脱税申告

Jack Torrance

ウィリアムズの崇高な理念

「3月15日は確定申告最終日です。申告漏れのありませんように早めに申告はお済ませください」


渚の職場内で鳴り響くプロパガンダ。


企業や有名人などの申告漏れ。


あれは確信犯。


脱税者からは追徴課税を課して虎の子の1円まで踏んだくる。


虎の子の1円は大袈裟に言い過ぎたかも知れない。


教育、勤労、納税。


日本人に課せられた三大義務。


政治家どもの腐敗しきった悪政の下、現況を嘆く国民は日夜勤労に勤しみ税金を徴収される。


国民レベルは低下するわよね。


税務署職員、高塚 渚は思う。


私は民間企業ならば社畜。


私は親方日の丸なので公畜だと自分の事を思っている。


公僕?


僕ってだけで有り難いわよね。


だって人間なんですもの。


上らない給与。


閉塞感が止まらないコロナ。


膨らむ貿易赤字。


原油、天然ガス、小麦、エトセトラ、エトセトラ…


値上がりする輸入品。


メイド イン ジャパンの時代は終わり人件費の安い国へ発注する大手企業。


内需は減少し安価でちゃちな商品が流通する。


日本人の正規雇用社は減少し外国人労働者が流入してくる生産現場。


海外に流れるジャパンマネー。


脳が足りない政治家達。


国民は怒り狂い自制を保てず公僕は家畜並みにあしらわれ罵倒される。


それは、国民が払っている税金で私達は養われているのだから。


誰が好き好んで特権階級意識に首までずっぽり漬かった今の政権下できっちり税金納めたいと願う馬鹿がいるのかしら。


逆ピラミッド状態と化した高齢化社会で年金は下がり若い世代は貰えるかどうかも怪しい。


介護保険を払い微々たる年金で生活する高齢者。


過疎地で買い物難民になる高齢者。


税収が60兆そこそこなのに毎年100兆円を超える予算を組み国債を連発し続ける馬鹿な政治家と官僚。


それでも僅かにしか下がらない政治家、官僚、役人の給料。


彼らの辞書にはプライマリーバランスという言葉は記述されていないのだろう。


言うなれば自転車操業。


政党助成金、政務調査費、文章交通費、公共交通機関におけるフリーパスの私的流用、エトセトラ、エトセトラ…


挙げれば限が無い政治と金の汚い話題。


血税を私物化する不届き者の輩ども。


年度末には道路工事が増え余った予算を使い切る見え見えの手。


この憤懣やるかたない腐りきった政治家どもは年収4000万を超える報酬を受け取り真面目に税金を支払っているのが馬鹿らしくなる心淋しき大日本帝国。


渚は、この時期が疎ましかった。


税務署に努めて14年。


私は国の奴隷であり金の奴隷。


そして給料を賄ってくださる国民の奴隷。


ここで徴収された税金の1%?3%?それとも多めに見積もって5%?が菓子箱の下でかくれんぼしてキックバックされる。


贈収賄。


またの名を便宜上、政治献金と置き換えて。


渚は思う。


自分にメリットが無いのに政治献金する馬鹿なんていないわよね。


契約を勝ち取った大手ゼネコン、仕事を受注する民間企業が中抜きしたマージンが「次回もよろしくお願いします」と一声添えられて菓子箱と一緒に悪徳代議士の懐にちゃっかり入る。


世間的には入札。


でも、その裏は見え見えの出来レース。


入札で競合している連中は裏で「今回はありがとう。次はあんたんとこに譲るよ」と言葉を交わし硬い握手を交わしている。


そうで無ければ最低落札価格で落札されないわよね。


官僚から事前に入札価格を聞いているのだろう。


ここでも官僚への高額接待はゼネコンは欠かさない。


大手から中小、下請け、孫請けへと丸投げされる方程式。


最初から孫請けに落札させたら無駄な支出はどれだけ省ける?


