010.救世主


「んぁ……あれ……?」


 目が覚めると、そこは知らない天井……なんてことはなく、毎日見てきた寝室だった。

 クローゼットに鏡、時計などがあるシンプルな部屋。静かな、誰も居ない気配の中俺はゆっくり意識を取り戻す。


 目が覚めて感じたことは、世界が真っ直ぐなことへの違和感。

 いやまぁ、事実を列挙すると当たり前のことだが、普通寝るとしたら横向きないし天井を見ているのが常だろう。だって寝転がっているのだから。

 しかし今回は、目にした光景が横向くこともなくそのまま真っ直ぐ向いていた。何故だろうと思いつつ今の状況を整理していると、すぐに答えにたどり着く。


 答えは単純、何かに寄りかかったまま座って眠っていたからだ。

 よろけないよう慎重に立ち上がってその身体をほぐしていくと、至るところでポキポキと骨が鳴っていく。

 特に腰なんて大変だ。左右に回すとゴキッと盛大に聞こえてきた。

 こういう小さな積み重ねが後々響いてくるって聞くし、あんまり変な体勢で寝ないようにしないと。



 時刻は12時手前。

 段々と思い出してきた。そういえば遥が風邪で倒れて運び込んだんだっけ。

 どうやら遥が寝るのに合わせて俺も眠てたらしい。

 ふと呼吸音が背後から聞こえて振り向けば、遥がベッドでスヤスヤと眠りこけていた。

 まだまだ辛そうな様子だが、それでも朝に比べて幾分マシな気がする。


 彼女の隣に座り込み、目にかかりそうな彼女の前髪を軽く分けると、辛そうな雰囲気が柔らかくなる。

 うん、少しづつだが治ってきているようだ。そんな遥に軽く微笑んでみせ、一人リビングに向かおうとすると……


「マスター?」

「っ――――!!!」


 部屋を出る瞬間、突然かかる背後の声に思わず肩を大きく揺らす。


 びっ……くりしたぁ……。

 完全に寝てる様子だったから油断した。

 ゆっくり振り返ると弱々しくも自らの腕を支えにし、上半身を起こしている遥の姿が。

 なんだかさっきとデジャヴ。これで寝ぼけながら突撃してこないよね?キス迫ったりしてこないよね。


「どうしてマスターがここに――――ぁっ……。そっか。アタシ、早くに店来て倒れちゃったんだね」

「覚えてるの?」

「うん……。なんか身体熱いな~って思ってはいたんだけど、まさか倒れちゃうなんて……アハハ……」


 冗談めかすように笑ってみせるもその力は弱々しい。

 でもよかった。さっきみたいに寝ぼけた様子は無くしっかり覚醒してる。


「突然倒れてびっくりしたぞ。 熱、もう一度測れる?」

「うん。ゴメンねマスター。 そういえば学校って……」

「伶実ちゃんに連絡したから大丈夫。それに紀久代さんにも伝えたよ」

「そっか、ママにも……。 心配掛けちゃったな……」


 顔を伏せて小さく笑う彼女は少し寂しげに見えた。

 しかしそれを振り払うように首を振ると、そのまま身体を半回転させるようにベッドに座って見せる。


「よいしょ。 マスターもありがと。それとゴメンね?お店、開けられなかったよね?」

「どうせ日中は遥たちが来るまで誰も来ないから開けなくても変わらないしな。立てそうか?」

「どうだろ……やってみる」


 ベッドに手を添えて何度か力を込める動作をした後、本番というように立ち上がろうとするも、踏ん張りきれなかったのかすぐに再びベッドへ倒れ込む。

 これはなかなか重症そうだ。


「ダメみたい。む~、シャワー浴びたかったのにぃ」


 パタパタと首元の熱を逃がすさまは確かに暑そう。

 額には汗が滲み、ブレザーのシャツは腕の部分が張り付いている。

 シャワー浴びたほうが良さそうなのだが、立てそうもないしいざシャワーで倒れられると困るしなぁ。


「そうだ。せめて身体を拭くようにお湯とタオル用意しようか?」

「いいの? なら着替えもお願いしちゃダメ?制服は汗吸っちゃって……」


 ふむ、あれだけ辛そうだったんだ。相当の汗を吸ってしまってるだろう。

 必要なのはお湯とタオルと着替えに飲み物……それくらいか。

 服も多少大きいだろうが捲くれば問題なく使えるはずだ。


「服はここにあるの好きに使って。 でも、この引き出しは決して開けないように!」


 念押しするように示すのは、引き出しの一番上の部分。

 何を隠そう、ここには俺の下着類が入っているのだ。フリなどでは決して無い。

 なら最初から言わないほうがいいかとも思ったが、それだと確実に開けてしまうだろう。

 だったら敢えて言って開けない道を信じることにした。あと不意に見てしまって悲鳴を上げられるより、事前に言っておいて心の準備をさせたほうが俺としても都合がいい。


「ん、わかった。 一番上だね」

「お? おぅ……」


 予想していた言葉と違って、なんだか肩透かしを食ってしまう。


 なんだ……?予想してた答えといえば「マスターの下着でも入ってるの!?絶対開ける!」とかだと思ってたのに。

 自意識過剰なだけだったのだろうか。それとも風邪で普段のテンションみたいに上がらないとか?


