17.5話 青い春を走る
「のぞみ~、行かないの~?」
部活終わり、声を掛けられて、ドキッとする。
更衣室で着替えている間、このあとどこぞへみんなで行こうとはしゃいでいたのは横で聞いていたのだ。
みんなで何かする空気があまりないと聞いていたし、元より部員も多くてそういう空気になりようもないのは分かっていたしで入った部活だったから、「みんな」の輪に巻き込まれない内に、そそくさと退散しておきたかった。
ところがどっこい、そう上手くもいかず、捕まってしまった。
「ごめ~~ん! 親からおつかい頼まれてて!」
大げさに両手を合わせて、謝罪する。
親を引き合いに出したのはマズかったか。嘘と見抜かれないまでも、むしろ真に受けられたほうが変な子とレッテル貼りされてしまわないか。
幸い、「うっわ、それはツラい!」と、同情票の発言をしてくれた子がいたので、空気が濁ったりとかにはならなかった。
悪意ではない笑いが交わされ、のぞみはそれを背に、「じゃあね、ばいばい!」「またね、ばいば~い!」と平和理にその場を後にすることができたのであった。
誰とでも仲良くなれそう、というキャラクターが早速定着しつつあることが不安だった。どう本性を明かしたものか、悩ましくもあった。
駅へと向かう河川敷を小走りに行く。部活帰りにまた走っているジブン。そんなものに酔っているわけではない。しかし、どうだろう……とも思う。口実を立ててしまった以上、さも真実のように急ぎ気味である必要はあった。誰も見てはいないのに。人の目を気にしてしまうのは、高校生になっても変えられない。
破天荒なフリをして、小心者だ。周りの子たちと同じでいる自信がないから、変わり者の枠でいようとしていても、我が道を行く度胸はない。
小学生のとき、乗り越えようとして挫折して以来、のぞみは足踏みしたままだった。その足踏みが歯がゆいのをごまかすように、陸上部に入って、闇雲にどこかへ走り続けた。
それが爽快なときもあるけれど、己が情けなく、塞ぎ込んでしまうときもある。今日は、後者だった。そうなってしまったのも、理由はある。
そのいきさつは、部活の前、帰りのホームルームが終わったあと。のぞみは実のところ、クラスにちょっとした気まずさを抱えている。
さかのぼると発端は中学2年生の夏。ちょうどのぞみが一番陸上部の活動に熱中していた頃、長距離選手の彼女に、同じ長距離でちょっとしたエースの枠にいた男子生徒が、良くしてくれていた時期がある。
彼の名前は……この際どうでも良いだろう。寡黙で目立たない方だけれど、ひたむきな様子に前々からのぞみは好感を抱いてはいた。
属性が近い同士は目に止まりやすいというわけで、ある日の部活終わり、片付けをしているとき、何気なく声を掛けられた。
「宍原さん、そんなに気をつかわなくてもいいんだよ」
そのときは何をきっかけにそう言われたのだったか、もう覚えていなかったけれど、のぞみは普段、意識して大らかなキャラを通していたつもりだったから、そんな風に言われたことが意外だった。
という以上に、嬉しかったのも大きかった。本音を許されるなら、いつも怯えるように周囲を伺っている己を受け入れてほしかったからだ。ぶきっちょな自分でも、素直でいさせてほしかったわけだ。
臆病だからすべて失ってしまった過去を、乗り越えさせてほしかった。
彼は、折を見て話しかけてくれるようになった。だんだんと、彼と話をしているのが楽しくなっていた。
たぶん、彼にも少なからず、好意を持ってもらってはいたのだと思う。部活のないある日の放課後、ばったり一緒になった彼に、どこかで時間でもつぶさないかと誘われた。淡い時めきはお互いにあったと思う。どこへ行くでもなく近所の公園をふらついて、ベンチに座ってお互いのことを話した。
それはそれで良かった。けれども、のぞみは己を明かす絞りの加減が上手くいかなかった。
彼女は話しすぎてしまった。もう何年も抱えていた痛み。美優を裏切ってしまい、そのまま物別れになったことで、消化することができなくなった痛み。なるべく、かいつまみで話したつもりだった。今まで誰にも、親にも話さず、胸の内に閉じ込めていた秘密だった。
彼なら、受け止めてくれるかもしれないと思った。けれども、震える声で話してみて、彼の戸惑った沈黙を前にして、のぞみは後悔した。
考えてみれば、まだ親しくなって間もない頃だ。のぞみの明かした秘密はあまりに重かった。彼も悪いように思ってはいなかった。けれども、それで決定的に温度差が生まれてしまった。
のぞみは、急にそんな話をしたことを謝ったし、彼も、彼女の大事な話をしっかり受け止められないことを謝った。そうしてその日は駅で別れて、以来、彼とは話をしづらい間柄になってしまった。
のぞみが一層、人に心を開くのが不器用になってしまったのは、言うまでもない。それ以上に、のぞみは話を聞かせてしまった彼も、トラウマを抱えてしまうのではないかと心配した。部活で見かける彼は従来通り寡黙で、どれだけ影響が及んだものかはわからなかった。
そうして時が流れ、のぞみは高校生になった。なんの巡り合わせか、彼も同じ高校で、クラスまで一緒だった。けれども、彼は髪を明るい茶色にしていた。寡黙だったのも打って変わり、クラスでも目立つグループですぐに友人たちを設けていた。
もはや彼は別世界の住人だった。話しかけることも、挨拶を交わすことさえままならない。けれども、クラスが同じであればずっと避けていることも難しいというわけで、この日は彼と彼女が日直の担当になっていた。
どこかでどちらかが声を掛けなくてはならなかったし、その役目を買って出たのは彼のほうだった。彼はホームルームの後の慌ただしい頃合いに、何気なく彼女の肩を叩いて話しかけてきた。それも、その日は部活がある彼女を
「気にすんなって。今度代わってくれればいいからさ」
明るくそう言う彼は、もう十四歳の頃とは全くの別人だった。
切り抜けたけれど、自分が変わったわけではない。だから、のぞみは煮え切らなさを強く抱えてしまった。この日は部活で走っていても、気持ちが晴れることはなかった。
ひとえにこれだけのことが胸中を駆け巡って、のぞみの想いは複雑にこんがらがっていた。
どうして、一度つまずくと、その後もこんなに、もつれ続けてしまうのだろう。
あの彼とは、きっとあのまま恋をしたかったのかもしれない、とのぞみは考える。けれども、それはもう遠い過去の話だった。
部活帰りの生徒たちがぽつぽつと見受ける中、のぞみは、気が付くとしっかり走り出していた。革靴を悪くしてしまうかなとか、そうしたらまたお母さんに怒られそうだなとか、そんな考えも追いかけてくる。けれども、それ以上にもっと嫌なものが追いかけてきて、のぞみは逃げるように、走った。
こんな毎日の先に、青臭い靄が晴れるときなど、訪れるのだろうか。
のぞみは心もとなかった。
ただ、こんな考えも、過っていた。
もし、また彼のように、心の中を打ち明けられる相手が現れたら、どうなるだろう?
そのとき、自分はやはり、話してしまうだろうか。そのときも抑えきれず、気持ちを吐露してしまうだろうか?
そうなったとして、そのときはどうなるだろう?
もし、そのときその彼が彼女を受け止めてくれたなら、今度こそ惚れてしまうだろうなと、そんなことを考えながら、涙ぐみさえしながら、暮れる空へのぞみは走り続けた。
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