038.夜空
ハァ――――
息を吐くと口から白い吐息がモクモクと目の前に現れ、次の瞬間には風に飛ばされて消えていく。
ビュウと打ち付ける風が俺の身体を震わせ、火照った体の温度をを徐々に下げていくれる。
風を追うように視界を地から天へと向けると、夜空に煌めく星々はアンニュイな俺の心を映しているようだ。
周りに人気も明かりも少ないからこそ見える夜空。
何をするわけでもなくそんな夜空を見上げていると、背後に何者が立っている気配に気が付く。
「――――やっぱり。ここに居たんですね」
「……伶実ちゃん」
その気配の主はさっきまでみんなと談笑していた一人、伶実ちゃんだった。
俺の姿を見てホッと一安心したような表情を見せる彼女の手には2つのマグカップが。そのどちらからも白い湯気が立っていて、そのうち片方を突き出してくる。
「お手洗いに行くと言ってしばらく戻られなかったので、もしかしたらと思ってました。予想が当たってよかったです」
「これは……コーヒー?」
「はい。いつもの豆、勝手に使っちゃいました。 ……美味しいですか?」
受け取ったマグカップを近づけその香りを確かめると、コーヒー特有の芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。
俺が毎日のように飲んでいる、お気に入りの香りだ。今度は味を確かめるためにゆっくりとカップを傾けると苦味と深み、そして風味が口いっぱいに広がっていく。
「うん。美味しいよ。 ありがと」
「……よかったです。 少しはコーヒーを淹れる腕前もマスターに近づいたでしょうか?」
「もちろん。だからこそたまにお店を任せてるんだしね」
彼女のコーヒーを淹れるスキルもだいぶ上がった。
少なくとも俺好みの味になったから、たまに俺一人で外出することができている。
その言葉を聞いてクスリと笑って隣に立った彼女は、同じようにカップを傾け口から白い息を吐き出す。
それ以上何を言うわけでもなく無言になった俺たち。
輝く夜空の下ただ二人きりでコーヒーを飲んでいると、近くの扉から彼女たちの笑い声が聞こえてくる。
「そういえば……みんな心配してた?」
「いえ。みなさん変わらず楽しんでますよ。 私もコッソリ抜け出しちゃったので心配されてる方もいらっしゃるかもしれませんが」
えへへ……と笑いかけるもその行動に後悔なんて無い様相だ。そして俺もわざわざ咎めるつもりもない。
てんやわんやの中始まった、俺と恋人たちだけのクリスマスパーティー。
それは小規模ながら華々しく始まった。遥が食べて喋って場を盛り上げて、伶実ちゃんと灯は一緒になって楽しんでいる。
奈々未ちゃんは時々歌を織り交ぜて場をヒートアップさせて優佳が更に火をくべ焚きつける。
それは楽しいパーティー。みんなが笑顔で幸せな、満ち足りた空間だった。
コッソリ俺と優佳だけはお酒を解禁し、ほろ酔い気分でそんな場を目にしていたからか、少しセンチメンタルな気分になって外まで出てきた。
隣にはただ黙って寄り添ってくれる伶実ちゃん。
そんな彼女の肩にそっと手を触れ、抱き寄せると拒絶する素振りすら見せずピッタリとくっついてくれる。
「どうしましたマスター? マスターから来てくれるとは珍しいですね」
「……嫌?」
「いえっ、決してそんなことはなく嬉しいのですが…………何かありました?」
俺の心の変化を機敏に読み取ったのか心配そうな顔でこちらを見上げる。
けれど「心配ない」と彼女の綺麗な髪をクシャリと撫でると、自らの頭に手を当てつつ、ほんのりと嬉しそうな顔に戻っていく。
「俺だってセンチメンタルな気持ちになる時くらいあるよ。でも今日はなんていうか――――」
「なんていうか?」
なんていうか――――
そこまで喋ったはいいが、その先が出て来ない。
意思とは関係なく口が動くことを許さず、顎は小刻みに震え、目線はせわしなく辺りを見渡す。
そんな様子を目にした彼女ももう一度心配そうに「マスター?」と声をかけてくる。
いや、そんな大したことではない。大したことではないのだが、その先を言うのが怖いのだ。
今まで年長者として振り回されつつも然として振る舞っていたつもり。だから本心を告げていいのか。そんな思いが渦巻いてその先を口にすることができない。