中間マージン。


それは糖蜜のように魅惑的で官能的な甘い甘い汁。


未来に生きる若者達へ。


国の借金は君達へ丸投げされている。


マイナンバーカード。


国は国民の懐事情に介入する。


馬鹿な役人達に個人情報なんて握らせてなるものかと公務員の渚は思う。


これからの時代は箪笥預金よ。


銀行の利回りなんて目クソと鼻クソを足して2で割ったような物よ。


この意味分かるかしら。


目クソと鼻クソって事。


これからの時代は資産運用。


ヘッジファンドなんてのはいかがかしら。


国が財政破綻するのは遠い将来の事じゃないと思うので金塊に変えておくのが無難かもね。


ペーパーカンパニーなんてのも作るのもいいかもね。


渚は税務署を早期退職して節税対策という名を借りた脱税指南のコンサルティング業務の企業を立ち上げようかと考えていた。


渚は確定申告窓口のカウンターで誰も申告に来ていない一時を正面入口の自動ドアを見ながら一息ついていた。


自動ドアの向こうの駐輪スペースに一台のスーパーカブが停まった。


スーパーカブに乗って来た男はジェットヘルを被ったまま税務署内に入って来た。


齢60と思わしき男。


男は日本人ではなく外人だった。


男が着ているスーツは40年くらい前に流行ったリクルートスーツ。


所々そのリクルートスーツは擦り切れ肘の所には肘当てが当てられていた。


肩には、これまた長年使われていると思われる色褪せたショルダーバッグ。


一心に前を見据え背筋を伸ばしきびきびとした足取りで確定申告窓口のカウンターに歩み寄って来る男。


襤褸は纏えど男には気品が漂い気高く崇高な理念に基づいた人格者のように渚の目には映った。


男は渚の前に来て「こんにちは」と言って会釈をした。


流暢とは言い切れないが男は丁重な物言いで日本語を喋った。


渚も「こんにちは」と座ったまま会釈をした。


「宜しいでしょうか?」


渚は男のオーラに圧倒され慇懃に応対した。


「ど、どうぞ、お座りください」


男は椅子を引き座った。


「私はジョージ ウィリアムズと申します。よろしくお願い致します」


居住まいを正し緊張した面持ちで渚を窺うウィリアムズ。


「はい、ウィリアムズさんと仰るんですね。で、今日は確定申告に来られたのですね」


渚は尋ねた。


ウィリアムズは渚の側へ前傾姿勢に体を屈め口元に右手を当てて小声で漏らした。


「実は私は嘘をつくのが苦手でして。亡くなった父からも幼少期の頃から『人間は勤勉、勤労に勤しみ正直に生きるべし』と教育されまして。父の格言でした。それで、今日お伺いしたのは脱税申告に参りまして…」


渚は森で熊に出会した時のように目を丸くして絶句した。


渚は急速冷凍されたマグロのブロックのように瞬時に固まり15秒くらい思案して口を開いた。


「そ、そのような申し出は私は初見でして…ど、どのように応対したら宜しいのかと些か戸惑っております…」


ウィリアムズはしかつめらしい眼光で渚の目をじっと見据えて言った。


「私の理念を聞いていただければきっと納得していただけると想います。ここでは何なので別室で応対していただいても宜しいでしょうか?」


渚はウィリアムズの少年のような澄み切ったその純粋な眼差しに屈服した。


「わ、分かりました。こちらの部屋へどうぞ」


ウィリアムズは渚に先導され応接室に通された。


その間もウィリアムズはジェットヘルを被ったままだった。


応接室のソファーにウィリアムズを掛けさせて渚も対面に腰を下ろした。


ウィリアムズはスーツの胸元の内ポケットから使い古された革製の名刺入れを取り出して渚の前に差し出した。


「改めて自己紹介させていただきます。博多駅前四丁目で輸入代理店を営んでおりますジョージ ウィリアムズと申します。お見知りおきください」


渚は丁重に両の手で名刺を頂戴した。


渚もスーツの上着のポケットから名刺入れを取り出してウィリアムズに手渡した。


「博多税務署で係長をしております高塚 渚と申します。ウィリアムズさん、それで脱税申告したいとのお話でしたが…」


ウィリアムズはショルダーバッグからマニラ封筒を取り出し紐をクルクルと解くと収支決算報告書を取り出した。


「これは、今年度の弊社の収支決算報告書です。売上高は前年度比の約2倍の17億4598万1762円でした。仕入れに掛かった経費、オフィスのテナント料、倉庫の賃貸料、人件費、光熱費、その他諸々の経費、雑費を引きますと純利益は6億1102万953円でした」


