22.5話  さくら②

 三高の近くを流れる川は、河原がしばらく続いているが、大きな橋の下をくぐった先で工事の現場となり、一般の立ち入りが禁止されている。もう日が暮れており、静まり返る中、さくらは迷わずその敷地内にマユミを導いた。


 マユミは周囲の気配を探る。大人数が待ち構えている様子はなかった。案の定、重機に切り開かれた一帯へ出ると、たたずんでいるのは少年がひとりだけだった。


 彼は、積み上げられた廃材の一角に腰を下ろしていた。

 トップが金色の髪をオールバックにして、カチューシャで止めている。どこかで見覚えのあるスタイルだった。確か、粋がっていた頃のアニキがそんなだったなと、マユミは思う。


 マユミたちが姿を現しても、顔を上げようとはせず、手元のスマホを眺め続けていた。

「来たか」と言う。少年的な高い声だが、響きに圧はあった。


「あたしに会いたいって坊やはあんた?」


 挑発的に言うも、少年は身じろぎしない。彼が、サブと呼ばれる少年だ。


「三人で会うの、ひさしぶりだね」と、さくらがあたたかみのある声で言う。わずかに緊張の張りつめた空気を、和ませようとするように。


「俺は残念だよ」と、さくらのその厚意さえ裏切るように、サブは言う。


「マユ、お前はもうちょい、慎重な奴だと思ってたけどな」


「責めようっての? その割にあんたひとりなんだね?」


 サブの眉がわずかに動く。マユミがそうたずねる意図は伝わっているようだ。


「……俺は面倒にしたくねえんだ」


「面倒、ねえ~。さくらもおんなじこと言うんだからさ?」


 わざと間延びしながら、マユミは言う。さくらは傍らできょとんとしている。彼女にはまだ分からないようだが、マユミはもうこの少年にチェックを掛けたに等しかった。


「お前を、悪者にはしたくねんだ……」


 そう言ったとき、サブはもうマユミの知る小便坊主に戻っていた。


「誰も悪者になんかならないさね、あんたが先走らない限りはね」


 そう言ったマユミは、声音が幾分柔らかかった。


 サブはスマホを懐に仕舞った。何も言わないが、心はグラついているはずだった。

 さくらが言った通り、三高の中で良からぬ動きがあるのは本当だろう。ゆえにマユミの急な訪問も、そうした動きへの牽制として警戒されたものとさくらは理解しているはずだ。


 けれども、そうではないことをマユミはもう見抜いていた。要はサブひとりが、そうなりかねない懸念に焦っていた、というだけのこと。


「背伸びはもう卒業しなよ、いい加減にさ」


 マユミのその一言で、サブはとうとう顔を上げた。怒りを表情に滲ませてはいたけれど、マユミはただそれをじっとまっすぐに見返す。サブは唇を噛んで、うつむいてしまう。


 さくらは、何がどうなっているのだと問いたげな顔をしていた。


「こいつもこいつなりにメンツがあるってことよ」と、マユミはそんな彼女の肩を叩く。


 恐らく、一年坊主のサブは、今の平和な三高の中にあっても、さほど序列は高くないはずだ。けれども、サブはサブでそこに不満もあれば矜持もあるのだろう。マユミの不意な訪問を知って、一端にメンツを保つような行動をしたくなったのだろう。


 しかし、さくらにそれを説明するほど、マユミは無粋でなかった。


「せめて、心配掛けやがって~とかさ、そのくらい言えれば、男だったのにねえ」


 マユミは頭を掻きながら、もうその場を立ち去ろうとしていた。こういう仕草はバカ兄貴と似てしまった。まったく、困ったものだ。


「待てよ!」と、サブは声を張ると立ち上がる。マユミは面倒くさそうに振り返る。


「他意がねえのはさくらから聞いた。でも、なんで連絡ひとつ寄越さねえ?」


「もうそんな義理はないってのよん。あたしはもう、あんたらと同胞ダチじゃないんだからさ」


 マユミは涼しげに言い捨てる。サブは握った拳をわずかに震わせていた。


「あんたの気が済まないってんなら、あたしのことはどうしたって構わないよ」


 告げると、この日はじめてマユミは少年と向き合った。コンプレックスばかりは大きい少年だった。マユミの挑発に乗るように、彼女のほうへ足を向ける。2年前は、下に見るような背丈だった。今は目線がだいぶ近くなっていた。


 ――男の子は、見ないうちに変わっちまうもんだぞ。


 いつか、アニキに言われた言葉をマユミは思い出す。それでも、眼前の少年はまだ、彼女より小さかった。


「……こんなんで、オメーを手に入れた気になんてなれねえよ」


 サブはそう言うと、そのままマユミの脇を抜けて、去っていってしまった。


 ――意気地なし。


 そう言ってやろうかと思うも、マユミはやめる。そこまで男のメンツを弄ぶものではない。


「さてと」


 マユミは、ぺしゃんこのカバンを担ぎ直す。


「面倒掛けたね?」


 すっかり置き去りのさくらに声を掛ける。

 さくらの表情は浮かなかった。話に置いていかれたことを、不満に思っているわけではなさそうだった。


「ずるいよね、マユはさ……」


 その声は、咎めるように震えていた。


「あんたが甘いのよ」


 マユミは、笑わなかった。


「……なんであんたは、全部持っていっちゃうのよ?」


 顔を背け、さくらは泣いていた。


「あんたがちゃんと捕まえておかないからよ」


 やさしく声を掛けても、歩み寄ることはしない。

 そうしても、救うことなどできはしないのだから。


「……助けてよ」


 さくらは、今にも膝が折れてしまいそうだった。最後に会った2年前の桜並木を、マユミは彷彿とさせられる。なんとか中学時代を乗り越えたあの夜も、さくらは放っておけない少年のことで彼女を呼び出した。


 そのときも、さくらは報われない青春のために涙を流していた。マユミに救いを乞い、その姿は歩き方さえ忘れてしまったようだった。

 己自身の道を、これからを、どう歩けば良いものか、わからないというように。

 そのときマユミは、この少女になんと声を掛けてやることもできなかった。そのことを、無力だと思い悩んだ時期もあったかもしれない。けれども、見離す冷たさが正しいことを、今の彼女なら理解できた。


「あいつのことは、頼んだよ」


 そうとだけ告げると、マユミはその場を去った。むせび泣く少女は、そのままに。


 さくらの悲しげな声が、後ろ髪を引くように聞こえた。けれども振り返らなかった。さくらはこの2年で一歩も前に進んでいなかった。それが己の責任だと思う心もある。しかし、なればこそ歩み寄るわけにはいかない。誰かの手で立ち上がれる内は、一人前ではない。少なくとも、自分たちはそうなのだ。自分の道は自分で、見つけるしかないのだ。


 まるで我が事のように、マユミは己に言い聞かせていた。

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