047.挨拶と後悔
いつの世も、恋人の家族へ挨拶しに行くときは緊張するものだ。
俺の両親も、そのまた両親も、果てはもっと先まで遡っても、みんな緊張したことだろう。
世間に自由恋愛が浸透してお見合いというものが廃れつつある現代、挨拶のプレッシャーはより一層高まった気がする。
新しい年を迎えるまであと数日。俺は突然現れた灯とともに、町外れの住宅街へと足を運んでいた。
俺の店から30分ちょっと、電車を使えば行き来できなくもない距離。
駅前の少し栄えた箇所を抜けて家々が並ぶエリア。遥が住むような別格の金持ちエリアと比べるのはおかしいが、ここはここで有名なベッドタウンだ。
コンビニ、スーパー、そして少し離れた位置にショッピングモールなど、ここらだけで十分生活が可能なレベル。
俺も店を出店する際、場所選びで候補に入れたことがある。
結局理想の物件が無かったため、やむなく却下となったのが懐かしい。
そんな人通りも少ない道を俺と遥は2人で歩いて行く。
駅からおよそ8分。そろそろ着く頃か……?
「なぁ灯」
「はい?」
「そういえば俺手土産も何も用意してないが……大丈夫だったのか?」
人様のお家にお邪魔する上で大事な物といえば……そう、手土産だ。
隠れた名店の一品や、予約必須の有名なものなど、手土産と言っても多岐にわたる。
しかし今の俺と言えば手ぶら。オシャレなものどころか何も持っていない。こんなので向かっていいのだろうか。
「構いませんよ。持っていったところでウチの親は食べないでしょうし、逆に嫌がるでしょうから」
あっけらかんと答えるそれはなにやら心なしか呆れ気味。
はて、お土産と言ったらお菓子とかが定番だが、そういうのを一切食べない人たちなのだろうか。甘いもの苦手な人とか?
いや、でも甘味も多岐に渡る昨今、甘いもの苦手でも控えめなものは数多く存在する。一切合切食べないのはあまり考えにくいだろう。
それとも宗教的な?うぅん、灯はウチの店で色々食べてるし、そうとも考えにくいのだが。
「じゃあ、こんな服で良かったか?」
「もちろんです。むしろ私が頼んだんじゃありませんか」
「……そうだったね」
そう確かめるように聞くも、やはり服装も問題なかったようだ。
今の俺の服といえば、上下ジャージにコートを着るだけというラフな……ラフすぎる格好。
もうこんなのでいいのか店でも何度も確認したものだ。これから初めて恋人の親と会うというのにこんなファッションの欠片もない黒ずくめだなんて。
もしかして灯はこういうファッションが好きなのか?
いや、流石にそれはないだろう。彼女自身シンプルにおしゃれだし、今まで言われたことなんて無かった。
「そろそろですよ。 あの角を曲がればすぐです」
「あ、あぁ……」
そんな不安でいっぱいな状況のまま歩いていると、ついに告げられるタイムリミット。
もうたどり着いたのか……たどり着いてしまったのか。
恋人の両親。その顔合わせはここまで緊張するなんて。まだ見えてもないのに手が震えてしまっている。
遥、奈々未ちゃん、あと一応優佳。3人の恋人の親と会ってきたが、ここまで緊張したことはなかった。
それもそうだろう。奈々未ちゃんも遥も、会った当初は恋人という関係になるなんて思いもしなかった。
遥の親と会ったのは勢いそのものだし、父親と会う時もみんながフォローしてくれた。奈々未ちゃんの親……おじいさんらは偶然知り合ったわけだし、優佳は例外。
つまり恋人という前提をもっての顔合わせはこれが初めてと言う訳だ。緊張がやばい。
曲がり角までの最後の家にたどり着き、後は数メートル歩いて90度体を捻れば彼女の家がお目見え――――その寸前で、先導していた灯の足が止まった。
これまで淀みなかった動きが止まり、何か考える素振りを見せたかと思えば180度開店して俺と向かい合う。
そんな彼女の表情は少し心配そうな色を浮かべていた。
「……緊張してます?」
「ま、まぁ。 ちょっとだけ」
ホントはかつてないほど緊張してる。
天才少女の親御さんだ。きっと相当教育熱心な方だろう。なのにこれまでみたいに店に入り浸ってクリスマスにはお泊りまでして、殴り込みに来なかったのが奇跡なレベルだ。
ホントはもっと早くに来たかったのだが、いかんせん色々と都合がね……。
「心配しなくても大丈夫ですよ。 二人とも優しいですし、何よりクリスマスのお泊り許してくれたのがいい証拠じゃないですか」
「まぁ……ね」
優しい……優しいね。
その優しさが灯に向けられていたとしても俺に向くとは限らないんだよなぁ。
確かにお泊りを許してくれたのは救いだ。それがなかったら今すぐ回れ右して逃げていたかもしれない。
「だから安心してください。 きっと歓迎してくれますよ」
「……ありがと、灯。 ちょっと元気出た」
言葉の力とは偉大だ。
こんなシンプルな言葉でも心にストンと落ちるものがある。
確かにまだ緊張はとけきった訳では無いが、いくらか緩和されたような気がした。
「――――まぁあのお泊り。お母さんは許してくれましたけど、お父さんは最後まで反対してましたけどね」
「ぇっ…………ちょっと灯!? それ聞いてないんだけど!!」
「はい、今言いましたので。 さ、行きますよ」
ちょっとまってぇ!!なんで最後の最後にそんなオチつけるの!?
