007.励ましの言葉


 本永家に呼び出されてから、一晩が経過した。


 夜にストレッチやお風呂でのマッサージなど、ネットで調べた出来うる限りの対処をしたお陰で、筋肉痛は最低限まで抑えることに成功した。

 動くたび二の腕や太ももの裏側などは痛むが、それでも動けないほどではない。何かに夢中になれば痛みを忘れることができる程度のもの。


 運動不足である自身の身体を嘆きつつ、『運動は明日から頑張る』モードに入りながら行う、いつもの日常。


 今日も今日とて喫茶店の開店だ。

 1年弱ほどやって気づいたが、家と店が繋がっている事もあって気が向いた時に休むこの店のスタイルは俺に合っているような気がした。

 そもそもお客さんはいつものメンバーしか来ることの無い店。休みも仕事もあったもんじゃないけど。互いの境界線は曖昧な、開店休業状態最高!



 そんな折、昨日の優佳の言葉を思い出す。

 もし店を拡大するとなったら当然お客さんも増える。

 ってことは今までみたいにダラダラとすることが出来なくなるのではないだろうか。


 それは……なんだか気が引けるなぁ。

 いつかの未来でみんなと住む以上、増改築は避けられない問題だし、直面して困ったことになりたくない。

 ならば店は今まで通りで居住スペースだけ広げるという選択肢もあるが、それだとお金を返すあてが無くなっちゃうからなぁ。


 そもそも昨日提示されたお金は借りるという形でもなかったが、貰うだけという形はこちらの気が引ける。

 なら俺の資産を現金化するかなぁ……でもなぁ……それはそれで支障が出かねないからなぁ……。


「ちょっと~! 大牧くんいる~?」

「うん……?」


 鈴の音と共に呼びかけられる声へ顔を向ければ、そこにはスーツ姿の小さな女性が。

 まだスーツに着られてる感が否めない彼女は、律儀にも扉をノックしつつ店内へ入ってきた。


「あぁよかった。 いてくれたのね」

「そりゃもちろん俺の店だからいるが……まだ開店前だぞ?」


 まさしく常連かのごとくツカツカとヒールを鳴らして近づいてくるが、今はまだ開店30分前。

 俺もまだ準備の最中。けれどそんな事知ったこっちゃないというように彼女は突き当りのカウンター席に腰をおろしてみせる。


「別にいいじゃない、そんな事。 私だって忙しい朝の時間に来てるんだからおあいこよ、おあいこ。」

「なんだそれ?愛子ギャグか?」

「……は?」


 まだ眠けも取りきれてない中少しの意趣返しも含めておどけてみせたが、一瞬の内に彼女の大きな瞳が薄くなってこちらを睨みつける。

 暖房は十分効いているはずなのに、凍えるように寒いその視線。冗談はマジトーンで返されるのが一番辛いんだからね!


