009.夢か、現実か
『――――というわけでして、今日は一日休ませて安静にしてもらおうかと……』
『…………そうですか』
電話口の向こうで静かなため息が聞こえてくる。
そりゃそうだろう。朝意気揚々と出ていった娘が倒れたなんて連絡をもらったのだから。
朝、いつものようにお店の準備をしていると、いつもは鳴らないインターホンが鳴って遥の来訪が告げられた。
来訪の理由は朝早く起きたとのことだったが、どうにも顔が赤くて様子がおかしい。
いつもと違う彼女に違和感を覚えていると、立ち上がった時に倒れ込む遥。
慌てて支えた彼女の身体は熱く、息も荒い。大丈夫と訴える遥に無理やり体温計を押し付けると、表示される温度は明らかに大丈夫といえるものではなかった。
そうして2階のベッドで眠らせているのが今の状況。俺といえば関係各所へ連絡を入れているところだった。
学校の教員はさすがに厳しいものがあったため、まずクラスメイトの伶実ちゃんへ。教員には伝えてくれると言う言葉に甘え、今は母親の紀久代さんへ電話を入れていた。
『お店があるというのに、娘がすみません』
『いえ、日中は誰も来ませんので。 何なら休んでも問題ないですし』
日中開けてるのはただの流れ作業の一環なだけで、別に開けずとも問題はない。
今日は食材等の入荷もないし、開けたとしてもただ赤字を垂れ流すだけ……なんか、望んでやったこととはいえ悲しくなってきた。
『今の娘はどのような様子ですか?』
『えと……眠ってますね。 薬も飲ませましたので少しは楽になると思います』
廊下からチラリと部屋の中に視線を移すと、仰向けでスヤスヤと眠っている遥が目に入る。
しかし顔が紅く、呼吸も少し苦しそうだ。
更に憂慮すべきはその服装、学校の制服のままだがそれは勘弁して欲しい。
着替えさせる体力もなさそうだったし、俺ができるわけもない。シワになるのは多めに見てもらうしかない。
『ですので、お昼辺りにでも迎えに来てもらえれません?』
『迎えですか。 大牧さんのお宅に置いておくことは可能ですか?』
……まぁ、うん。それくらいは予想の範疇だ。
段々と予測ができるようになってきた。彼女は俺とくっつけたいと定義して思考をトレースすればある程度返事の予想を立てることができる。
迎えに来られないのもちゃんと理由があるかもしれない。向こうも向こうで忙しいかもだし、それなら万年暇な俺が診ていたほうがいいだろう。
『大丈夫です。 でも、もし夕方まで熱が下がらないようなら病院に連れていきますので少なくとも夜までには迎えをお願いします』
『……一晩診てもらうというのは?』
『ダメです』
それはダメです!
なんだか向こうで口を尖らせているような気がする。
『……わかりました わざわざすみません。お礼はまた後日持って行かせます――――』
ふぅ、分かってくれたか。
別にお礼なんて気にしなくてもいいのに。ちょっと高級なお茶請けでいいよ。
『――――お礼に、アタッシュケースをもう一つ追加しておきますので』
『あ、アタッシュケースですね。わかりまし………ちょっとまってぇ!!』
なんとも聞き逃がせない発言に敬語も忘れて突っ込んでしまったが、彼女の行動は俺の反応よりも早かった。
言い切る前には受話器を下ろしていたようで、後に聞こえるのはツーツーといういつもの電子音だけ。
ちょっと看病するだけなのにとんでもないお礼になってしまった。そんなポンポン追加しちゃっていいのだろうか。
「ぁれ……ここ、どこ……? ママ……?」
さっきのツッコミが届いてしまったのだろうか。
通話終了となったスマホの画面を見つめていると、寝室から遥の声が聞こえてくる。
ボーッと焦点の合っていないまま辺りを見渡しつつ、ふと俺と目が合ったと思いきや認識してるのかそうでないのか、ただボーッとこちらを見ていた。
