042.シリアスになりえない彼女


「れ、み……ちゃん……」


 シンシンと雪の舞い降りるクリスマスの朝。

 未だ太陽の出ていないほどの早い時間に、俺は一人ソファーに座り脱力する。

 閉じているとはいえ窓の直ぐ側にいるものだから冷気が身体に伝わってくるが、そんなものは一切気にならない。


 ただ―――――

 ただただ、さっきの出来事を反芻していた。


 伶実ちゃんからのキスは、それほどまで衝撃の強いものだった。

 たかがキスだろう。とっくに付き合っているのだし、そんな反応だなんて大げさだという側面もあるかもしれない。

 しかし俺にとっては初めてのキスだった。生まれて20数年、これまで恋人がいなかったということも相まってただただ衝撃だった。


 もちろん、嫌だという気持ちは一切無い。むしろ嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 当然だろう。好きな人からのキスだ。嫌なはずがない。

 俺だってこのクリスマスで少しの進展を……キスしようかと思う考えもあった。

 店の外で二人きりだった時も頭をよぎったものの、残念ながらヘタレが発動してで見送ったわけだが……


 だからこそ、彼女からしてくれたことには驚き、嬉しかった。キスとはあれほどまでに満ち足りた気持ちになれるものだったとは。

 そして段々と湧き上がる、申し訳ない気持ち。

 もしかしたら俺が行動しないことにしびれを切らしてしまったのかも。ヘタレだと残念がられてしまったかも。


 二人きりの空間に舞い落ちる雪。

 確かにキスするにはロマンティックな状況だ。だからこそ彼女も行動に起こしたのだろう。

 そんな伶実ちゃんと話そうにも既にこの場を去っている。俺は選択をミスし続けた事実に机に突っ伏しながら頭を抱えた。


 あの時彼女を引き止められたらなぁ……!きっと名誉挽回のチャンスくらいはあったかもしれないのに…………!



 突っ伏したお陰で視界がテーブルの木材いっぱいに広がる中、ついさっきのことを思い出していると、そっと隣に誰かが座ってくる感覚が伝わってきた。

 引っ付くくらい近くで座っているのか、肩同士が引っ付いている。こちらに体重をかけているようで心地よいほどの重みも感じ取れ、その人物自身のものなのかいい香りさえも漂ってくる。

 きっと走り去ってしまった伶実ちゃんが戻ってきてくれたのだろう。こんな早い時間だ。そうそう他の誰かが起きることもないし、この時間差なら伶実ちゃんとすれ違いになるはずだ。


