027.カケオチ


 そこは街の片隅。ビルの階段を登ってたどり着く、少しくたびれた扉の先。

 無機質のビルや少しおどろおどろしい扉からしてなにやら不穏な雰囲気を感じ取っていたが、扉の向こうはきれいな空間が広がっていた。


 フローリング式の、オシャレな部屋。

 造花やソファー、テーブルや椅子など、ありふれた家具が部屋のあちこちに配置された、まさにモデルルームのリビングと表現するのが正しい空間。

 またある部屋は蛍光緑のシートが壁一面に張られていて、そちらには奈々未ちゃんのおじいさんはじめ、何人かの大人がシートを背にした可愛らしい女の子をカメラのレンズ越しに見ていた。


 そんな非日常な空間を目にした俺は今、3つ目の部屋にいる。

 扉には「控室」と書かれた部屋。まさに会議をするような横長の事務机と、幾つかの椅子のみが置かれた空間。

 3つの部屋の中で最も無機質だが逆に見慣れた無機質感で落ち着く部屋。俺はそんな控室で奈々未ちゃんと謎の少女と対峙していた。


「マスターさん……私達を置いて駆け落ち……するの?」


 落ち着く空間ではあるもののその雰囲気は一切落ち着かない。

 むしろピリッと張り詰めて居心地が悪いくらいだ。

 正面に座る奈々未ちゃんは無表情ながら悲しいような、怒っているような読めない表情で問いかけてくる。


「そっ……その通りです! 私とこの人は一目で恋に落ち、今からでも誰も知らない場所で――――」

「リサは静かにしてて。私はマスターさんに聞いてるから」

「…………はい」


 奈々未ちゃんの隣に座る少女が席を立って主張するも即座に一蹴されてシュンとなりながら座り直す。

 彼女の瞳は真っ直ぐ俺のほうへ。これはウソや誤魔化しなんて効くはずもないな。


「駆け落ちなんてするわけないよ。奈々未ちゃんのことは今もこれからも、ずっと好きだからさ」

「そっ……そう……? ならいいけど……」


 歯に浮くような台詞だがここは誤魔化さず真っ直ぐ伝えたほうがいいと考えた。

 その考えは正しかったのかこれまでジッと無表情で見つめていた視線がスッと外れ、頬に赤みが見られる。


 さっきまでの圧がなくなり、照れるように真っ白な髪をいじっているところを見るに信じてくれたようだ。

 俺への信頼の高さに嬉しく思っていると今度は首をコテンと倒して問いかけてくる。


「じゃあマスターさん、さっき抱きついてたのは、なんで?」

「それは…………俺にもわからない」


 俺が隣の少女に視線を移し、同様に奈々未ちゃんの目も動くと彼女はビクンと身体を大きく揺らす。

 さっきの行動は未だによくわからない。奈々未ちゃんの知り合いらしいのは確かで付き合ってることを知っているのも理解できるのだが、そこから何故駆け落ちしようと考えるのか。奈々未ちゃんのことが好きだとしても自分の身を犠牲にし過ぎではないだろうか。


「ナナさんっ!騙されないでください! この人、まさしく女の敵ってヤツですよっ!」

「えぇ!?」


 立ち向かうように再び席を立った彼女はビッと俺を指さして犯人かというように追い詰めてくる。


 女の敵なんてそんな……!そんな…………。

 あれ?これまでの言動考えたら否定できなくない?

 そもそも複数人と付き合ってる時点でアレだしなぁ。でも奈々未ちゃんはそこまでこの子に教えたのだろうか。


「女の敵……?」

「そうですっ! この人、ナナさんという彼女がいるのにお店に何人もの女の子連れ込んでるんですよっ! それも恋人のように……!これはまさしく不倫ですっ!女の敵です!!」


 あ~。

 つまりアレか。最初『夢見楼』の関係者かと聞かれたのはお店での光景を目にしたからか。

 そして奈々未ちゃんは俺と付き合ってるということは言っていてもそれ以上のことは話してないと。まぁ、うん。そう思うのも当然だよね。


「だからナナさん!こんな浮気するような男は捨ててしまったほうが――――」

「ん、知ってる」

「――――えっ?」

「マスターさんが他の人たちと浮気してるのは知ってる。 むしろみんなとシェア?付き合ってるから」

「えっ…………えぇぇぇぇぇ!?」


 俺としてはもう慣れた、しかし世間一般的にはあり得ないその言葉に、少女はここ一番の絶叫を響かせる。

 あまりにもその声が大きかったせいか室内を震わせ、隣の部屋まで届いたお陰で大人の人が飛び込んで来ることになったがなんでもないと告げると一安心したように去っていった。


