040.死角からの


 シンシンと。

 窓の外からは音にもならない音が聞こえてくる。

 これは一体なんの音だろう。12月も末の寒空の下、虫が合唱しているとは思えない。どこかの機械か、幻聴だろうか。


 しかし今はそんなことはどっちだって構わない。俺は寒さが入り込む冬の風に身体を冷ましつつ漂ってくる香りに鼻をくすぐられつつ振り返る。

 背後の店内を見れば、飾り付けこそそのままなものの料理も、人も、光さえも全て消え去っていた。


 まるでつい数時間前まで盛大なパーティーが開かれたとは思えないほどの静寂に包まれた空間。

 そんな空間に一人身を置きながらゆったりと背に身体を預ける。



 あぁ……パーティーは―――――楽しかった。

 すっごく楽しかった。伶実ちゃんが胸に手を押し当てたり奈々未ちゃんが迫ってきたりみんな酔っ払ってたりと色々あったが、それもひっくるめて楽しかった。

 まるで楽しすぎてそれが夢だったような。もし夢でなくても砂上の楼閣……すぐに崩れ去りそうな脆い時間のような。


 …………いかんいかん。

 伶実ちゃんに諭されたばかりなのに何考えてるんだ。

 こんな事考えてたら胸に手を当てるどころじゃ済まなくなっちゃう。遥や奈々未ちゃんだったらもっと大変なことになっちゃう。


 思考を振り払うように首をブンブンと振りつつ夜空に目をやると、雲がかかっているのか綺麗だった星々が見えなくなってしまっている。

 その上開けた窓から入り込む冬風が少し身体を震わせるようになり、いい加減閉じようと窓に手をかけたところで、ふと天から何かが落ちていることに気がついた。


「雪だ…………」


 星空が見えなくなった代わりに天から舞い降りてきたのは純白の塊、雪だった。

 鼻先に冷たいそれが触れると同時にスッと溶けるも、続々と地上に舞い降りてきている。

 随分とめずらしい。あまり雪の降らない地域だというのに。


「マスター、こんな時間まで起きてたのですか?」

「ん…………」


 もっとよく見ようと窓に手を掲げようとしたところで店の奥から声がかけられていることに気が付く。

 振り向いてみればパーティーの時とは違う新たな私服に身を包み、心配そうにこちらを見つめる伶実ちゃんが立っていた。

 彼女は俺の側まで駆け寄ってくると、ソファーの周りにあるものを見てホッと安心したように息を吐く。


「その様子ですと……早起きしちゃったようですね。ソファーだと眠れませんでした?」

「いや、昨日の今日で気持ちがはやってるのかも。伶実ちゃんは?」

「私も同じようなものです。 今日は特に、マスターのお家ということでドキドキしてしまって……」


 えへへ……

 と笑みを浮かべつつカウンターに向かう伶実ちゃん。

 時刻は午前4時半。お互い、随分と早くに目を覚ましたものだ。




 昨晩行われたパーティーは全員お酒の力によってダウンしてしまうという、あっけない幕切れとなった。

 意図しなかったお酒の摂取により最初に灯、奈々未ちゃん、遥、優佳と。続々と大半が倒れた事によって俺と伶実ちゃんはその後の処理に追われた。


 彼女が料理の片付けをしている間俺は全員を2階へ。

 24日はクリスマスパーティー。万が一を考えて全員には泊まりになる可能性があることも考慮するよう伝えておいた。

 そのために全員保護者の了承も取ったし、優佳に頼んで布団の準備もしてもらった。

 まさか本当に泊めるとは思わなかったが、全員を適当にベッドや布団に放り込み、俺の仕事は終了。

 後は1階の伶実ちゃんと料理の片付けをして、俺は1人店のソファーで眠ることで今に至るというわけだ。


 ――――もちろん泊まる可能性は遅くなりすぎて帰れなくなった時の為だ。他に特別な事情なんて一切ない!




 話は戻り、現在。

 少し眠気でボーッとしていただろうか。気づけば体感時間より多くの時間が過ぎ去っており、いつの間にか近づいてきていた伶実ちゃんのコトンとカップを置く音により顔を上げる。