 そんな彼女の容赦ない視線に身震いをしつつ1つ咳き込むと、彼女は何事も無かったかのように表情を元に戻してメニューへと視線を移してくれる。

 あー怖かった。


「この……トーストセットってある?飲み物はホットミルクで」

「もちろんあるが、準備終わってないから時間かかるぞ?」

「それくらい待つわよ。でも、朝ごはん食べて無いからなる早でね?」


 はいはいっと。

 とりあえず今手をかけていた物を後回しにし、早速調理を始める。


 彼女の名は小川 愛子おがわ あいこ。高校時代の同級生だ。

 双子の妹に愛理という人物もいるが、今は割愛。彼女は前に会った時に教育実習生と言っていたはず。伶実ちゃんらと知り合いだったのは本当に驚いた。

 確か中学時代伶実ちゃんらが通ってるシンジョに通ってて、実習もそこに行ったらしい。今日もスーツということはそれ関連だろうか。


「スーツ着てるってことは今日もあの高校か?」

「えぇ、全員の実習が終わってからディスカッションがあってね。その準備のために朝一瞬だけ時間作ってもらったのよ」


 わぁ面倒くさい。

 ディスカッションなんて大学1年目の講義で軽くやったけど、事前準備の大変さにもう二度とやるもんかって思った記憶がある。


「はい、おまちど。  大変だな……ディスカッションなんて絶対やりたくないや」

「ありがと。 ホントよ。授業の一環とはいえ面倒なことこの上ないわ……」


 彼女もどうやら同じ気持ちみたいだ。

 トーストが乗ったお盆を受け取りつつ出るため息は憂鬱そのもの。やりたくないオーラがこれでもかというくらい出てしまっている。


「まぁ、やらなきゃならないんだから仕方ないわ」

「頑張れよ。 それで、今日はそれを言いに来たのか?」

「そんなわけないじゃない。 あの後付き合ったって聞いたからお礼を言いに来たのよ。おめでと」

「あぁ……ありがと」


 そのことか……。

 彼女と会ったのはホテルに拉致される直前。

 あの後拉致されて、みんなに迫られて、全員を選んだんだっけね。1ヶ月程度なのにもう随分と前のことのようだ。


「冗談交じりで言ったけど、まさかホントに全員娶るなんてねぇ……。優佳ちゃんから聞いた時は愛理と一緒に叫んじゃったわ」

「し、仕方ないだろ。選べなかったんだから……。でも、愛子の意見も影響したかもしれないんだぞ?」


 あのホテルでの一件、俺が全員を選んだ件。

 もしかしたらあの日の会話が、あの答えを導き出す糸口になったのかもしれない。

 彼女が重婚可能な国に行くという選択肢を提示したお陰でアレをえらんだ…………かも?


「よかったじゃない。みんなに受け入れてもらって。 ……ってことは、私はアンタの恋のキューピッドってことになるのかしら?」

「さぁ。 でも少なくとも、後押しになったわ。ありがとな」


 使った器具を洗いつつチラリと彼女を見ると、明らかに怪訝な目をしてこちらを見ていることに気づく。

 ……なに?その目は。


「アンタからそんな殊勝な言葉が出るなんて……今日は真夏日!?」

「おい」


 真夏日って今12月でしょうに。それを味わいたいなら赤道まで行かないと。

 わざとらしく驚いている彼女に突っ込むと、彼女は肩をすくめながらミルクを一口飲んで見せた。


「ま、私からしたら優佳ちゃんを笑顔にしてくれたからどうでもいいわよ。 捨てたり……しないわよね?」

「しっ……しないしない! 俺がそんな事するわけ無いだろ!?」


 優佳を捨てるなんて薄情なこと、するわけがない!

 彼女がこれまでの人生で一番俺を支えてくれたんだ。なのに裏切る行為は絶対にありえない。


 しかし彼女はそんな俺の驚きを予想していたように、肩を竦めつつ落ち着くよう促してくる。


「冗談よ。 あ~あっ!アタシも早くカレシ欲しいな~!ねぇ、大牧君のところに席ってまだ空いてる?」

「…………俺のことが好きなの?」

「ほら、大牧君ってお金持ちじゃん? 私もそこに加わればお金の心配する必要ないかな~って!」

「…………」


 なんてオブラートの欠片もない答えを。

 でも愛子らしいな。全く気を使う必要がないから俺も心を開くことが出来たんだと思い出す。


 しかしそれとツッコミはまた別だ。

 おどける愛子にツッコミを兼ねてジト目を向けていると、彼女はふぅ……と息を吐きつつミルクの入ったカップへと視線を落とした。


「……ホントは、私も考えてたんだよ?」

「なにを?」

「――――なんでもない! ごちそうさま!私はそろそろ学校に向かうわね」


 視線を落とした時に見えた、一瞬だけの諦めたような目。

 あまりに一瞬すぎて見間違いだったのかもしれないが、そんな目をかき消すかのように彼女は席を立って荷物をまとめる。


「お金はいいよ。前のアドバイス料ってっやつだ」

「いいの!?やったぁ! お昼代が浮いたなぁ」

「……だから愛子。何か困ったらここに来るといいよ。 ここには優佳だって、”ナナ”だっているしな」

「…………」


 きっと、愛子も大学生活が大変なのだろう。一足早く教育実習をし、こうやって真面目にスーツだって着ている。

 だからちょっとした励ましの言葉……のつもりだったが、彼女は驚いたように目を見開いていている。


「……愛子?」

「あ、いや。なんでもない。 そうね、また”ナナ”にも会いたいし、来ようかしらね」

「おぉ。 今度は酔っ払って脱がないようにな。色々と面倒だから」

「そんな言い方しちゃっていいの? 今度ワザと脱いで大牧君とツーショット撮っちゃおうかしら。もちろんみんなへの送信込で」

「俺を殺す気!?」


 まさかのカウンター!?

 そんな事したら各方面から俺がやられかねない!

 絶対次の日の朝日が眩しく感じるパターンだ!


「それじゃ、またね。 せいぜい頑張んなさい」

「……おうよ」


 愛子は俺の反応に小さく笑いつつ、店を後にする。

 俺もそんな元気いっぱいの後ろ姿を見送りつつ、今日の店の準備を再開するのであった。

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