「それからマスター、ジャケット預かっててくれない? ちょっと寝にくい上に暑くって」

「あぁそっか。 ゴメンな気づかなくって」

「ううん、ありがとね」


 彼女の装いは学校の制服。ブレザータイプのシンプルな冬服だ。

 しかしジャケットについては完全に見落としていた。これまで寝にくかっただろうに。

 俺は早々に手渡してくるそれを受け取ってクローゼットの中に入れていく。これもクリーニングしたほうがいいだろうが、後での話だ。今は忘れて帰らないように覚えておこう。


「ちょっとお湯とか準備してくるけど、アレだったら寝てていっ……! いいっ……から……!」

「…………? マスター?」


 きっと、遥は俺の様子を妙に思っただろう。最後の最後で言葉に詰まり、目を逸らしたのだから。

 しかし、こればっかりは仕方ない。今の彼女の格好は汗だくのシャツ一枚。腕でさえ汗で張り付くほどだったのに、ずっと暑い毛布に包まれていた身体なんて言うまでもない。

 彼女の身体は背中からお腹周りまで全て汗にまみれ、完全に張り付いてしまっていた。

 となれば当然、その下に着用しているものが浮き出てくる。今の遥はもはや下着姿と言っても過言ではないほど、白い下着が浮き出してその姿を晒してしまっていた。


 親しい女性の中では最も恵まれたスタイルを持つ遥。

 その胸は明らかに大きいと言えるほどシャツを押し上げており、一転お腹周りは食べるのが大好きな彼女には似つかわしくないほど細くなっていた。

 食べたものは全て胸に吸収されてると言っても過言ではないほどのその身体に目を奪われていると、スッと細い腕が自らを隠すよう視線を遮ってくる。


「あはは……ゴメンね汚い姿見せちゃって」

「べっ……別に汚くなんか……」

「もしかして、マスターはこういう姿が好きだったり?ちらりずむってやつだっけ? いいんだよマスターなら。アタシを好きに触っても」

「~~~~! ほら、安静にしてなさい! お湯準備してくる!!」


 「いってらっしゃ~い」と、苦しげな中でも楽しげな声をバックに部屋を飛び出す。

 まったく、風邪を引いてて辛いだろうにそんな挑発するような事言って……。




 ジャーっと、蛇口から流れ出るお湯を溜めながらふと1つの考えに行き着く。


 でもあの流れだと、お湯とタオルを持っていったところで「マスターが拭いて」と言われないだろうか。そんな事言われたら耐えられなくなる自身がある。

 うぅむ、何か回避するのにいい方法は…………


 そんな考え事をしつつ準備していると、不意にガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえてきた。

 誰だ……?部屋の鍵は閉めなかったが、そこにつながる店は表も裏もしっかり閉めたはずだ。

 こんな時間に入ってくる人なんて……。


「マスター……居ますか?」

「…………伶実ちゃん?」


 玄関の方から控えめな声が俺を呼ぶ。

 慌てて廊下に出て見えた姿は、愛しい彼女、伶実ちゃんだった。


 なんで?どうして?

 遥と同じ制服姿の彼女は右手に学校用のバッグと共に袋を携え、部屋に入りあぐねていた俺を見て首を傾げる。


「どうしました?部屋の前で頭を抱えて……」

「いや、これは――――」

「……! もしかして、遥さんの容態に何か……!?」


 慌てて靴を揃えるのすら忘れて駆け寄ってきた伶実ちゃんは、息を荒くして俺の両肩を勢いよく掴んできた。


「マスター、遥さんは大丈夫なんですよね!?

「だいっ……大丈夫だから……! 落ち着いて……!」


 身体揺らさないで!せっかく溜めたお湯がこぼれちゃう!!

 その勘違いを正すため詰め寄ってくる彼女を宥めていると、ふとあることに気がついた。


 あれ……。

 これってチャンスじゃない?きっと向こうで遥が待ってるだろうし、タオル持ってくのを伶実ちゃんに任せればさっきの嫌な予感、回避できるんじゃない?


「伶実ちゃん、とりあえず……何も言わずにこれらを持って部屋に入ってもらえる?」

「? はい……それくらい、全然構わないですけど……」


 まだ混乱のさなかにいる彼女にお湯とタオルを押し付けた俺は、急いで部屋が視界に入らない位置に。

 さて、開けた先の遥が普通に……俺の杞憂で合ってくれるといいんだが…………その前にノックだけはやっておかないと。


「遥、今いい? 入るよ」

「いいよ~」


 扉の向こうから軽い口調が帰ってくる。

 よし伶実ちゃん、今だ。


「あ、マスター。 ちょうどよかった。準備できたから背中、拭いてくれな――――」

「なっ…………!はっ……遥さん……!? 何なんで上裸に……なんて格好してるんですか!!」

「はれ? レミミン!?なんでここに!?」

「遥さんが心配だから早退してきたんですっ! せめて毛布で隠すなりしてください!!」


 声掛けだけして伶実ちゃんに入るよう促すと聞こえてくる、少女2人の慌てたような声。何かしらハプニングがあったらしい。

 「はれ?」って……。遥も随分と驚いたみたいだ。


 無事だった遥に安堵よりも怒りが勝ってしまった伶実ちゃんの声を聞きながら1つ安堵のため息が出る。


 あーよかった。俺が入らなくて。

 伶実ちゃんが来てくれて、ホントよかった。

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