「マスター、失礼しますね?」
「えっ――――ぶぅ…………」
そんな俺の心を読み取ったのか知らないが、彼女は正面を向き合うように移動して笑顔のまま自らの手を俺に近づけてくる。
伸ばした手が頬に触れ、何をされるかと口と目を瞑れば両頬を挟み込むように両側から指先で押し付けてきた。
頬が挟み込まれたことにより変顔になってしまう俺。しかし彼女はそんな顔に笑う事無くただ真剣に俺を見つめてくる。
「れひ……ひゃん?」
「はい、伶実ですよ。マスターのことが大好きな伶実です。 不安そうな顔をせずとも、私はずっと側に居ますから。だから気にせず仰ってください」
「………………」
――――それは彼女なりの激励だった。何があっても受け止めるから、気にせず吐き出して欲しいと。
楽しげな掛け声で挟み込んでいた手を解いた彼女は、再び俺の隣に潜り込むように戻っていく。
すると未だ感触の残る頬へ手を触れると今まで動こうとしなかった口が自在に動くことに気がついた。
「…………なんていうか……怖いんだ」
「怖い……ですか?」
「あぁ。みんなが俺のことを好きで、それで俺がみんなを好きでいられることを許してくれて、幸せすぎて怖い。またあの日みたいに滑り落ちてしまわないかって思って……」
以前。
事故にあった日。
あの日も当時ながら幸せの頂点に居る気分だった。大好きな父と母が居て、優佳という親友も、そして帰ってからお泊まり会という楽しみなイベント。
しかし事故があり、その全てが手のひらからこぼれ落ちてしまった。まるで一生懸命建てた砂の城を波によって全て奪い去られたような――――
「……そうですか」
「うん……」
それ以上何を言うわけでもなく、両者無言の時が続く。
夜空を見上げればさっきと変わらぬ星々が綺麗に瞬いている。それは星という命の輝き。何年も前の輝きを目に収めていると、隣の伶実ちゃんが俺の手をつついていることに気がついた。
その手はまるでダンスの誘いのように掲げられている。
「マスター、少し手を貸して貰えませんか?」
「うん。 こう?」
「はい。 …………もう一度、失礼しますね」
「――――!?!?」
俺の手に触れたまま一瞬だけ逡巡したかと思えば、突然引き寄せるように勢いよく胸元まで引っ張られた。
傍から見れば突然発情した俺が彼女の胸に手を触れるように。しかしそれは彼女自身の意思で。
伶実ちゃん自ら触れさせるように押し付けてくる柔らかな感触に驚いていると、手の位置がいやらしい意味ではないことに気づく。
胸の膨らみから少し上。その指先からは一定のリズムが伝わってきた。
「気づきました?マスター」
「これって……心臓の音?」
彼女が自らの胸元に当て俺に感じさせたかったのは彼女自身の心臓の音であった。
トクン……トクン……と伝わる命の鼓動。それを身をもって感じていると手を解放した彼女が脇腹まで手を回してギュッと抱きしめてくる。
「マスター、この音は私の命であると同時に、マスターのモノでもあります。 もしマスターがいなくなっちゃうようなことがあれば、私も迷うこと無く命を絶ちます」
「っ―――― それは……」
それはダメだ――――。
そう言おうとしたタイミングで、彼女の指先が頬をつつくように伸びてくる。
「だからマスター、怖いかもしれませんが、不安かもしれませんが、いなくならないでくださいね? 私、死んじゃいますので」
俺の眼の前でウインクする彼女の目には一点の曇りがなかった。
まさしく心からの本音。本気でそう思っているという吐露。かなりショッキングな発言なのに、俺は思わず笑みが溢れてしまう。
「――――ははっ。それはまた、責任重大だなぁ」
「はいっ。 私はマスターのストーカーになるくらいの重い女ですのでっ」
そっか、それは大変だ。なら俺は居なくなっちゃわないように頑張らないと。
まさしく音符マークが出るほどの楽しげな口調で夜空を見上げる彼女に続いて俺も見上げる。
その先にはさっきも見た夜空の星々が。しかしなんとなく、今目にした光景はさっきまでとは違い、明るく、そしてより強く輝いているような気がした――――
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