「ごめん、起こしちゃったか?」
「…………ぁれ~? ますたぁ~だぁ~! なんでこんなとこに居るのぉ~?」
完全に呂律が回っていない。
なにやらいつもと違うフワフワとした雰囲気の彼女は今まで大人しくかぶっていた毛布を引っ剥がてベッドから飛び降りつつ、トテテテテ……と、小走りでこちらに向かってくる。
風邪の影響か寝ぼけの影響か、フラフラとした足取りでなんとか目の前にたどり着いた彼女は、こちらを見上げるとニヘラと破顔させていく。
「マスタぁ。 ほんもの?本物?」
「お、おぅ。 本物だぞ。夢でも見てたか?」
ペタペタと確かめるように俺の輪郭に触れてるくる彼女の顔はやはり赤い。
程度は分からないがまだ風邪の影響は残っているようだ。
「さっきもね、マスターと一緒に居たんだけど触れなくってね。 キスしようと思ったらすり抜けちゃって……」
あぁ、そりゃ夢だ。
飲み物のシェアとかで間接キスこそあるが、直接一対一でのキスはない。
そもそもすり抜けの時点で実在はしてないだろう。
何度も触れてくる手の動きがピタリとやんだと思ったら、彼女の手は俺の両頬に。
暖かな手のひらに、まるで包み込まれるような感覚。真っ直ぐ見据える彼女の瞳は潤んでいた。
これは……まさか……。
さっきの言葉の潤んだ瞳。そこから先に何が待ち受けるかなんて言うまでもない。
「だから今度こそ…………ん~――――」
「ちょ……! まってまって! 遥!ストップ!!」
「ん~!!」
やはり、というべきか。彼女は潤んだ瞳を閉じかと思いきやそのまま迫ってきたのだ。
軽く唇を突き出し迫ってくる様はまさにキスをしようとするように。
その突然の行動に驚愕はしたものの、さっきの言葉の時点で不穏な気配を感じ取っていた俺はなんとか肩を掴むことで止めることに成功する。
さすがにこの流れでのキスはマズイ!!
遥も夢心地のまま初めてのキスは望むところでは無いだろう!俺だって今の雰囲気は違うと思う!
必死に押し留めているものの、彼女が力強いのか、それとも俺が非力になったのか、徐々に縮まっていく互いの距離。
その距離およそ10センチ。
もうダメだと諦めの心が頭の中を過ぎった直後のこと。突然彼女の力がフッと抜けて、思わず勢いのまま押し倒しそうになる
「うぉっ……とと。 今度は何が……?」
なんとか腕を引いて彼女との距離を適切に保つことに成功し、再びヘナヘナと倒れ込む彼女を見れば、遥は瞼を閉じて穏やかに寝息を立ててしまっていた。
寝た……?寝たのか……?
それとも最初から寝てた?今までの動きは全部寝ぼけてたから……?
「ホントに……?」
スヤスヤと穏やかに眠っている彼女は、どう見ても狸寝入りしているとは思えなかった。
抱き上げる時に反射で起こる重心移動すら見られなかったから、おそらくホントに寝ているのだろう。とりあえずの危機を脱したことに安堵した俺は、彼女を再び寝かすためベッドまで運んでいく。
「おやすみ遥。 今度はしっかり寝るんだぞ」
きっと今度こそ。目覚めた彼女はいつもどおりの状態に戻っていることだろう。
そう願ってその場から離れようとすると、ふと服が何かに引っ張られる。
「んっ…………マスタぁ…………」
それは彼女の手によるもの。
いつの間にか服を引っ張りながら俺を呼ぶ彼女は、離れてほしくないと言っているようだった。
「――――仕方ない。今日だけだぞ」
優しく手をほどいた俺はベッドの横に背中を預けて目を閉じる。
きっと、これで彼女も安心してくれるだろう。彼女の不安げな声がホッと安堵したものに変わったのを聞こえた時には、俺もゆっくり瞼を閉じていくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます