012.~~不満


「まったくもぅ……遥さんにも困ったものですね。病人だというのに」

「あはは……。そうだね」


 寝室から所変わってキッチン。

 俺と伶実ちゃんは2人、さっきまで使っていたお皿等の後片付けに精を出していた。


 お皿やお粥づくりに使った鍋を洗い、洗濯し終えた服を乾燥機にかけてからしばらく。

 俺の前で下着すら履いていなかった遥を叱った伶実ちゃんは、少しご機嫌斜めといった様子でシンクを洗ってくれていた。


 クローゼットから下の服が無くなった気配が感じ取れなかったからまさかとは思ったが、まさか下着すら履いていなかったなんて。

 お陰で未だに彼女の健康そうな桃尻が脳裏に焼き付いて離れない。クリティカルなところは見えなかったものの、下着でさえギョッとするのに何もなしはさすがに心臓が飛び出るかと思った。


 そして俺が部屋を出てから始まる伶実ちゃんの滾々とした説教タイム。病人だから程々にとも思ったが、さすがに今回は口を出すことができなかった。

 ちなみに下着がどこに行ったかというと、どうも暑いからと毛布の中で脱ぎ捨てたらしい。しかも無意識で。


 そんな遥は今、薬の副作用か寝足りなかったのか、俺のベッドでグッスリだ。

 あの調子なら病院行ってそのまま家に帰れるだろう。


「私が来た時も裸で随分驚きましたが、もしかして来る前からあんな様子だったんですか?」

「ないない! 伶実ちゃんが来たのも遥が起きてすぐだったんだし」

「そうですか……」


 隣から少し疑うような視線がチラリとこちらを見つめてきて、慌てて俺は否定する。


 完全に濡れ衣だが、来てくれた時はホント神の遣いかとさえ思った。

 それほどにタイミングがよく、完璧。本来なら早退したことに苦言を呈すべきかもだが、そんなの俺が言うことじゃない。


「マスター、もし私が来ていなかったらどうしてました?」

「それは…………」


 …………どうだろう。

 もしあの時彼女が来てなかったら、嫌な予感がしつつも確実に俺は扉を開けていただろう。

 そして予想通り彼女は拭いてもらうために待ち構えていた。予想外だったのは完全に上を脱いでいるところくらい。

 ここから先は想像でしか無いが、おそらく散々驚いた上で、せめて前だけでもと隠して貰い背中を拭くことくらいはしていたと思う。


 俺たちは恋人同士、そういったことは問題……あるかもしれないがきっと問題ない。

 後は互いの心次第な部分はあるが、今の俺に一歩を踏み出す、そんな度胸は無かった。

 もし俺のことを愛想尽かしたら、もし気の迷いだったと言われてしまったら。やっぱり何人も恋人が居るのが理由で見限られてしまったら。そんな考えが頭の中を過ぎり、先を踏み出す気持ちになれない。


「……では、質問を変えますね。 もし私が同じ状況だったらどうしてましたか?」

「同じ状況?」


 あまりに俺が物思いに耽っていたからだろうか。

 彼女は先程の質問を取り下げ、新たに疑問を投げかけてくる。


「はい。もし私がマスターに身体を拭いてもらいたくて裸で待ち構えていたら、です」

「そんなの、伶実ちゃんはしないでしょ?」

「もちろんしない……と思いますが、もしもの話です。 どうでしょう?マスターならどうしてましたか?」


 あまりにも荒唐無稽な質問に頭ごなしに否定してしまったけど、もしもか……。


「ちょっと……いや、かなり恥ずかしいけど、背中なら拭いてたんじゃないかな。 遥にもきっと同じことしてたと思う」


 きっと逃げるか、諦めて一部受け入れるかの二択。

 少なくとも前を拭くのは絶対に無いことは断言できる。そんなことできるか!!と声を大にして言いたい。


「そうですか……よかったです」

「伶実ちゃん?」


 トン――――。

 そんな感覚が肩に伝わり隣に視線を送れば、伶実ちゃんが寄りかかるように頭を肩に乗せていた。

 よく見れば袖もちょこんと2つの指で摘まれていて、ほのかに彼女の甘えるさまが見て取れる。


「私は遥さんみたいに好きだって気持ちを素直に出せないので……時々羨ましく思います。 でも、マスターがそう言ってくれるなら、私にも同じ対応をしてくれるなら安心しました」

「そんなの、当然だよ。 伶実ちゃんが居なかったら今の俺なんて無かったんだし」


 もしあの日、開店した当初伶実ちゃんが現れなかったら。

 きっと俺は今でも独り店で何もない日を無駄に過ごしていただろう。

 優佳が色々と気を遣ってくれたり迫って来たかもしれないが、それでも俺が逃げて逃げて関わらないようにしていたかもしれない。

 あれだけ好意をストレートに示してくれた優佳と向き合うと決めたのも、伶実ちゃんたちと触れ合ってきたからこそなんだから。


「やっぱり、私は遥さんに嫉妬しちゃってたみたいです。 すみません、情けない姿を見せちゃって――――キャッ!」


 彼女が最後の言葉を言い切る前に俺はその肩を掴み、引っ張り、胸元へ引き寄せる。

 シンクに向かっていたお陰で手が濡れていようが、その手が引き寄せた反動で俺の胸に触れていようが構いやしない。

 最初は驚いて目を丸くしていた伶実ちゃんも、何が起こったのか理解するやいなや肩を撫で下ろし、その身を委ねてくれる。


「嫉妬させちゃってゴメン。でも、俺は伶実ちゃんのことも大好きだから」

「……はい。ありがとうございます。 マスター、もっと強くしてもらえませんか?」

「強くって、こう?」

「ありがとうございます。……ふふっ」


 引き寄せるよりも強く。まさしく抱きしめるような力で彼女の肩を抱いていると、彼女は身体を翻して正面から飛び込んでくる。

 胸に耳を当て、まるで心臓の音を聞くような体制で腕の中に収まるのは完全に抱きしめている様。

 少し恥ずかしくなりつつもそんな彼女を伺うとちょうど大きな瞳と目が合って嬉しそうに目が細くなる。


「……総さん、もう少しワガママ言ってもいいですか?」

「もちろん。なんでも言って」

「私の両肩を掴んで貰えませんか?」

「……こう?」


 突然マスターから名前呼びに驚きはしたが言われるがままに小さな両肩を掴むとそれでいいかのように微笑まれる。

 すると突然彼女の腕が顔の横を通り過ぎ、これまで身体の間にあった腕を解放したかと思えばギュッと胸を押し付ける形で抱きついてきた。


 首周りに触れる腕の感触。完全に腕を回して抱きついているようだ。目の前にはほんの少し息の荒い伶実ちゃんが真っ直ぐ俺を見つめていたが、スッと視線を下にずらす。

 明らかに目を見てはいない。しかし焦点は定まっている。彼女は一体どこを見ているのか。鼻か、顎か、それとも……。


「マスター……」

「れ、れみ……ちゃん……?」


 狙いすました彼女の瞳はまさしく狩人だった。

 狙った獲物は逃さない。そんな意思がそこらじゅうから溢れてきていて俺の一点をただ見つめている。

 雰囲気に当てられたのか、これまでの様子とは雰囲気からして違う。これが嫉妬からくる力だというのか。

 ペロリと舌を出す彼女に戸惑う俺。首に回した腕が徐々に力が加わっていくのを感じ、詰めてくる互いの距離もゼロになるかと思った、その時だった――――。


「っ――――!!」


 ガチャリと。

 突然背後から扉の開く音がして彼女は勢いよく俺がら離れる。

 さっきの迫りは嘘かのようにシンクに向かい直す伶実ちゃん。しかし音を出した人物の足音はこちらに迫ってくることはなく、寝室となりにある扉の開閉音が聞こえてきた。


「トイレ……か?」

「みたい……ですね」


 寝室隣にある扉。それはトイレにつながるもの。

 きっとさっきの音は遥が部屋を出る音で、そのままトイレに向かったのだろう。

 向こうにとってはなんら意図した行動では無いだろうが、助かった……。


「まっ、マスター!もう一回私を抱き寄せてもらえませんか!?」

「いやいやいや……伶実ちゃんも早いとこ片付け終えて向こう戻ろうね」

「…………はぁい」


 再度同じ状況に持っていこうとする伶実ちゃんの頭を軽く撫で、一蹴する俺に不満げな顔を向けてくる。


 もしかして伶実ちゃんも遥も、欲求不満なのかな…………?

 そんな不安を抱えるとともに、これからの自分の身に寒気が走る昼下がりであった。

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