渚は収支決算報告書を見て目を細める。


「ウィリアムズさん、貴社の成長は目覚ましいものがありますね。でも、こう言っては失礼にあたるかも知れませんが、それだけ稼いでいらっしゃる割には貴方がお召になさっていらっしゃる衣服は少々経年劣化の兆しが表れているように映るのですが。それに、ここにお越しになられた時に乗っていらっしゃったバイクも私の目には分不相応のように思えたのですが…」


ウィリアムズは仰られる事はその通りですなといったように目を瞑って聞いた。


10秒くらいして目を開き渚の目をじっと見据えて声を発した。


「高塚さん、お金を稼いでいる人間は皆が皆とまでは言いませんが嗜好は贅沢になり特権階級意識に芽生え浅ましく卑しく醜くなります。世間を見渡してください。名指しはしませんが某衣料品通販サイトの前経営者の方はSNSでフォロワー数を金で釣って集客しています。さもしく嘆かわしい人です。実にさもしい。そんなお金があるのならば匿名で災害で苦しんでおられる方達にお役立ていただけるように寄付すべきです。まあ、その方は自分で稼いだ金をどう使おうが自分の勝手だと思っているのでしょう。実に贅沢に私利私欲の為にお使いになっておられます。私の言っている意味がお分かりになるでしょう。私は自社の社員にはトヨタの社員の1,5倍のサラリーを支払っています。社員がいてくれてこそ私の会社は成り立っていると思っていますので。ですが、私は自分のサラリーは月22万円、ボーナスも一月分に設定しています。起業して8年になりますが、ずっと昇給はしていません。家も6畳二間の家賃6万2千円のアパートに住んでいます。妻も私の会社で事務をしていますがパートでサラリーは月15万円でボーナスも寸志程度です。人は金を持つと奢り高ぶり偉ぶります。そして、そういった輩は不実の名の下に人を欺き金を搾取する。富の分配が有り得ないのです。チェスレコードのチェス兄弟は良い耳の持ち主で売れるレコードを山のように産み出しましたが黒人ブルーズマンからソングライティングのクレジットを自分の名に書き換えたりして搾取していたのは有名な話です。その点、アトランティックレコードの伝説の男アーメット アーティガンはチェス兄弟のようなやり方ではなく誠実にやっていたようです。チェスも素晴らしいレーベルですがアトランティックも良いレーベルなんです。アーメット アーティガン、ジェリー ウェクスラー、アーリフ マーディーンのプロデュースでトヌ ダウドの録音、鉄壁です。アリーサ フランクリンもアトランティック時代が最高なんです。済みません、話が逸脱してしまいました。人は欲深いという事を言いたかったんです。私は、そうはなりたくないので己を持する為に自分のサラリーを低くしているのです。それは、私も人間ですので自分への褒美としてたまには妻と美味しい物を食べに行ったり近場に旅行なんかにも行きます。でも、あくまでも庶民レベルでの話です。このスーツも革靴も私が就職した際に父が贈ってくれた物です。私にとっては掛け替えのない宝物なんです」


