あこがれの慶応女子高のお姉さん

@abc2075

星飛雄馬になりたい

   1

 どこにでもある普通の中学校。中学1年生の彼は星飛雄馬になりたく野球部に入部した。入部した一番最初の日だった。新入部員の中学1年生たちは全員、グランドを走らされたり、ボールを投げたり、バットでボールを打ったりして野球の能力を先輩たちから試された。その後彼ら中学1年生たちは全員部室に集められた。部室の中で彼らはコーチから入部した理由を聞かれていった。

「お前たち1年生がこの中学の野球部に入部した理由を聞いたが、お前だけ無理だ」

「だいじょうぶです。コーチ」

「お前が星飛雄馬のようなピッチャーになれるわけがない」

「努力しています」

「どのようにだ」

「消える魔球が投げられるようにです」

「あれはマンガの話ではないか」

「いえ、ボールがバッターの近くでストンと落ちるように投げ、その時土ぼこりが舞い上がるようにすればいいようです。そうすればボールが一瞬見えなくなるみたいです」

「だからそれはマンガだからうまくいくのだ」

「それができるように毎日練習をしています」

「やはり中1はまだ小学生だな」

「もう大人です」

「とにかくお前は無理だ」

「絶対、魔球が投げられるようにして見せます」

「それができるようになったらな」

「では僕も選手に」

「だからそれができるようになったらだ」

「それでは僕は」

「それまでお前はマネージャーをやれ。お前じゃ選手は無理だ」

「星飛雄馬のようになりたくて野球部に入ったのです」

「だったら養成ギプスでもつけてこの部室でも掃除をしてろ」

   2

「小学生の時の草野球とは違うぞ。中学の野球はな」

「どのようにですか」

「小学校の時の草野球は楽しかっただろう」

「はい」

「それで中学でも野球をしたくて入部したのだろう」

「もちろんそうです」

「しかしそれは間違えだ。中学の野球はつらいものと思え。ただただつらいだけだ」

「そうですかね」

「楽しくて入部したのであれば退部したほうがいい」

「退部しません」

「中学の野球は娯楽ではない」

「そんなことは思っていません」

「ただただつらいものだと思え。それでもいいと思うのであれば残れ」

「やはり野球は楽しいものだと思いますが」

「もういい。こいつだけ残しておまえたち全員グランドに行け」

「では僕はなにを」

「お前は部室の掃除でもしてろ。マネージャーの大切な仕事だ。それからもう一つ大切なことがある」

「なんですか」

「スコアーブックだ」

「スコアーブックですか」

「そうだ。書き方知っているか」

「知りません」

「これがスコアーブックだ」

「原稿用紙のようなマス目がたくさんありますね」

「そこに打者一人一人のプレーを書くのだ」

「どのようにですか」

「これが書き方の説明書だ。よく読んで覚えておけ」

「はい」

「では、俺もグランドに行く。お前はこの部室でみんなが帰ってくるまで掃除をしておけ」

   3

 グランドに行っていた中学1年生たちが部室に戻ってきた。

「やれやれやっと終わったよ。お前はいいなあ、部室の掃除で」

「君たち練習が終わったんだな」

「それどころじゃないよ」

「なんで、練習させてもらえたのだからいいじゃないか」

「とんでもない。トンボかけしてグランドならし、グランドの草むしり、そればかりだよ」

「そうなのか」

「先輩たちの練習が始まると、後ろでかけ声を出すだけ。ボール拾いをしたり、ボールがなくなったらすぐに探しに行かなくてはいけないし、ほらそこに川があるだろ」

「うん」

「川の中にボールが落ちたら、川の中に入って拾わなくてはいけないし、こんなことばかりだよ」

「小学生の時とずいぶん違うな」

「野球をしたくて入ったのにな。投げたり打たせてもらえないんだよ。しかしこれらはみんな基礎訓練だって」

「そうか」

「トンボをかけてのグランドならし、草むしり、これらも体力をつける訓練だそうだ」

「なるほどね」

「だから何をしてもむだにはならないって。ボール拾いだってそうだ。実際の試合中でも相手の打者が打ったボールを拾わなくてはいけないだろう。だからすべて基礎訓練だって」

