。否定を肯定に、認めてくれたのだ。


「そもそも部屋に運んだのは俺だ。その時点で気づいただろう。『マスターと二人きりになりたいから協力して』だと?よく喧嘩してる相手に言えたな」

「そうだけど……」

「だから……俺からは何も言うことはない。帰る」


 バタンと。振り返って迷うこと無く家に入っていく。

 その姿はきっと、託してくれたのだろう。しかし『泣かしたら殴る』と暗に背中で言っているような気さえした。


 そして扉が閉まると同時に、俺の懐へなにやらポスッとした衝撃が。

 見れば灯が俺の胸元に強く抱きついていた。


「総さんっ……!私……喧嘩したかいがありました……!洗濯物別々にしたりお父さんのパジャマだけ用意しなかったりして抵抗したかいがありました……!」

「灯……」


 そんな喜びに打ち震える灯だが、俺の心中はちょっと複雑。

 喧嘩ってどんな大事かと思ったけど、そういう感じ……?あ、でも心にきそう。俺が食らったら泣くかも。


 しかし受け入れられたのは俺も嬉しい。満面の笑みで抱きつく彼女にそっと手を回して俺も受け入れる。

 ふと見上げてくる灯。それを受け止める俺。2人の視線は熱を帯び、段々と両者の距離は近くなって――――


「あら。今日はお赤飯かしら?」

「っ――――!!!」


 ―――何もなかった。

 そういえばここは外だ。そして目の前には母親がいたんだった。

 思わぬ呼びかけに俺たちは即座に離れて灯とともにに笑みを向ける。

 俺たちの苦笑いは、母親のウフフとした笑みに決して勝てないのだった。

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