渚は目から鱗が落ちた。


た、確かにウィリアムズさんの言っている事は的を射てるわ。


その言葉の端々には特権階級への侮蔑が込められていて侵奪な言い回しなのかも知れないが正論だわ。


金持ちの100人中97,8人は奢り高ぶり、お前は何様だって感じで偉ぶっているもの。


渚はウィリアムズの人格に惹かれた。


「そ、そうですわよね。富と名誉と権力を手にした人達は人をまるで道具のように扱いますものね」


ウィリアムズは渚のこの一言に表情を少し緩めて口元に微かな笑みを湛えた。


「今日は高塚さんのような方とお会い出来て有意義な議論を交わさせていただき幸甚に存じます。人は謙虚に構え慎み深く生きるのがベストです」


渚はウィリアムズの一言一句に染み入った。


「それで本題に入りたいのですが、会社の純利益が結構な額になりまして法人税等々の支払う税金は相当な額になります。私はこの貴重な現金を納税という形で国庫に納めたくないのです。それには理由があります。政治家、官僚、役人は国民が納めた血税をまるで自分のポケットマネーのように私物化し本来使われなければいけない適材適所の目的で使わずに自分の懐事情が温まるような使用目的で使っています。権力は腐敗する傾向があり絶対的な権力は絶対的に腐敗すると19世紀の歴史家ジョン アクトンは言っています。確かに税金はインフラ整備と雇用を産むという面では大切な資源です。公共サービスや公共事業、国民の生活や継続的な労働、育児を守るという点でも必要不可欠です。しかし、混沌としたコロナ禍。適切に税金は使われているのでしょうか?増える軍事防衛費。贅沢な市庁舎、公用車。必要の無い箱物、公共事業。果たして国民、特にコロナで悪政を強いられている人々にその誤った税金の使途は黙認されるのでしょうか?私の目から見れば9割程度の政治家がそうやって税金の使途を自分達が恩恵にあずかれるように使っているのが現状です。腐敗した政治家、官僚が税金を私物化して見返りを求める堕落した政治。監査も不十分で所詮なおざりです。無駄を省けば先々に生きる若者達への負担も減らせるというものです。ところがどうでしょうか。政治家達は将来の若者達へ付けを回しいけしゃーしゃーと宣っています。増える医療費。しかし、富裕層以外の人で先進的で治療効果も見込まれる画期的な医療を受けたくても懐事情の問題で断念される方もいます。高額医療の戻りがあるとはいってもその自己負担金さえも払うのに悲鳴を上げていらっしゃる方は大勢います。政治家は不祥事を起こすと仮病を使って緊急入院するのが常套手段です。このような腐った輩にも税金が投入されているのです。政治家の票集めの為に税金はばら撒かれ不必要な雇用を産み、その恩恵にあずかった人々が政治家に政治献金し投票します。税金を費やすならば困っていらっしゃる生活弱者の方々にその税金が使われれば生き金となります。公共事業を受注した業者が中間マージンを掠め取り下請けに丸投げする昨今の公共事業。見直さねばならない点が山積しているのに見過ごされているのはそういう輩が政治家に私物化した税金をキックバックしているからです。ウルグアイの元大統領ホセ ムヒカのように自身のサラリーを大幅に削って困っている人の為に使っている気概のある政治家がこの国にいますか。利己的で排他的な思想に首まで漬かっている輩ばかりです。人は利他的に生きるとそこに絆が生まれ愛を育みます」