「伶実ちゃん……?」

「…………」


 隣の人物はそんな呼びかけに肩を手で触れるばかりで答える気配を見せない。

 もしかしたら、さっきの今で口に出すのが恥ずかしいのだろうか。その気持ちはわかる。俺も名前を呼ぶだけでも結構恥ずかしい。


 ならばと、俺はそんな恥ずかしがっている彼女と向き合うため、膝を立てて伏せった身体を起こしはじめる。

 わざわざ戻ってきてくれたんだ。ヘタレの俺に1つ言いたいことでもあるのだろう。そう考えながら向き合うため身体を捻ったところで、”彼女”は行動に移した。


「伶実ちゃん、さっきは――――、ん~~~~!!」

「………………!!」


 けれど、俺が彼女の姿を認識することは叶わなかった。

 身体を起こして振り向いた瞬間、頭に手を回され再び訪れる唇への柔らかな感覚。



 ――――それはさっきよりも力強いキスだった。

 後頭部に当てられる手にギュッと力を込め、ただ力強く触れるだけのキス。

 先程より乱雑感は否めなかったが、それでも好きという気持ちは唇を通して伝わってきた。


 思わず目を見開くと、ギュッと強く目を瞑っている姿が目に入った。

 暗いなかかろうじて見えるそれは、サイドテールのように長い髪を1つに纏めた姿。

 胸元には彼女のもつ柔らかな感触が強く伝わり、俺をひたすらに感じようと必死になっている姿。

 その服は……その顔は……その髪は……。間違いなく、さっきまで一緒に居た伶実ちゃんとは違う、2人目の恋人である遥の姿――――


「んっ……んん!?」

「………………!!」


 さっきキスされた伶実ちゃんではない。いまここにいるのは遥だ。

 まさかの彼女の存在に、更に目を見開くも彼女は更に頭を抱く力を込めて唇を離さない。

 しかしきっと彼女は息を止めていたのだろう。限界に近づいているのか、段々と手の力が弱まると同時に接触していた唇も距離を取っていく。


「ぷぁっ……」

「はっ……はる――――」


 唇が離れたのも一瞬のこと。

 たった一瞬の間に酸素を取り込んだ彼女は再び手に力を加え、2度目のキスをする。

 俺にとっては3度目の、彼女にとっては2度目のキス。ただただ力強く押し付けるキスを再び始めた彼女はまたも呼吸が続かなくなるまで俺の頭を押さえつける。



「はぁ……はぁ……。 遥……?」

「ふっ……ふっ……。ますたぁ…………」


 2度目のキスを終えようやく距離を取った俺たちは互いに息も絶え絶えの状況。

 だが目の前に座る彼女は俺の胸に倒れ込んでいてその表情はわからない。


「遥……どうして…………」

「マスター……ズルいよ」

「えっ?」


 ズルい?俺が?

 俺、遥に何かしたか?


 彼女の意図の読めない言葉に頭を悩ませていると、キッと眉のつり上がった彼女の目が俺を射抜く。


「アタシたちが酔っ払ってたり寝てる時にレミミンとイチャイチャして……ズルいよ!! マスターのファーストキスはアタシが狙ってたのに!! む~~!!」


 そうやって頬を膨らませて可愛らしく怒るさまは、まさしくいつもの遥だった。

 彼女はプリプリと怒りつつ何度も額を俺の胸に叩きつけてくる。


「あぁやってロマンティックな雰囲気でキスして……アタシにはできないのに!ズルい!」

「ズルいって、あれでも不意打ちみたいなものだったし……」

「それでもだよ~! アタシもお酒飲まなかったら今頃マスターとちゅっちゅしてたのに~!」


 あの……ちゅっちゅって、今さっきのは違うのです……?


 続いてポカポカと俺を叩き出すも痛くない。

 けれどそれも徐々に力を失っていき、背中に手を回した彼女はギュッと俺を抱きしめる。


「だから……ごめんね。マスター。いきなりキスしちゃって。 ファーストキス取られちゃったから、せめて回数だけはレミミンに勝とうと思って」

「遥……」

「そ、それに! 痛かったよね!?アタシの歯とか当たって怪我してない!?初めてで全然加減分かんなくって……!!」


 ガバッと顔を上げた彼女は怪我をしてると思ったのか俺の口周りを調べだす。



 あぁ……段々と俺も自体を把握することができるくらいは余裕が出てきた。

 なんだ。様子がおかしいと思ったけどいつもの遥じゃないか。

 俺はそんな慌てる姿の彼女の頭を優しく撫で、そっと胸に抱き寄せる。


「マスター……?」

「ごめん、遥。 俺が臆病なばっかりにキスできなくって。 それとありがとう。勇気出してくれて」

「アタシはそんな、夢中で……無理矢理だったし」

「ヘタレの俺にはそれくらいが丁度よかったよ。 やっぱり、遥が恋人でよかった」

「……怒って、ないの?」

「もちろん」


 そんな事ないと。不安そうな顔をする彼女の頭をもう一度撫でると、気持ちよさそうに目を細める。

 そうしてこちらに倒れ込んだ彼女はふぅと息を吐く。


「そっかぁ……えへへ……やっぱりマスターは優しいなぁ」

「遥やみんなには負けるよ」


 みんなが優しくなければ恋人が複数人なんて認められるわけも無かっただろう。

 だから、俺よりみんなのほうがよっぽど優しいはずだ。


「そんな事ないよ~! でも、よかった」

「よかった?」

「うん。夢中だったけどキスできて。 今すっごい幸せな気持ちなの」


 身体を預けて甘えてくる彼女の表情は笑顔。

 そんな表情に笑みを持って応えると、チュッと頬に遥からのキスが飛んでくる。


「だからねマスター。 ずっとずっと大好きだからね!!」

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