016.アカリちゃん


 寒さも本格化してきた昼下がり。

 朝に比べてまた暖かなこの時間帯、いつも通り客が居ないこともあって近くのスーパーに買い物に出掛けて戻ってきたら、灯がいつの間にかやってきていた。

 色々あって思わぬ来訪に驚いていると、更にやって来るお客様。


 そのお客様は俺の知らないうちに敷居を跨ぎ、俺の知らないうちに身体を触れさせるまでに近づいてきていた。

 真っ黒の身体に金色にほど近いその瞳。初対面だというのに小さな体躯をこすりつけて見上げてくる姿はまるで黒くても天使のよう。


 俺は黒くて小さな天使――――どこぞの黒猫さんを追い出すこともなく見守っていた。

 その真っ黒な天使は今、灯の膝の上に居る。


「この子……どこから来たんでしょうね?」

「少なくとも隣近所じゃ無いけど……寒かったんじゃない? 飼い猫っぽいし」


 紀久代さんによると隣近所は誰も住んでいないらしい。だからまず選択肢から外れる。

 しかし野良猫でもない。身なりも整っていて首輪もしっかりつけられていることから、どこかの猫が暖を取りに来たのだろう。

 来たときから人懐っこいし、今だって灯の膝の上でしっぽを丸めている。


「この種類は……あった。アメリカンショートヘアに似てますね」


 彼女が見せつけてきたスマホの通り、その特徴はそっくり。

 短めの毛に筋肉質な身体。そして人懐っこさなど……確かに書かれている通りだ。


「それにしてもかわいいですね~。 あなた、どこから来たのぉ?」



 灯が猫なで声で問いかけながら指先でくすぐるように掻くと、黒猫は気持ちよさそうに目を細めて身体を押し付ける。

 当然答えなんて返ってくることはないが、少なくとも嫌がっている様子ではない。


 可愛い女の子と戯れる毛並みのいい猫。

 なかなか絵になる光景じゃないか。


「ほら、マスターもこっち来てくださいよ! 可愛くて可愛くて……すっごい可愛いですよ!」


 もはや可愛さに滅多打ちにされたお陰でテンションの高く、そして語彙力すら消失した彼女は目を輝かせながら俺にも呼びかけてくる。


 警戒させないように少し離れた席で見守っていた俺も問題なさそうだと腰を上げかけた途端、今まで灯の上で丸まっていた猫が立ち上がって膝から飛び降りていってしまった。


「あっ!! …………あぁ…………」


 きっと灯に猫耳がついていたらわかりやすく垂れてしまっていたことだろう。

 それほどまでに名残惜しそうな顔をする彼女に目もくれず、猫は蛇行するように店の中を、机や椅子の下を探検するかのように歩き回り、最終的に俺の足元までたどりつく。


 猫は座ってジッとこちらを見つめていたと思ったら、ふと足元の裾に鼻を当て、スリスリと顔を押し付け始める。

 まるで匂いを押し付けるかのように、しばらくグリグリとする姿を見守っていると今度はピョンと小さな身体を飛び上がらせて見事膝の上に着地する。


「あぁ~! マスターに取られた~!」

「おぉ……これが……」


 膝の上で猫が丸まってくれるという感動で、キャラが壊れた灯の言葉が耳に入ってこない。


 昔顔を引っかかれて以来の、猫との接触。

 体温が高いのかポカポカとした暖かさが太ももにも伝わって丁度いい気持ちよさを与えてくれる。

 筋肉質ながら柔らかく、そして動物に甘えられているという事実に色々と抱えていたストレスが一気に霧散していく。


 恐る恐るながらさっきの灯みたいに手を伸ばしていき指先でそっと触れると、猫はまるで身を委ねるかのように、まるで触れと言わんばかりの様子で明け渡してくれた。

 くすぐるように、そしてマッサージするようにその箇所を這わしていくと少しだけピンと張っていた尻尾が丸まっていき目を細めてくれる。



 猫が気持ちよさそうにしてくれるだけで、俺も同時にストレスが緩和されてのが実感できる。

 これがアニマルセラピーというものか。哺乳類のペットなんて飼うことの無かった人生で初めての感覚に、もはや感動のあまり涙すら出そうになる。


「むぅぅ……」


 しかしすぐ隣から発せられる声に気づいて視線を向けると、まさに不満一杯の様子で灯が猫”ちゃん”を見つめていた。


 俺がリラックスするのに加えて、あの灯が遥のように感情を素直に出す日が来るなんて……ペット効果とは恐ろしい……。