渚は目からだけでなく体全身の鱗が落ちた。


全身の角質がぼろぼろと剥がれるように。


渚にもはや逆鱗という名の鱗は存在しなくなった。


憤怒、激昂、激情といった負の感情は脳内から消え去った。


そして、三枚に下ろされた鯛のような心境になった。


食べられたい。


この人にだったら抱かれてもいい。


渚の脳内でオーティスの“リスペクト”がリフレインする。


尊崇な眼差しでウィリアムズを見つめる渚。


「す、素晴らしい理念です。ウィリアムズさん、貴方のような方が我が国の首相になっていただければ日本は真の福祉国家となるでしょう」


ウィリアムズははにかんだような照れ笑いを見せて続けた。


「私は純利益から会社の運転資金と万が一に備えての内部留保として2億5千万円は貸し金庫に入れておきたいと思っています。私も経営者として従業員、そしてその人達の家族の生活を守らなくてはいけないという責務を負っていますので。残りの純利益でやりたい事があるのです。先ずは高額医療で戻りはあるのでしょうが、その自己負担分さえも払うのに困窮されていらっしゃる方への月額5万円の医療給付。これは、医師の診断書を提出していただき前年度の確定申告の内容を基に家族構成や家賃、ローンの支払いなどを精査した上で月々の診療明細を見せていただいて認定を受けた方のみに貸付ではなく贈呈致します。不正を防止する為に毎月、窓口に足を運んでいただく事にはなりますが病院への支払いに困っていらっしゃる方には画期的なシステムだと思っています。誰しもが好き好んで病気になりたい訳でも無く誰しもが病気になるリスク、障碍者になるリスクを負っています。この目的は私の妻の友人でリウマチを患っておられる方がいるのですが免疫抑制剤では症状の改善が芳しくなく生物学的製剤という薬剤を使えば痛みや関節変形などを大幅に軽減出来るのですがこの生物学的製剤の治療が高額でありまして。高額医療での自己負担もままならないというのが妻の友人の現状でして。そういった方を支援する目的でこの医療給付という形で贈呈したいというのが一つのお金の使途であります」


渚は、そのような知識を知らなかったし、そのように病気で苦しんでいらっしゃる方の現状を知り己の無知を恥じた。


病気になったり障碍者になったりする危険性は誰しもが孕んでいるのだからウィリアムズさんの思想のように他人事を他人事のように考えていては駄目なんだわ。


渚の心境は揺れ動く。


ウィリアムズの雄弁は続く。


「次に私が取り組みたいのは70歳を超えていらっしゃる方で免許証を自主返納された方への買い物と通院の支援を目的とした移動サービスです。高齢者ドライバーの方の居た堪れない事故をニュースで目にする度に私は胸が痛みます。被害者のご家族の心痛を察するに無念でなりません。幼い子供さんやお母さんやお父さん、御老人と被害に遭われた方達には家族と過ごされた楽しい日々があった訳なんです。その他に障害を背負って生きていかなければならなくなった方達。健常者には計り知れない苦痛と忍耐を伴う人生です。そういった方達の事を考えると言葉になりません。しかし、加害者の高齢者ドライバーの方にも一定の同情を感じずにはいられないのです。都市部では公共交通機関は充実しているかも知れませんが過疎地では減便、廃線と赤字路線ばかりの現実です。車が無ければ生活に支障を来すというのが現実問題なのです。市町村もコミュニティバスや乗り合いタクシーなどのサポートを行っていますが十分なものではありません。身体が年老いて言う事を聞かなくなった高齢者にとって徒歩での移動、重たい買い物袋をぶら下げて帰路に就くというのがどれだけ負担になるのかというのは容易に想像がつくでしょう。非課税世帯の70歳以上の独居者、もしくはご夫婦でお住まいの方には月に買い物4回、通院4回の計8回の移動サービスを実施致します。これは過疎地限定で特に交通の便が宜しくないエリア限定ですが」


渚はじっくりとウィリアムズの話に耳を傾け国土交通省の馬鹿な官僚どももこれくらい柔軟な発想がないものかと考える。


ウィリアムズは拳を作り口元に当ててコホンと咳払いしてから続けた。


「最後に私のような人間でもお役立て出来る事は子供食堂の開設です。コロナ禍におきまして収入も減少されておられるご家庭もあるでしょう。生活困窮家庭のお子さんに無料で食事を提供出来る食堂を開設したいと思っています。今はフードバンクや教会などの配給を利用しないと生活出来ないという方も大勢います。なので、せめて食べ盛りのお子さん達には不憫な状況を幾分かでも解消していただきたいと思いまして。これも登録制で親御さんの所得に応じて利用可能なパスポートを発行して運営していきたいと思っております。この三つのサービスを私費を投じて運営していきたいのです。そして、このような福祉サービスにはボランティアの助力が必要不可欠ですが、このサービスに携わっていただいた方にもサラリーを支払います。すると雇用も産まれる訳です。その方達の席は私の輸入代理店に置いてもらい勤務実態と異なった仕事をしていただくというようにしていくつもりです」


