011.うさぎさん
「遥さんは病人なんですから、挑発するようなことしないでください」
「ゴメンね、レミミン」
伶実ちゃんがウチにやってきてしばらく。
ようやく事態を把握し落ち着きを取り戻した彼女は、ベッドに腰をおろしつつそんな言葉を漏らしていた。
シャリシャリと、苦言を呈しつつも止まることのないその手。彼女の手には来る時に買ってきたらしいリンゴが握られている。そう、リンゴの皮むきだ。
伶実ちゃんはまだまだ料理経験が浅い。だから仕方ないであろうが、包丁から落ちていくリンゴの皮は厚く、短い。
皮が全て膝上のお皿に落ちる頃には元のリンゴの大きさより一回りほど小さくなっていた。
「はい、リンゴ剥けました……け……ど……。 すみません。ものすごく不格好になってしまいました」
彼女自身も俯瞰で見てようやく気づいたのだろう。
伶実ちゃんの剥いたリンゴは小さく、そして歪な形をしていた。
それを自覚しているのか彼女自身の表情に暗い影が落ちてしまう。
「これは渡せませんね……。 遥さん、もう少し待っててください。まだリンゴのストックは合ったはずなので――――」
「待ってレミミンっ! …………うんっ!レミミンの剥いてくれたリンゴ、すっごく美味しいよ!!」
これは出来損ないだと。人には渡せないと引っ込めようとしたところ、それを許さないかのように遥の手が伸びてきて伶実ちゃんの手からリンゴをひったくる。
そしてそのままムシャリ。玉のまま勢いよく口にした彼女はここ一番の笑顔をみせて笑いかけてみせた。
「遥さん……。 ありがとうございます。でも、そのままだと果汁で汚れてしまうので切って来ますね」
「うん。ありがと」
再びリンゴを受け取った伶実ちゃんは、皮の乗ったお皿とともに寝室の外へ。
すれ違った時に見えた顔は笑顔だったし、失敗したけど落ち込んではなさそうだ。
伶実ちゃんが料理をするようになったのはここ最近の話。少なくとも春にバイトとして入った時には殆どできなかった。
教えたものをスポンジのごとく吸収し、今では彼女一人でも回せるようになったものの、やることといえば予め仕込んだものを炒めて、茹でて、挽いて、混ぜて、焼くくらい。
さすがにリンゴの皮むきなんて教える機会が無かった。でもさっきのを見るにきっともっと伸びてくれるだろう。
先程―――――。
遥の身体を拭くためにお湯とタオルを用意するさなか、どうやって入ろうかと難儀している時にやってきてくれた伶実ちゃん。
あの時は伶実ちゃんを部屋に特攻させたが、どうやら遥は上半身裸でこちらに背を向けて待ち構えていたらしい。
風邪引いた頭でモヤのかかった思考の中、寂しさと甘え心が頂点に達したとのこと。
なんとかその場は伶実ちゃんが遥の身体を拭くことで事なきを得たが、俺しか居なかったらどうなっていたことやら。
何にせよ無事何事もなく拭いた後はおかゆを食べてもらい、デザートのリンゴを食べようとなったところで伶実ちゃんが皮を剥くと言って今に至る。
現在の寝室には俺と遥の二人きり。少し向こうには伶実ちゃんがいるとはいえ、さっきの事があった手前なんだか気恥ずかしく感じる。
それに、今の彼女といえば…………
「なぁ、遥」
「なぁに?」
「その……それ、どうにかならないか?」
「それ?」
”それ”を顎でしゃくってみせるも、なんのことかわからないのか頭に疑問符が浮かんでいた。
わからないのはワザとなのか素なのか。 俺には判断することができない。
でもなぁ……これはなぁ……。
「ほら、その服。 もっとこう……いいの無かったのか?」
今度こそ示したのは今彼女が着用している服。
それは俺がいつも店で着回している黒色のシャツそのものだった。
完全にオーバーサイズで腕などダボッとした服。しかし胸周りはジャストサイズ、又は小さいと言えるほどのサイズ感だった。
いわゆる彼シャツ。狙ってかそうでないかは知らないが、一番上までしっかりボタンを止めたせいで胸周りのサイズ感が強調されるというオマケつき。
しかもシャツの下には下着のみしか着用していないせいで、下着の形も薄っすらと浮き出している。
その上今は毛布のお陰で見えないが、下半身は下着以外履いてないらしい。そこは伶実ちゃんも把握しておらず、遥の自己申告で真実は闇の中だが……。
「これ? でもマスター、さっき何でも着ていいって……」
「言ったけどさぁ……」
言ったけど……たしかに言ったけど!!
でもまさか風邪引いてるのに、そっちの思考に行くとは思わなかったって!
すごい辛そうだったから普通にジャージとか選ぶと思ってたのに!
「着てみてわかったんだけど、おっきな服の緩さがすっごく落ち着くんだぁ」
「だったらジャージのほうがリラックスできるんじゃ?」
「アタシも最初それにしようと思ったんだけどね。 クンクン……クンクン……。このマスターの匂いに包まれるのがこれしかなくって。すっごく落ち着くの」
「…………」
服の首元を持ち上げて鼻を近づける彼女はまさしく至福のひとときといった表情。
ツッコミたいけど……でも俺も気持ちがわかるから何も言えない。膝の上に乗った時の髪から漂う香りとか、正面からの時のほのかな香りとか、ずっと嗅いでられるのは理解できる。
きっと俺が何か言ったところで彼女はそれを脱ぐ気はないだろう。前全開とかでもないし黒で透けてないからいいんだけど……。
「雑誌で見たけど、これって彼シャツって言うんだね。 雑誌じゃこうやって胸元まで開けてたけど……どぉ?マスター」
「っ…………! し、閉めなさい」
プツン、プツンと1つずつ上から外して見えてくるのは彼女の持つ大きな胸の谷間。
ボタンを外す反動で小刻みに揺れ、立っている俺に見せつけてくるそれは服と同様、明らかにオーバーサイズだった。
風邪のせいで頬は紅潮し、潤んだ瞳はまるで煽情的な表情にも見えてしまう。
「あー、マスター顔真っ赤ー。 どぉ?アタシ、色っぽい?」
「びょっ、病人なんだから大人しく寝てなさい。 …………まったく、体調は大丈夫なのか?」
なんとか直視しないように肩を持って倒れさせると大人しくそれに従ってくれた。
彼女の様子は伶実ちゃんが来たときと来ないときで雲泥の差。もう治ったのだろうか。
「うん、薬が効いたのかな? 今は楽かも。さっきは汗で気持ち悪くてうえ~ってなってたしね」
確かに汗は気づくのが遅かった。悪いことをした。
拭くのとか、一人だと絶対詰んでたからな。結果的には伶実ちゃんを待って正解だっただろう。
「遥さん、リンゴが剥けましたよ」
そんな彼女の元気さに少し安心してると、ふと扉が開いて伶実ちゃんが姿を現す。
その手には綺麗に切られたリンゴが。2つ目も切ってくれたのだろうか、全ての皮を剥いたはずなのに幾つかはウサギの形になっている。
「ありがと~。わっ、うさぎさんだぁ! ありがとレミミン」
「いえ、喜んで貰えて良かったです」
うさぎも少し不格好で辛うじてそう見える程度だが、だからこそ伶実ちゃんの努力の証が見て取れる。
爪楊枝の刺さった1つを手にとった遥も美味しそうに目を輝かせるばかりだ。
さて、ここは伶実ちゃんに任せて紀久代さんに連絡でもいれますかね。
「それじゃあ伶実ちゃん、あとお願い。 ちょっと電話してくるから」
「はい。 ありがとうございましたマスター」
「あ!マスターちょっと待って!」
「ん? ……どうしたはる――――もふっ!」
俺が部屋を出ようと扉に手を掛けたところで遥の声が聞こえ、反射的に振り返る。
その瞬間、口に入れられるのは冷たくて甘い代物。言わずもがな、リンゴだ。甘いリンゴの風味が口いっぱいに広がり、シャクシャクとした食感が口内を奏でる。
突然口に突っ込んだ犯人である遥はイタズラの成功したような顔だ。
「えへへ。 今のうちに食べてもらわないとマスターが戻る頃には無くなっちゃうかもだし。 どぉ?美味しい?」
「ん、美味しいな」
「うんっ! よかったぁ」
眼の前で美味しさを共有し、嬉しそうな笑顔を浮かべた彼女は踵を返してベッドに戻ろうとする。
今は調子がいいのかフットワークの軽い彼女。ベッドの横まで小走りで近づいてからピョンと飛ぶように飛び込んだところで――――見てしまった。見えてしまった。
「!! 遥さん!見えて……見えてます!!」
「ふぇ? なんのこと?」
「その……下着が……おしりが………!」
「――――あっ! アハハ……マスターにも見られちゃったかな? もうこれはお嫁に貰うしか無いね~」
ピョンと飛んだときに見えたのは、短パンすら履いていない彼女のお尻。
大きなダボッとシャツに覆われていたのも飛んだ反動で意味を無くし、見えてしまう真っ白なショーツ…………否。
ショーツでは、なかった。
見えてしまったのは肌色いっぱいに広がるその光景。
白色の布すら見えないその光景に伶実ちゃんは驚愕の声を上げ、俺は無言。
黙って部屋を出た俺の脳内は、さっきの光景が焼き込まれるのであった。
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