「胡」匈奴(2)

※小説本編 https://kakuyomu.jp/works/16817330654652941795


 前回は北方騎馬民族である匈奴きょうどしん前漢ぜんかんといった中華王朝と激戦をくりかえし、ついに戦いに敗れ従属するまでを解説しました。今回はそのつづきです。


 匈奴きょうど前漢ぜんかんに従うかたちで成立した平和は六〇年程度で終わりをむかえます。


 その原因は、前漢ぜんかん王莽おうもうによって倒されしんが建国されたためでした。


 西暦八年にしんを建国した王莽おうもうは、匈奴きょうどをはじめとした「異民族」に対して非常に強硬的な政策を実施しました。匈奴きょうどはそれまで与えられていた特権を一方的に奪われていきます。


 そしてついに人質としてしんの都にいた単于ぜんう匈奴きょうどの王)の息子たちが処刑されたのをきっかけに、平和は完全に崩壊しました。


 匈奴きょうどは何度もしんの北の国境を襲撃するようになります。その激しさはきょうとの全面戦争をおこなった前漢ぜんかん武帝ぶていの時代と変わらないほどでした。


 また王莽おうもうによる「異民族」強硬政策はきょう以外の少数民族にもおよんでいたため、彼らはしんではなくきょうに服属するようになります。


 きょうはほかの少数民族をたばね、勢力を著しく拡大させました。


 このころが歴代の中華王朝を苦しめ続けた「北方騎馬民族国家」きょうの最後の時代にあたります。


 きょう単于ぜんう輿は、しんがあまりに強硬的・急進的な政策のために崩壊していく混乱のなか、中華王朝に従属する前のきょうを再興しようとします。


 単于ぜんう輿盧芳ろほうという群雄を支援し、しんの国内(=伝統的に中華王朝の勢力圏とされている地域)にきょう傀儡かいらい政権をたてることに成功します。


 しかしきょう傀儡かいらい政権は中華統一を目指す後漢ごかん光武帝こうぶていによって撃破されます。単于ぜんう輿きょう自立の夢はこうして阻まれました。


 そして単于ぜんう輿の死によって後継者争いがおこると、きょうは衰退の道をたどり始めます。


 単于ぜんう輿の死の前後、きょうが支配するモンゴル高原を干ばつと蝗害こうがい(イナゴなどによって農作物が食い荒らされること)が襲いました。


 そして単于ぜんう輿の死後、だれが新しい単于ぜんうとなるかで激しい後継者争いがおこりました。


 これをきっかけにきょうにたいして反旗を翻したのが、烏桓うがんです。


 烏桓うがんもまたきょうと同じく、北方遊牧民です。


 彼ら烏桓うがんは前二世紀、きょうの最盛期を築いた冒頓単于ぼくとつぜんうに滅ぼされた、東胡とうこという民族の末裔でした。東胡とうこが滅ぼされて以降、烏桓うがんきょうの厳しい支配下にはいります。


 また烏桓うがんきょうだけでなく、前漢ぜんかんによっても支配されていました。


 前漢ぜんかん烏桓うがんを通じてきょうの情報を手に入れており、特権を与えたきょうとは反対に、烏桓うがんを苛烈に支配します。ときにはきょう前漢ぜんかん侵入を防ぐために、烏桓うがんを利用することもありました。


 烏桓うがんきょう前漢ぜんかんという二大勢力のあいだで長年苦しめられていました。


 そのため前漢ぜんかんしん王莽おうもうによって滅び、きょうが天災と単于ぜんう輿の後継者争いで弱体化したこのとき、烏桓うがんは復讐と独立のために蜂起したのです。


 きょうは天災、後継者争い、そして長年支配していた烏桓うがんの蜂起に対処することができず、四八年に南匈奴みなみきょうど北匈奴きたきょうどに分裂します。


 この分裂は現在までつづいている、と考えられています。


 南匈奴みなみきょうどは現在の中華人民共和国のなかの内モンゴル自治区や華北地域の一部におおく居住する、中国国内のモンゴル族の人々の直接の祖先だと考えられています。


 その一方で北匈奴きたきょうどは、チンギス・カーンらモンゴル帝国、そしてフビライ・カーンらのげんをへて、現在のモンゴル国に暮らすモンゴル族の人々の祖先だと考えられています。


 話を歴史にもどします。


 南匈奴みなみきょうど単于ぜんうとなった南単于比みなみぜんうひは五〇年に息子を後漢ごかんの宮廷へ送り、後漢ごかんに服属しました。


 形式上は前漢ぜんかんのころと変わらない待遇に見えましたが、後漢ごかんきょうに対してずっと支配的な態度をとるようになります。


 またみなみきょうも、後漢ごかんの支配的な態度に対して抵抗できるほどの力をすでに失っていました。


 後漢ごかん光武帝こうぶていが中華を統一したのをきっかけに、きょうだけではなく烏桓うがんをはじめとした、ほかの少数民族たちも後漢ごかんに服属するようになります。


 こうして新しく服属した複数の少数民族に対して、後漢ごかんは大量の物資を与える一方で、反乱にはきわめて厳しく対処しました。


 また後漢ごかんは少数民族を分轄して統治し、少数民族の蜂起に対してはほかの少数民族の兵を鎮圧に派遣しました。このようにして少数民族同士を互いに競わせ、結託して後漢ごかんに対抗することがないよう注意しながら統治しました。


 こうした統治政策をうけて、後漢ごかんに服属したみなみきょうは北方騎馬民族としての独自性を徐々に失っていくことになります。


 その一方できたきょうは……という話を次回でしたいと思います。後編へつづきます。


※小説本編 https://kakuyomu.jp/works/16817330654652941795

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