「リサ、うるさい」

「す、すみません……。 でもナナさんがそんな……他の子たちも可愛かったのに……こんな冴えない男の人なんかに……」


 冴えない男で悪かったな。

 でも言わんとする気持ちも理解できなくはない。自分を卑下するようなことは考えないように勤めているが、それでも偶にそういうことは頭を過ぎったりする。


「冴えなくもない。マスターさんはいい人。 でも、それがなんでリサと駆け落ちすることに?」

「えっと……それはぁ…………。 既成事実を作ればナナさんを諦めてくれるかなって……アイタッ!?」


 指をチョンチョンと突き合いながらも出た言葉に、奈々未ちゃんはデコピンを持ってそれを返す。

 パチンと可愛らしい音が響いて涙目になる少女。頬も膨らませてなんだかリスのようだ。


「マスターさんの貞操は誰にも渡さないから。ファーストキスから童貞まで、私が全部貰うから」


 童貞じゃないやいっ!…………いや、ゴメン。ウソついた。

 明らかに無表情で告げるそれは本気の現れなのか、チラリとこちらを見てペロリと舌なめずりをするのが目に入ると思わず身体が震えてしまう。


「それにリサも、自分を犠牲にしないようにって、約束したでしょ?」

「す、すみません……」


 自らデコピンした箇所を撫でた奈々未ちゃんは優しい瞳で少女の頭も撫でる。

 自分を犠牲にって、なにかあったのだろうか。


 そんな2人の少女の微笑ましい様子を目に収めていると、ふと少女はチラリと俺と奈々未ちゃんを見て小さな口を開く。


「でも……」

「何?リサ?」

「でも……それだけ女の人囲っておいて、未だにファーストキスもまだなんですか?」


 ぐはぁっ!?


 不意に向けられる言葉のナイフに思わず吐血してしまう俺の心。

 そ……そういうのはね、大事にするものなんだよ。たとえ付き合ってると言えども心の準備とかムードとか、大変なんだから!!


「確かに。 まだなの?マスターさん」

「いやね、奈々未ちゃん……そういうのは大切にしなきゃならない……って、なんで迫ってきてるの!?」

「私はいつでもいいんだよ? 今からでも、濃厚なキスを――――」

「しないから! ここ職場でしょ!?」


 机を回って俺に迫ってくる奈々未ちゃんに、その肩を掴んで必死に抵抗する俺。

 助けを求めるように少女へ視線を向けるも顔を真っ赤にしながら食い入るようにこちらを見つめている。

 駆け落ちしてまで止めたいんじゃなかったの!?なんでジッと助けをせず見てるの!?


「はぇ~……」

「はえーじゃなくって、助け……グェッ!?」


 無意識ながら言葉が漏れている少女を呼ぼうとするも奈々未ちゃんの手が伸びてきて俺の首を正面に向けられる。


「マスターさん、今は私だけを見て。 リサのことなんか見ないで」

「そういうのは2人っきりの時に言って欲しいかな~……なんて……」


 すぐ目の前に見える蒼い綺麗な瞳。

 俺以外何者も視界に入らないようなその真っ直ぐな視線にドキリとしつつ何かこの場を切り抜けるいい方法がないか模索する。


 今すぐ逃げることは……難しい。扉は少女のすぐ近くだ。

 なら突き飛ばすのは……論外だ。椅子やテーブルに頭ぶつけたらそれこそ大事になってしまう。

 受け入れるのもまた違う。こういうのはもっといい感じのところでしたい。

 逃げる、突き飛ばす、受け入れるがダメなら………そうだっ!!


「奈々未ちゃん」

「ん……わぷっ」


 俺が選んだ道は、受け入れつつも別の道に誘導することだった。

 迫ってくる彼女を受け入れつつもその先を唇ではなく胸元に誘導し、抱きしめるような形を取る。

 突然胸元に視線が移動したこともあって彼女は小さく声を上げるも、すぐに受け入れるように力を抜いてくれる。


「こういうのはナナじゃなくって奈々未ちゃんとして……仕事外のときで、ね?」

「むぅ……仕方ない。 プライベートになったら思いっきり攻める」

「ん、いい子だ」


 彼女の頭を優しく撫でると気持ちよさそうに目を細めてくれる。

 なんだか問題の先送り感満載だが今を切り抜けられるなら仕方ない。


 さて次は……。

 怒ってないかと少し不安に思いつつ少女へ顔を向けるとボーッと俺たちの姿を見つめているようだった。

 しかし俺と目が合っていることに気づくと慌てたように席を立ち、ダッシュでこちらに向かってくる。


「なっ……ナナさんは渡しませんっ!! あなた私と駆け落ちするんですから今すぐ離れてくださいっ!!」

「なにそれ!? またループ!?」

「むっ、マスターさんは渡さない……!」


 話がループするように駆け落ちのことを再び引っ張り出して駆け寄ってくるその瞳はグルグルお目々。

 一方で楽しげに強く抱きしめてくる奈々未ちゃんに、俺は流され続けるのであった。

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