一気に緊張が高まったんだけど!さっきかつてないって言ったのにそれ軽々しく越えるほど心臓高鳴ってるんだけど!!
そんな慌てる俺をよそに先々歩いていき曲がり角に消えていく。
もう……もうここまで来て逃げるなんて無理だろう。それにいい加減、挨拶に行かなければ相手にも不義理だ。
もはや逃げ場なんてない状況。俺は半分ヤケになりながら彼女を追いかける。
「――――着きました。 あの建物です」
「えっ……? あれって――――」
角を曲がってほんの数メートル。彼女の家はそこにあった。
……いや、あれは家と言っていいものだろうか。青い壁に青い看板。壁上部に壁と同じだけ伸びた看板には、なにやら英語が書かれている。
それは外観的にはオシャレなお店といっても過言ではなかった。
外から中は見えないものの、コーヒーでも出してくれそうなオシャレなカフェ風の建物。
しかし、すぐにその考えは間違いだったと理解させられる。その答えは看板にあった。
あまり英語が得意ではない俺。高校のテストも大学だって徹底して英語からは避けるようにした。
しかし苦手といっても全く読めない訳では無い。普通に『PLAY』だって読めるし『FITNESS』だって読める。
だからこそ、わかってしまった。ここはカフェではないと。
あそこに書いてあるのは『BOXING』。日本語に直すと『ボクシング』だ。
「ここが……灯の家?」
「はい。正確には後ろにある一軒家ですけど」
確かに立方形の建物の後ろにはスタンダードな一軒家が見えた。
いや、問題はそこではないだろう。彼女も間違いなく、このオシャレな建物も自分の家だと言った。
「お父さんはジムで待っているようです。 さ、行きますよ」
「うっそぉ…………」
やっぱりジムって言ったよ……間違いなくここボクシングジムじゃん。
苦節20年とちょっと。スポーツは体育の授業が精一杯の俺にとってボクシングの『ボ』の字すら知らない。
そして俺の思いはつゆ知らず、引き続き先導する彼女の後ろを恐る恐る着いていく。
扉をくぐった先は、間違いなくボクシングジムだった。
ダンベルやバーベル、フィットネスバイクなど様々な物が見受けられるがそこに人は誰として見えない。
もしや灯が場所を間違えてホントの家はここではない……!そんな淡い期待も抱いたが、奥からバシッ!!と軽快な音が聞こえてきた。
それは俺もテレビなどで聞いたことがある、サンドバッグを殴りつける音。ここからは見えないが、奥に誰か居る。
「おとうさ~ん。 ただいま~。おとうさ~ん?」
心の準備というものを知らない彼女はそのまま立ち止まること無く建物の奥へ。
そして角を曲がって開けたところ。そこに音の主は立っていた。
「あ、お父さん。 ただいま」
「…………おう」
低い、重低音を響かせて彼はゆっくりと振り返る。
今さっきまでグローブを握ってサンドバッグに打ち込んでいた彼。
髪を茶色に染め、刈り上げた髪型で爽やかさをアピールするその姿は思わず俺が見上げるほどだった。
きっと180はゆうに越えているだろう。体格もよく、眉間にシワを寄せた彼は灯の父親だった――――
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