019.手のひらの大きさ


「ふぅ~! 久しぶりにガッツリ食べたわぁ!」


 空調の効いた暖かな車内。

 夕焼けが眩しい時間になる中、俺は久しぶりに車という個人が所有しうる最高の文明の利器を使って店へと帰っていた。


 運転するのはもちろん、我が姉の優佳。

 この車ももちろん優佳自身の……と言いたいところだが親のものだ。


 もう殆ど優佳が乗るようになったこの車。以前母さんが「実質優佳のものね」と笑いながら言っていた事を思い出す。

 2人が構わないのなら俺が言うまでもないんだが、もしかしてバイトのたび乗って行ってるとか?それだったら確かにもう優佳のものというレベルだ。

 

「総もどう?美味しかった?」


 夕日が眩しい中、サングラスをかけた彼女がこちらを見ることなく問いかける。

 そのこなれた姿はカッコいい……!けど、そのサングラス見たことあるよ。前に母さんが買ってたやつだよね。


「そうだな。すっごく美味しかった」

「でしょ~! アレ、期間限定なのにかなり力入れてたんだから!店長ったらパフェのためだけに農家さんとややこしい契約結んだっていうし……」


 「運転手させられた私の身にも……」と続く彼女を見て小さく苦笑する。

 きっと大変だったんだろうな。でも、確かにパフェは絶品だった。

 大きなフルーツに濃厚なアイス。カヌレだけは取ってつけた感があったが、それでも美味しかった。


 しかし、それでも1つだけ、彼女には言っておきたいクレームがある。


「でも優佳、ガッツリって殆ど俺に食わせてたじゃないか」

「食べにくるお客さん、みんなそんなものよ。大体カレシ君が頑張って食べてたわ。 それともなぁに~?アンタはあたしに太ってほしいの?」

「ある程度はな。 少しは肉つけたらどうだ?」

「え~?ひっど~い!! 普段から痩せようと努力してるっていうのに~!」


 優佳はスタイルがいい。モデルかと思うほど。

 その分、細すぎるのだ。俺が実家に居る時なんか体重計乗ったらいつも痩せすぎ判定喰らっていた記憶がある。


 学生時代は俺と同じもの食べてたのは間違いない。なのにそれだけ痩せているのだから不思議だ。

 「太らない体質」とか言ってたけど……うぅむ……女の子って不思議。


「ま、でもバイトの子たちに証明も出来たし十分だわ。 デートも楽しかったし?」

「デート? アレが?」

「もちろんよ。喫茶店で食べさせ合いっ子して語り合って……。アレがデートじゃなかったら何だって言うの?」


 そうか。デートか。

 多分伶実ちゃんが相手とかだと俺もそう思ったんだろうな。

 でも、いくら付き合ってるといっても優佳が相手じゃ普通にコーヒー飲んだ感覚でしかない。

 むしろ昔、学校帰りにハンバーガー食べてた時のほうがまだデート感あった気がする。


 …………あれ?そう考えると優佳とデートって全然意識してなかったな。

 ずっと一緒にいたから恋人関係も延長線上で何も考えてなかった。


「そっか……デートか……」

「えぇ、デートよ。 たまには二人きりで平和な日常ってのもいいじゃない」


 瞳の奥を照らすほど明るい光に少し顔をしかめれば、橋の上から水面に反射する夕焼けが目に入る。

 煌々と照らす太陽。もう暫くすれば闇になる、その直前の最後の輝き。

 一日で最も強い赤の光を浴びていると、信号で車を停車させた彼女が手を伸ばしていることに気づいた。


「手……左手合わせてみて」

「左? こう?」


 伸ばされた手は左手。俺も言われるがままに左手を手のひらに合わせると、その手が重ねられた。

 指と指と重ね合わせる、大きさを比べるような手のひら合わせ。彼女の小さな感触を感じていく。


「アンタ、昔からコーヒー好きだったじゃない。おばさまの影響で」

「そうだな。小学生の頃からか」

「だから、こうやってアンタと恋人同士になって喫茶店デートするのが夢だったのよ。あの時はあたしのほうが手大きかったのにね……」


 夕焼け対策にサングラスをかけている彼女の真意はわからない。

 しかし口角は上がっていてハンドルを握っている左手に力を込めたり弱めたりしていることから少なくとも悪い気はしていないみたいだ。



 しばらく無言の時間が続いていく。

 音楽を流すこともなく、聞こえるのはただ車の駆動音だけ。

 しかしそれが悪いこととも思わない。いつしか真っ赤だった夕焼けは山の奥へと沈んでしまったが、この静寂は嫌なものとも思わなかった。


「そういえば…………」

「?」


 その静寂を破ったのは優佳だった。

 いつの間にかサングラスは外れ、まっすぐ進行方向を見つめながら静かに口を開く。


「そういえばさっき、あたしがみんなの前でキスしようとした時、避けてくれたわね?」

「そりゃあ、避けるでしょ普通」


 突然何を言うかと思ったらそんなことか。

 むしろアレで避けない理由があったのかと逆に聞きたい。


「付き合ってるんだか普通受け入れるでしょ! マキちゃんは純粋な子だからよかったけど……もしアレが乃和だったらって考えてみなさい。キスしないと絶対信じてもらえないわよ」

「それは乃和が特別なパターンなだけで……。てか、優佳はそれでいいのか?」

「何がよ?」

「キス。ファーストキスがあんな形で……その……客もいるカフェでなんて……」


 そりゃ俺だってキスをしたくないわけじゃない。

 時と場所を考えろという話だ。ファーストキスなんだかもっとこう……ねぇ。


「そんなの、アンタと付き合う時点で諦めてるわよ。更に言うと女の子囲う時点でね。 ガツガツ行かないとダメだってことを!」

「えぇ……」


 そんな……ファーストキスにロマンティック性を求めていたのは俺だけだと言うのか……!?

 いやでも、あの子達も同じ思いのはず!むしろ優佳が達観しすぎというかなんというか……。


「せっかくの千載一遇のチャンスだったのにね。 宣言せずもっといきなりやればよかったわ」

「知らないうちに姉が逞しくなりすぎてて弟は怖いよ……」


 平然と言ってのけるそれはまさしく狩人……って狩人多すぎない!?俺どれだけ囲まれてるの!?


 少し自分の身に寒気を覚えたところで少し暗くなった外を見れば、見慣れた道。

 もうこの辺か。あとはそこの道を左折すれば店までもうちょっとだな。


「…………あれ?」


 そこの道を曲がれば……そう思ったが車は減速する素振りすら見せなかった。

 減速すること無く真っ直ぐ突き進む車。あれ?道間違えてない?


「優佳、店はあっちだぞ? 癖出ちゃった?」


 真っ直ぐの道は実家へと続く道だ。

 優佳ったらいつも乗り回してるお陰で曲がること忘れちゃったな。まったく、オッチョコチョイなんだから。


「いいえ、こっちで合ってるわ」

「…………へ?」

「アンタもこれから家に行って、そのまま泊まるのよ。 安心なさい。店番してくれてる伶実ちゃんには前もって伝えてあるから」

「…………うっそぉ……」


 視線を向けること無く告げられるその言葉に、俺は思わず脱力してしまう。

 どんどんと店から遠ざかっていく車に、さっきの言葉。そしてニヤリとする隣の笑みに、思わず寒気がするのであった。

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