「えと……だっこする?」

「むぅ……」


 軽く持ち上げ抱っこしてみせるも猫ちゃんは嫌がる様子を見せない。

 すごいな……人懐っこいとここまでなのか。もっと嫌がるものだと思っていたが。


 差し出すように手を伸ばしてみせるも、灯は不満げな顔のまま動く様子を見せない。

 困ったな……諦めて膝に戻してもいいものか。


「マスター、ちょっとその子持ったままジッとしていてくれません?」

「ん? こう?」

「いえ、もうちょっと高く持ち上げて……そう、そんな感じです」


 ふと何かを思いついたように告げてくる彼女の言葉に従うと、俺は両手で猫ちゃんを持ったまま頭の上に配置する体勢へ。

 座ってはいるが、なんとなく天に掲げて崇めているような気分だ。まるでどこぞのライオンの王様のように光が差し込んできそうな気がする。

 あと、運動不足からか早くも持ち上げているのが苦になってきた。


「灯……?まだ……?」


 段々と掲げるのが辛く、プルプルと腕が震えるようになっていき猫ちゃんも不安そうだ。

 次の指示はまだかと灯を見るもさっきまで居た場所に彼女はいない。どこに消えた……?


「灯――――?」

「――――えいっ!」

「わっ!?」


 姿の消えた彼女を呼びかけると同時に突如目の前に現れる彼女に驚いて思わず声を上げてしまう。


 灯は俺のつい足元に居たのだ。

 足元に近づいた彼女はしゃがみ、そのまま飛び込むように俺の膝へ。

 椅子に座っている俺に座る灯……といった構図だ。


 膝に座った彼女はさっきまで上げさせていた腕を下げると手にしていた猫ちゃんを受け取って自らの膝の上へ。

 そして俺の身体によりかかりながらチラリとこちらを見る。


「この子の独占も駄目ですけど、マスターが私を構わないのはもっとダメです。 この子を構うのなら私をもっとかまってください」


 視線を下げた彼女はグリグリと頭を胸元に押し付けながら膝の上で猫ちゃんを撫でる。


 ……あぁ、俺があまりにも猫ちゃんを構うから寂しくなっちゃったのか。

 少し不機嫌気味の灯の手に自らの手を重ね、もう片方の手で彼女の頭を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らしてくれる。


「そうです。 マスターはそれでいいんです」


 安心したように身体を預け、優しい声で語りかける彼女はまさしく甘えモード。

 なんだ、怒ってると思ったけど可愛いところもあるものだ。灯も、猫ちゃんも。


「マスター、そこもっと…………あっ……」

「? 何かあった……?」


 優しく猫ちゃんを撫でて、撫でられていたかのじょはふと何かに気づいたように身体を起こして猫ちゃんの身体をマジマジと見つめていく。

 なんだ?前かがみになって、何かあったのか?


「マスター、撫でてるときに気づいたのですが、これ見てください」

「首輪じゃない? 飼い猫らしいしそれくらいあるでしょ」

「いえ、もっと中央のほう。その付いてる銀色のものです」


 たしかに。内側に隠れてわかりにくかったが首元に何かプレートのようなものがついていた。

 よくよく目を凝らして見ると住所と電話番号、そして名前が書かれている。これって……


「迷子札……か」


 それはペットに取り付ける、迷子になった時用の迷子札。

 あぁ、なんだ。この子は迷子の猫ちゃんだったのか。


 俺はこの子の正体に気づいて安堵すると同時に寂しさを覚える。

 そっか、この子は帰っていっちゃうのか……。


 猫ちゃんとのはやくも別れに悲しみを覚えていると、頭に何かが乗せられることに気がつく。

 灯だ。彼女は俺の頭に手をのせ、優しく撫でてくれていた。


「――――心配しなくてもマスター、寂しくなったら私を撫でてください。 私ならどこへも行きませんので」

「……ありがとう、灯」


 寂しさを汲み取ってくれ、優しくしてくれる灯。

 俺はそんな大切な彼女を軽く撫で、迷子札に書かれていた猫ちゃん……”アカリちゃん”を飼い主の元へ返すため連絡を始めるのであった。

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