030.一抹の希望すら潰える
「そういえばマスターさん、今日はこんなところまでどうしたの?」
しばらく膝の上で大人しく身体を預けていた奈々未ちゃん。
そんな彼女がふと思いついたように俺にまたがる形で問いかける。
肩に手を当て向かい合うように座る俺たち。純粋な疑問をコテンと首を傾けながら聞くさまに思わず俺は目を逸らしてしまう。
「…………? マスターさん?」
「…………」
「私には言えないこと?」
「言えないことっていうか…………」
どう言えばいいのだろう。
これは言ってもいいものだろうか。でももうクリスマスも近い。なのに大事なプレゼントが決まってないと知られると『決めるのが遅すぎる』とか『理解してくれてない』とか『私のこと何もわかってない』とか言われないだろうか。
でも言わなかったら信頼してくれてないっていわれる可能性だってあるし…………ん~~!!
「もしかして……他の女の子と浮気?」
「浮気!? ないない!今日ソッチの思考多いね!?」
「タブン……さっきまで昼ドラ見てたから?」
そっと指さした先にあるのは部屋の隅にあるテレビ。
死角で気づかなかった。この時間帯にやってるドラマって……あぁ、ドロドロ系ね。
昼ドラってなんでドロドロしたの多いのだろう。俺も双子の姉妹を一人の男が取っ替え引っ替えして引っ掻き回すドラマを見た時はゲンナリしたよ。どこかに需要あるんだろうなぁ。
「じゃあ、また別の理由?」
「えっと……その……ね? そろそろパーティーだからみんなの分のプレゼントを考えてたんだけどうまくいかなくって……」
心配そうな目が向けられる中俺の出した結論は、正直に答えることだった。
いい加減、彼女たちが俺を信頼してくれてるように俺もみんなを信頼しないと。
しどろもどろになりながらも今日出てきた理由を聞いた彼女はゆっくりと目を伏せつつ、ポスンと頭を首元に預けてきた。
「奈々未ちゃん?」
「私……これがいい」
「なにそれ? えっと……婚姻とど――――って、なんてもの出してるの!?」
なにやらゴソゴソと小さく動いていた彼女が頭を上げて見せてきたのはピンク色の堅苦しそうな書類――――婚姻届だった。
明らかにコートから取り出した様子だったけど、そんなもの持ち歩いてるの!?
「……ダメ?」
「ダメってかそもそも年齢の時点で無理でしょ」
「大丈夫。年齢が追いつくその日まで大事に持っておくから」
「大丈夫じゃないんだよなぁ……」
自信満々に紙を見せつける彼女に俺は天を仰ぐ。
たとえやるにしても1年後だっけ?3年後だっけ?どちらにせよ修羅場が目に見えてるんだよね。
「むぅ……仕方ない」
「ホッ……」
「なら、指輪でいいよ。左の薬指につけるやつ」
「奈々未ちゃんも優佳と同じ思考回路か…………」
優佳もカフェで婚約指輪とか言ってたな。
まだ彼女みたいに3ヶ月分の~とか言わないだけマシ――――
「えっと……なんだっけ?給料半年分の指輪?」
「倍増!? 3ヶ月分だからね!?」
半年って6ヶ月!?優佳の倍じゃん!!
それを5人だったら……30ヶ月っていくらになるのよ!?
