014.お好みツリー


 熱せられた鉄板の上に敷かれた小麦と卵の混ぜ合わせた物が音を奏でている。

 生地が焼け、キャベツが焼け、肉が焼ける。ドロドロだった液体からしっかりと弾力の持った分厚いものに。

 裏表ともしっかりと中まで焼き切った俺は、今日の為に買ってきた起こし金を両手にそれを持ち上げ、手早く真っ白なお皿へと移し替える。


「よしっ、完成! ほら、できたよ奈々未ちゃん」

「おぉ……。ありがと」


 大きなお皿いっぱいに乗った焼いた生地の塊……お好み焼きを目にした奈々未ちゃんはわかりやすく目を輝かせてみせる。



 奈々未ちゃんがいち早く衣装を見せに来てくれた夜。

 あの後なんとか服を脱ごうと乱心する彼女を止めることを成功した俺は、あれよあれよと2人でお好み焼きを食べることになった。

 それも止めている最中に買ってきた袋の中身を目ざとく見つけられたことが始まりである。


 ソースやキャベツに紅生姜、おまけに青のりなどを見れば誰だって今日の夕飯の絞り込みくらいはできるってものだ。

 せいぜい候補に上げるとすればたこ焼きとか? 何にせよ、今日の夕飯を察知した彼女が「ここで夕ご飯食べてく」と言い出して今に至る。

 俺としても4人分の材料を買って余った分はどうしようかと考えていたのだから渡りに船。2階に置いてあったプレートを店に持ってきて2人でお好み焼きパーティーと相成ったのだ。



「マスターさん、ソースかけ終わったら貸してね」

「この一枚で終わりそうだからそっちの新しいやつ使っちゃっていいよ」


 手にしていたソースは明らかに軽い。

 俺の分のお込み焼きにソースをかけたらきっと使い切って………ほらやっぱり。なくなっちゃった。

 断末魔のように跳ねるような最後のソース放出をし終えてからはもうシュコシュコ空気の出入りする音しか出てこない。


 もしやと思って買い足しておいてよかった。さて、あとは奈々未ちゃんがかけ終わったら終了だ。


「奈々未ちゃん、そっちもう終わった……って、なにこれ……!?」


 彼女もトッピングし終えたかと見てみれば、真っ白な髪が垂れ、ジッと集中するようにマヨネーズを両手に動かしていた。

 驚くべきはそのお好み焼き。中央には三角形を一筆書きのように何段も重ねて最上段には五芒星が描かれている。

 その上三角形の内側には塗りつぶすような形で青のりがまぶしてあった。


 それはどこからどう見ても彩られた木……おそらくクリスマスツリーだ。

 木の装飾こそできないものの代わりとばかりに木の外側にはハートがいっぱい彩られている。

 さすがはアイドル。こういう才能もあるのか。


「……できた。 マスターさん、はい」

「え、俺の?」

「ん。 12月だし頑張ってみた。 マスターさん、食べて」


 今月は12月。まだ先だが確かにクリスマスが控えている。だからクリスマスツリーか。


 俺がトッピングした無個性のお好み焼きをひったくられると同時に代わりに置かれるのは、彼女が彩ったツリー。

 まさかそんな趣向を凝らしてくるとは……逆に崩すのがもったいなくて食べられない気がする。


「……こんなにいいもの貰ったら逆に食べられないな」

「言ってくれればいつでも作ってあげるから。 もったいないなら、写真撮るのは?」


 あぁ写真! それだ!

 何故か思い至らなかったナイスアイディアにスマホを取り出してカシャカシャと。

 奈々未ちゃんも俺の姿を見てこちらに回ってきてスマホをお込み焼きに向けていく。

 料理とか風景とか、あまり写真に残さない派だったけどなるほど、撮りたくなる気持ちがわかる気がする。こういう見事で食べにくいものって写真に収めたくなるね。


「あれ……? マスターさん、ソースついてる」

「え、ウソ? どこ?」

「ちょっとジッとしてて。今取るから」


 カシャカシャとシャッター音を鳴らしているとジッとこちらを見つめていた彼女からそんな一言が飛び出してきて思わず顔に手が触れる。


 しまった。さっきソースを出し切ったあたりだろうか。

 どの辺りか分からないがソースが飛び散ってしまっていたようだ。

 ティッシュで拭こうにも場所がわからない。その上肝心のティッシュは隣に座っている奈々未ちゃんの向こう。取るって言ってくれてるし、ここは大人しくジッとしておくべきか。


