044.こだわらないもの、こだわるもの


 まるで今朝、日が出てくる前のような静寂に包まれる店内。

 俺はあの時の同じようにソファーへ座り、デジャヴを感じていた。


 朝と違う部分はかなりある。

 今は太陽が燦々と降り注いでいるし雪も降ってない。それになにより、目の前に優佳がいる。

 なのにデジャヴを感じるのはなぜだろう…………いや、わかってる。それは俺と彼女が座る場所のせいだ。


「……なぁ、なんでこっちなんだ? 普通正面じゃない?」

「だって正面にいたらアンタ逃げるじゃない。 それともこんな可愛い子が隣に座られるのイヤなの?そんなことないわよねぇ?」


 自分で可愛いと申すか……。


 ともかく、デジャヴの原因である優佳は朝の伶実ちゃんのように、俺の真隣に位置していた。

 普通に正面で向かい合えばいいものの彼女は座りながら身体を捻って椅子に両手をつき俺をジッと見つめている。

 普段迫られるのは嬉し恥ずかしなんだけど、今回はなんかこう……圧。


「そうだねぇ、キャバクラみたいに際どい格好でお酒ついでくれてたらすっごくよかったんだけどねぇ」

「あら、ご所望なら今すぐ下着になってついであげましょうか?センブリ茶になるけど」


 ヤメテ!センブリ茶って苦くて有名なヤツじゃないっ!!


 でも、冗談に冗談を返してくれるということは怒ってもないということか。

 真面目な雰囲気で切り出されたから怒ってると思ってた。ちょっとだけ一安心。


 ちなみにキャバクラは行ったことがないから想像だ。そもそも学生時代からずっと隣に優佳がいて行けるわけがないだろう。


「でもほら、今開店中だしそろそろお客さんが増える時間――――」

「そんなに繁盛してる店だったかしら? 今月の収支見せてごらんなさい」

「…………」


 収支は……収支はダメだっ!いつものメンバー以外誰も来てないことが露呈してしまうっ!!


「……わかった。 伶実ちゃんと遥のことだったか?」


 これ以上躱し続けていても彼女のボルテージを上げるだけだと悟った俺は諦めて本題に入っていく。

 やはり、問い詰めモードの優佳には勝てそうもないな。


「えぇ、結局どうなの?」

「その前に、知ったのはいつ頃?」

「朝ご飯食べてる時に決まってるじゃない。 明らかに3人の様子が変だったもの」


 やっぱりか…………。

 朝、伶実ちゃんと遥と目を合わせた時は大変だった。

 ばったり会えばそそくさ逃げられるし会話もロクにできないし。


 それでも朝ごはんはみんなで食べようということで店内で囲んだはいいが、その時も大分ぎこちなかった。

 「醤油取って」って伶実ちゃんに言えば無言でスッと納豆と塩を渡された時はどうしようかと思った。その2つでイチから醤油づくりに励めと?

 遥も遥で俺が朝シャンしてる時に危うく突入しかけてたし、色々とてんやわんやな朝だった。


「で、あの2人とキスしたの?」

「そっ……それは…………」


 ここで”うん”と答えるのは簡単だ。

 しかし恥ずかしいやら申し訳ないやら色々な気持ちが絡み合ってうまく口を動かすことができない。

 そんな俺の表情を非と判断したのか、優佳は更に詰め寄ってきて驚いた表情を見せつけてくる。


「まっ……まさか……!? もうえっちまでしちゃったとか!?」

「なぁ――――!? ないない!普通にキスまでだから!!…………あっ…………」


 語るに落ちるとはこのことか。


 あまりに何段も階段を駆け上った彼女の予想に否定するはずみで自然と口が動いてしまった。

 別に隠す気も無かったのだが、思わず”しまった!”と口に手を当てるも彼女の耳にはちゃんと届いていたようで、ゆっくりと距離を取る彼女の口元はニヤリと歪む。


「――――へぇ、やっぱりキスしてたのねぇ」

「あっ……いやっ……これは…………!」


 思わず手をばたつかせながら上手い言い訳を探すも何も出て来ない。

 パニックのまま整理のつかない頭で視線さえも暴れるも、優佳はそれっきりで何もしてこない。

 いつもなら怒るはずなのに今回はただただジッと笑みのまま俺を見ていて、段々と俺の心も冷静さを取り戻していく。


「怒って……ないのか?」

「怒る?なんで?」

「なんでって…………」


 ずっと俺のことが好きだと言ってくれていた優佳だ。

 だからこそ初めてのキスは自分が……そう思ってたのは俺の勘違いだったのだろうか。

 そんな彼女の余裕さに、自らの思考にも冷たい風が舞い込んできて次第に冷静になっていく。


「あぁ、ファーストキスが奪われた~とかそんな感じ?」

「…………ん」

「バカねぇ、そんなのとっくにあたしが奪ったに決まってるじゃない」

「…………んん?」


 ……なんだって?

 なんか聞き逃がせないような言葉が聞こえてきた気がした。

 我が姉はなんて言ったっけな……たしか、ファーストキスはあたしが奪った――――


「えっ!? あっ……あえぇぇぇ!?」

「そりゃ驚くでしょうねぇ。 アンタ、グッスリ気持ちよく眠ってた時だもの」

「いつ!?どこで!?」

「あれは……小学校4年前後だったかしら? アンタが寂しくて泣いてた時、コッソリとね」

「しょうがっ……こう…………?」


 小学4年前後?

 俺が事故に巻き込まれたのは小3の夏だったはず。それで引き取られた時期は……それくらいか。

 つまり、彼女がキスしたっていうのは……


「あの時はキスで泣き止んだ上すっごく気持ちよく寝てたのに、小5になった途端あたしが部屋に入るとアンタってば起きるんだもの。キスできなくなって残念だったわ」


 えっ……いや……さすがにそんな昔の事な上、俺が認識してないんだから覚えてる筈もない。

 でも両親を失って以降、実家で寝てる時に誰かが入ってきたら目覚めるようになったのは覚えてる。

 もしかして、優佳は本当に……?


「いやでも、小学校はノーカンじゃない?」

「そうかしら? あたしは愛情100%でキスしたんだけどなぁ」

「でも俺が覚えてないし……」


 ファーストキスとは何か。どこからが有効か。

 そういうのは考えれば考えるほどドツボにハマる気がする。最終的に赤子が両親とキスしたらファーストキスとなるのか……そういうところまで考えなければならなくなる。


「え~。 仕方ないわねぇ。それじゃあ当時のことはノーカンにしてあげるわよ」

「ふぅ……。でも大丈夫。優佳が心配するようなエッチなことは何も――――」


 フッと――――

 肩の力が抜けて笑顔を向けた途端のことだった。

 一瞬だけ目をつむり視界が闇に覆われたその時、フッと瞼越しに影が差したと思ったらまたも唇への感触が。

 直後に目を開けるとすぐ目の前には優佳の顔があり、現状を認識して目が見開く頃には彼女はスッと距離を取っていく。


 まさしく一瞬の犯行だった。

 俺が気を抜いた直後。その隙にふれるだけのキスをした彼女はフッと笑いかけながらダメ押しのように投げキッスをする。


「それじゃあ、あたしのファーストキスはこれってことで。 大丈夫よ。あたしはアンタが離れないなら順番にこだわらないから」

「…………はは」

「それじゃ、またねっ!ダーリン!」


 そんな最も大人な表情から一転、いたずらっ子のようにウインクと投げキッスをしながら店を出ていく彼女に俺は呆気にとられる。

 と、同時に優佳に勝てる日は来るのだろうかと果てない思いを抱くのであった。

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