「まだ眠いですか? 返事が無かったので勝手にマスターの分のコーヒーも淹れちゃいましたが……飲みます?」

「えっ? あぁ、ありがとう。頂くよ」


 どうやらボーッとしすぎて彼女の問いかけを無視してしまっていたようだ。

 眼の前と彼女の手の内にそれぞれある、湯気の立つマグカップ。眠る時に使っていた毛布を俺の膝に掛けた彼女は正面ではなく隣に座ってくる。


「ぅぅ……。ここ寒いですね……。マスター大丈夫でしたか?こんな寒い中眠るなんて」

「大丈夫だったよ。 今はちょっと眠気覚ましに窓開けてたからかも。 ほら見て。窓の外」

「外……? ぁっ……雪……!!」


 窓の外に降るその存在に気がつくと彼女は少し腰を上げつつその光景に目を輝かせる。

 しかしやはり、いくら綺麗でも寒さは辛いものがあるだろう。珍しい光景を見つつもその手は震え、カップを両手で包み込むように持っているのに気づき、そっと窓を閉じる。


「あれ、閉じちゃうんですか?」

「伶実ちゃん寒いでしょ。 風邪引くといけないしね」

「その時はマスターに看病してもらうので大丈夫ですよ。ふふっ」


 それが大変だというに。

 ちょっと前、遥の看病で大変な思いしたの忘れてないからね。あの時伶実ちゃんが来なければホントどうなっていたことやら。

 だから風邪引かないよう、寝る時に着込んでいたコートも伶実ちゃんの肩にっと。


「コート……。 いいんですか?マスターは寒くありません?」

「俺には毛布があるから大丈夫。 淹れてくれたコーヒーもあるからね」


 やはりコーヒーは正義だ。コーヒーがあれば生きていける。

 この苦味、この暖かさ。全て眠い朝にピッタリじゃないか。むしろこれを飲まずして朝を迎えられるか!?いや、ない!!


 ……そんなだから『飲み過ぎで幻覚見た』とか言われるんだ。わずかに自重しないと。



「みんなはどう? 起きて来てた?」

「いえ、みなさんグッスリです。 まだまだ起きるのは先だと思いますよ?」


 まぁ、昨日あれだけ騒いだ後なんだ。お酒も入っているしグッスリだろう。

 むしろ俺たちが早すぎるだけだな。まだ陽も出てない。起こすのもずっと後でいいだろう。


「……この雪、積もると思います?」

「いや、日の出まであまりないしこの量ならすぐ溶けると思うよ」

「そうですか……」


「昨日、楽しかったですね」

「そうだね。お酒飲まれたことは意外だったけど、楽しかった」

「はい……」


 一言二言会話を重ね、そのたびに無言を挟む俺たち。

 …………なんだか会話がうまく繋がらない気がする。

 なんていうんだろ。キャッチボールがお互い変なとこに行くというか、なんというか、うまくいかない。


「あのっ……!」


 少し不思議な気分になりながらコーヒーをすすっていると、ふと伶実ちゃんが何か意を決したように話しかけてきた。

 こちらに身体を向け、真剣な表情。そんな姿を横目で見た俺はコーヒーを置いて同じく身体を向ける。


「どうしたの?」

「えっと……その……」

「? 伶実ちゃん?」


 なんだ?なんだか迷ってるような感じがする。

 何か言いたいことでもあるのだろうか?……はっ!あのプレゼントはナイとか!?それ今言われたら泣く自信あるよ!?


「マスター。その……。 いえっ!総さん!!」

「はいっ!?」


 思わず呼び名が名前に切り替わった事による反射行動。

 俺は突然の衝撃により預けていた背中をピシッと持ち上げその背筋を真っ直ぐ伸ばす。そんな俺を彼女は膝立ちになりながらまっすぐ見て―――――


「しっ……失礼しますっ!!」

「なにを――――、~~~~~~!!!!」


 一体何事かと、彼女のそんな言動に戸惑ったその時だった。

 伶実ちゃんは俺の一瞬の隙を見逃す事無く後頭部に手を回し、思い切り自身のもとへ近づける。


 問答無用で引っ張られてなすすべなく引き寄せられるは彼女の胸元――――ではなく、彼女の顔だった。

 まさに顔面同士でぶつかる1秒前。それを理解する頃には何をしても無駄だと確信した俺は衝撃に備えるべく目を閉じる。


 ――――しかし、衝撃はいつまでたってもやってこなかった。

 その代わりに伝わるは、俺の唇で感じる柔らかな感覚。

 予想だにしないその感覚に目を開けると、伶実ちゃんの整った顔がすぐ目の前に。

 瞳は閉じられ、長いまつ毛は小刻みに揺れている。

 次第に後頭部に当てられた手は力を緩ませ「ぷはぁっ」と小さな息遣いとともに互いの距離は離れていく。


「あのっ……その……。すみませんっ!失礼しますっ!!」


 俺から距離を取り、ソファーから降りた彼女はその言葉だけを告げて店の奥へと走り去ってしまう。

 突然の行動に頭の処理能力の限界を突破した俺は、ゆっくりと手を動かし自らの唇へ触れる。


 思い出すのはついさっきの事。柔らかな感触。感じる彼女からの息遣い。そして溢れ出るとんでもない多幸感。

 俺は人生で初めての事象に俺は何を言うこともできず、ただただその場で固まるのであった――――




 そんな光景を、一人の人物が見ていることなんて知らずに。

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