「動かないで……」


 数枚ティッシュを手にした彼女は隣に回り、その手を徐々に近づけてくる。

 まだ幼さの残る顔つきにアイドルになるほど整った容姿。彼女の無表情な顔がこちらへ近づいてくることに思わず目が離せないでいる。


「マスターさん、あっち向いてて。取れない」

「あ、ごめんっ!」


 しまった。正面向き合ってるとそりゃ取れないよね。

 慌ててもとに戻ると、「ん」と軽い返事がすぐ隣から聞こえてくる。


「はぁ――――むっ」

「っ――――!!」


 ソースを拭いて貰うため黙ってプレートのほう……正面を向いたままジッとしていると、俺の体全体が何か柔らかいものに包まれ……突然奈々未ちゃんが抱きついてきた。

 いや、抱きついてきただけじゃない。抱きつくと同時に頬に柔らかい感触と、シットリとした感触が襲ってくる。

 ティッシュ……そう、濡れティッシュと思いたいが、その感触は弾力があり、しっかりと形を持ったもの。その上目の端には目をつむった奈々未ちゃんがすぐ近くにいる。


 俺の思考はすぐさま答えを導き出した。

 彼女はソースを取るために、俺の頬へキスをしてきたのだ。

 ただのキスだけじゃない。ハムハムと歯を出さずに噛む動作をしたと思ったら中央から湿り気のある柔らかなものが俺の頬をチロチロと触れてくる。

 それは奈々未ちゃんの舌。小さく、柔らかな口から出てきた舌。まさしく舐め取るような動きで頬の一箇所を何度も何度も舌が触れてくる。

 突然の行動に俺はどうすることもできず固まり、ただただ彼女に身を任せていると、舐め終えたのかゆっくりと顔が離れて口周りをペロリと一周する。


「ん、ごちそうさま」

「奈々未ちゃん…………」

「ごめん、汚しちゃった。 んしょっ……はい、キレイになった」


 今度こそティッシュでさっきまで唇の触れていた箇所を拭き取った彼女は椅子を飛び降りるようにして戻っていく。

 本当にソースがついていたかはわからない。しかし、汚れを拭き取るのに1工程挟んだ奈々未ちゃんの戻っていく表情はご満悦だ。


「マスターさんってば隙だらけ。 それとも、口にキスのほうがよかった?」


 トントンと自らの指で触れる先には化粧しているからかほんのりピンク色の唇が。

 けれど彼女はそれはダメだと言うように首を横に振ってそれを否定する。


「でもダメ。 ファーストキスはもっとムードがなきゃ。 でしょ?」

「それも……そうだね」


 確かに今は夕飯直前、もっと言えばお好み焼き前だ。

 そんなものムードもへったくれも無いだろう。ソース拭きに来てファーストキスだなんて俺としてもその選択肢はない。


「マスターさん、食べよ? お好み焼き冷たくなっちゃう」

「……うん。 いただきます」

「いただきます」


 先程の衝撃に少しボーッとしながら従うように手を合わせたもののさっきの感触が未だに頬に残っている。

 遥、伶実ちゃん、奈々未ちゃん。今日迫ってきた3人。きっとこれからも迫ってくるんだろうなぁ……。

 むしろいつか襲われるんじゃないか?俺。 時間の問題なんじゃないか?


「あ、そうだ」

「ん?」

「奈々未ちゃんに聞きたかったけど、つけられてる件ってどうなったの?」

「あっ……」


 襲われるという連想からふと気になったことを問いかける。

 先日つけられてる気がすると彼女は言っていた。まだ2日程度しか経っていないが何か進展はあったのだろうか。


「うん。ストーカーがいた」

「ストーカぁ!?」


 小さな口からでた思わぬ言葉に席を立ってしまう。


 ストーカー!?

 確かに奈々未ちゃんは売れっ子アイドルだけどそんな輩が出てきたのか!!

 許せん!俺が成敗してくれる!!


「あ、でも大丈夫。 解決したし、私も何も無かったから」

「ならいいけど……どんな人だったの?」

「それは……」


 まさかこんな短期間で解決するなんて思いもしなかったが、奈々未ちゃんが無事ならよかった。

 保護者兼社長兼マネージャーであるおじいさんもかなり怒っただろうに。


「……大丈夫だったから。心配しないで。マスターさん」

「でも……」

「平気。 マスターさんの心配することはないよ」


 いかにも話を早く終わらせたいのかのように話題を切り、お好み焼きに向かう奈々未ちゃん。

 俺はそんな彼女に一抹の不安を抱えつつ、言葉を飲み込むのであった。

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