「冗談。 プレゼントは何でも好きなの……マスターさんのくれたものなら何でも嬉しいよ」
「よかった……。 でも、それはそれでなぁ……」
トンデモな指輪じゃなくてホント良かったけど、『なんでもいい』もそれはそれで困る。
「夕飯なにがいい?」からの「なんでもいい」で母さんから小言貰うのはセットだ。
「? 何に困ってるの?きっとみんな何でも嬉しいって言うと思うけど」
「ほら、なんでもが一番難しくって。 みんなの好きなものにしても、被りとか好みじゃないとか諸々……」
どうせ上げるなら最大限に喜んで欲しい。
でも既に持っていたり細かい好みが違っていたりするのが怖い。
この考えが自らの首を締めてることも自覚してる。どうしたものか……。
「マスターさん、きっと考え方が違うと思う」
「……考え方?」
しかし冷静に、そして真っ直ぐ俺の考え方を彼女は否定した。
青の瞳を向け、白い髪を揺らし、まっすぐ俺を見据える。
「きっとみんなも同じ気持ち。 私たちはみんな、マスターさんが好きなものが気になってる。今ハマってるものとか気になってるもの。そういうのが、私たちは欲しい。好きを共有したい」
「奈々未ちゃん――――」
「だから、マスターさんの好きなものだったら、何でも嬉しい……よ?」
コテンと最後は疑問符をつけながらも教えてくれるその答えに、今まで曇っていた思考が一気に晴れ渡っていく。
そうか。ずっとみんなの好きなものに囚われていたけど、深く考える必要なんて無いんだ。そもそも好きなものだったら自ら揃えているハズ。俺が選ぶべきものは俺の好きなものでいいんだ。
「でもコーヒー豆はやめてね?遥が泣いちゃうから」
「あはは……たしかに」
ブラックに挑戦して泣くのがテンプレの彼女じゃ俺の好きな豆だと苦すぎて好まれないだろう。
さすがに俺の好きなものといっても線引はできる。
「奈々未ちゃん、ありがとう。 お陰で取っ掛かりが得られたかも知れない」
「ん、よかった。 お礼はギュッとしてくれていいよ?」
「……そうだね」
バッと受け入れるように手を大きく広げる彼女に吸い込まれる形で俺も彼女を抱きしめる。
白い髪から漂ってくる甘い香り。その香りをまさぐるように堪能しつつ俺は彼女の一部分に目をつけてそこへ向かって顔を近づける。
――――チュッ
「えっ…………」
それは奈々未の小さな唇からほど近い、もうほんの数度首を捻れば到達するくらいの位置への軽いキス。
まさか俺からしてくるとは思わなかったのだろう。その行動も、位置も。
全く予想外だったらしい彼女は最初は目を丸くしていただけだったものの、自らの身に何が起こったのか把握すると同時にドンドンと真っ白な肌が紅潮して沸騰しそうにまでなる。
「ま……マスターさん……!?」
「プレゼントのヒントをくれたお礼。 その……唇はまだ、俺の覚悟ができてからね?」
その様子を見てたら俺もだんだん恥ずかしくなってきた。
自分からやる上に、まさか唇のすぐ近くだなんて……あとほんの少しずれてたらホントにキスをするところだったよ。
俺も思わず視線を外せばガシッと勢いよく肩を掴まれる。
何事かと顔を上げれば少し鼻息の荒い奈々未ちゃんが俺の覆いかぶさるように立ち上がりつつ見下ろしてくる。
「マスターさん……ふぅ、ふぅ……それじゃあ私は……ふぅ……キスのお礼に処女を――――」
「ちょっと待って!! お礼のお礼ってなに!?ってかそれキスの遥か上だよね!?」
何故か迫ってくる彼女と抵抗する俺で取っ組み合いになってしまう。
唇を突き出しているさまなんてさっき俺が言ったことガン無視だ。もはや暴走状態の遥に似たなにかさえ感じる。
「大丈夫。すぐ終わるから。マスターさんは座ってるだけでいい」
「大丈夫くない!ほら、奈々未ちゃんも仕事があるでしょ!?」
「平気。すぐ終わらす」
「平気じゃなぁい!!」
手と手をつかみ合って一進一退の攻防状態。
もう俺たちは何してるんだ?さっきまで穏やかだったのに……どうしてこうなった。
暴走している奈々未ちゃんと抵抗する俺。もはや膠着状態になったその時、突然扉が開いて廊下から一人の女性が顔を出す。
「奈々未、リサちゃんが終わったるからそろそろ時間――――」
「「あっ――――」」
顔を出したのは俺もよく世話になっている彼女のおばあさん。
彼女は俺たちをみて一瞬目を見開くものの、すぐ笑顔になってゆっくりと時間が戻るように扉が閉まっていく。
「奈々未、マスターさん、仕事に影響が出るので避妊はするんですよ?」
「ちょ………! おばあさん!?」
誤解が生み出したまさかの発言に俺が呼び止めるも遅く、パタンと閉じたあと走り去っていく音が聞こえる。
あぁ……やってしまった……。完全に誤解なのに……
「マスターさん、おばあちゃんのことなら心配しないで」
「奈々未ちゃん…………」
あぁ。
やっぱり奈々未ちゃんはイザという時頼りになる。きっと今回もさっきの誤解を解きに行――――
「おばあちゃんの言葉、ホントにしちゃえば全部解決だよね?」
「…………そう言うと思ったよ」
一抹の希望すら潰えてしまう発言に、大きなため息をつく。
俺はそんな彼女を優しく抱き上げ、ゆっくりと退かした後ダッシュで逃げることで、今回のドタバタ劇を切り抜けるのであった。
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