「たしかにね」

「こういう基礎訓練がとても大切だって。そのうち実際の訓練ができるようになったら役に立つってよ」

「星飛雄馬のようになりたかったら、ひたすら毎日毎日のつらさに耐えるだけだな」

   4

 ある日、彼はいつものように部室の掃除をしていた。そこへコーチがやってきた。コーチは用紙のようなものを持っていた。

「おい、マネージャー」

「はい。コーチ」

「これを慶応の普通部中学校に持って行け」

「なんですか?」

「練習試合の申込用紙だ」

「慶応の中学校と僕たちの中学校が練習試合をするのですか?」

「そうだ」

「無理だと思います」

「たしかにな」

「相手にしてくれませんよ」

「そんなことわかっている」

「ではどうして」

「だからうまく頼んでこい」

「わかりました。しかしどこにあるのかわかりません。慶応の中学校って行ったことがありませんので」

「日吉駅だ」

「横浜駅から東横線ですね」

「そうだ。では行ってこい」

   5

 彼は申込用紙を持って横浜駅に行った。そこで東横線に乗り日吉駅に向かった。日吉駅を降りるとまっすぐ慶応の野球グランドへと歩いて行った。そこでは中学生と高校生が一緒に練習をしていた。彼は、すぐ近くにいた中学生の一人に声をかけた。

「すいません」

「はい」

「普通部中学野球部ですね」

「そうですが」

「これをお願いします」

「なんですか?」

 彼は申込用紙を渡した。

「練習試合をさせてもらいたいのですが」

「君の中学校とですか」

「はい」

「ちょっと待ってください。いまキャプテンを連れてきますから」

 その間、彼はグランドを眺めていた。高校野球部の部員の中になぜかセーラー服を着た女子高生のお姉さんが一人いた。

「君ですか、練習試合をしたいというのは」

 キャプテンらしき中学生がやってきた。

「はい」

「悪いけどね……」

「やはり、無理ですか」

「すいませんね」

「やはりそうですか」

「私的な練習試合はね、早稲田の中学校としかしないんだよ」

 大学だけではなかったようだ、早慶戦は。

「わかりました」

 彼は残念がり帰ろうとした。その時、セーラー服姿の女子高生のお姉さんがやってきた。

「君、普通部中学野球部花形君」

「はい」

 セーラー服姿の女子高生のお姉さんが、中学野球部のキャプテンに、まるで先輩のように話しかけた。

「せっかく来たのだから」

「しかし……」

「練習試合ぐらい、いいじゃないの」

「そうですねえ」

「では決まり」

「わかりました。では君、やることにするよ」

「ほんとうですか、よかった」

 キャプテンはグランドに戻って行った。セーラー服姿の女子高生のお姉さんも高校野球部の部員たちがいるところに戻って行った。

「練習試合させてもらえてよかったな」

 キャプテンを連れてきた部員が言った。

「うん、ありがとう。あのセーラー服を着た女子高生のお姉さん、どこの学校の人ですか?」

「慶応女子高」

「慶応女子高の女子高生の制服って、グレーのブレザーではなかったのですか?」

「そう」

「じゃあ、なんでセーラー服を着てるんですか?」

「なんだかよくわからないけれど、慶応女子高のお姉さんたちの間では、自分でセーラー服を作って遊びに行くときはセーラー服を着るのがはやっているのだそうです」

「そうですか」

「だから学校が終わったらセーラー服に着替えて、あのお姉さん、ここによく遊びに来るんですよ」

 彼はこれで無事任務を果たすことができたのであった。彼はマネージャーをしていてよかった、という気持ちに初めてなれた時であった。彼は日吉駅に向かった。あの女子高生のお姉さんが、一生忘れられなくなってしまった。          了






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