ここまで言い終えるとウィリアムズは白い歯を覗かせてにこりと笑って見せた。


渚は聖水で心を洗い清められたかのような清らかな心境になって感嘆した。


「す、素晴らしいですわ、ウィリアムズさん。貴方のような方がこの国の指導者になっていただければ、いえ、全世界の指導者がウィリアムズさんのように人を慮り慈愛に満ちた方でしたら戦争や飢餓は無くなり素晴らしい世界になる事でしょう」


ウィリアムズは照れ臭そうに謙遜した。


「高塚さん、それはちょっと誉め過ぎです、ハハハ」


ウィリアムズはジェットヘルを被ったままなのを忘れて後頭部をポリポリと掻こうとした。


そして、人差し指の先がジェットヘルにコツンと触れてジェットヘルを被ったままだという事に気付いた。


「あっ、これは失礼致しました。ヘルメットを被ったままでした」


ウィリアムズと渚はお互いの顔を見合わせてプッと吹き出した。


ウィリアムズがジェットヘルを脱ぐと頭頂部がハゲ掛かったごま塩の坊主頭が露になった。


上着のポケットからハンカチを取り出し額の汗を拭うウィリアムズ。


ハンカチを仕舞い渚に言った。


「これで脱税したいと願う私の理念を御理解していただけたかと思うのですが…」


渚はウィリアムズの言った内容を頭の中で精査し思案した。


「ウィリアムズさん、その福祉サービスを寄付行為という形を取られて行えば租税回避になるのでは?」


ウィリアムズは渚の打開策を突っ撥ねた。


「高塚さん、善行は秘密裏に行う物です。相手の方に申し訳ないという気持ちにさせてしまっては私が恐縮してしまいます。私は人として当たり前の事を行おうとしているだけなのですから」


渚は、この人はどこまでも人の事を考えている人なんだなぁ~とウィリアムズの人間としての立ち振る舞い、懐の深さに惹かれ暫し思案を巡らせた。


こ、これだ。


渚の脳内に一筋の光明と思われる妙案が浮上した。


「ウィリアムズさん、私に提案があります。貴方の輸入代理店が事業拡張して子会社を設立したように見せ掛けて会社を三つ拵えます。法務局に私の大学時代の親友で東条 美幸って言う人物がいるんですが、彼女に偽装工作を依頼します。ウィリアムズさんの理念を彼女に伝えたらきっと協力してくれると思うんです。美幸の事は心配なさらないでください。私と美幸は姉妹のように仲が良くて彼女は一本筋の通った気骨のある女性なので安心してください。今から8ヶ月前に遡って法人登記したように偽装しましょう。そして、その会社の所在地は私の叔父が不動産の会社を経営していますので叔父に頼み込んで賃貸契約を交わしたようにしましょう。日付のデータを改竄してもらい恰もその日から賃貸契約を結んでいるようにするんです。叔父夫婦は子供に恵まれなかったので私が叔父の養子になる話が現在進んでいます。叔父は兄や姉、そして私の事を実の息子や娘のように可愛がってくれています。賃貸料は叔父に頼めば無料にしてくれると思います。ウィリアムズさんの素晴らしい理念に賛同させていただきたいので私にも協力させてください。そして、貴方がこれから始めようとする福祉サービスの従業員がその賃貸契約したように見せ掛けた日から働いているかのように見せ掛けるのです。労働基準監督所には実際にサービスを開始した日から正規雇用として届け出て福利厚生の手続きをすればいいかと思われます。車の購入や燃料費、その他諸々の経費や雑費を架空計上して確定申告されたように私が偽装します。これだけはご了承ください。幾らかは貴社もそうですが偽装工作で拵えた三つの子会社も黒字収支になるように申告内容を作成します。そうでなければ急に会社を拡張されたのがペーパーカンパニーを作ったかのように怪しまれますし赤字申告ですと何故従業員を解雇しないのかなど様々な弊害を産む事になりかねます。なので、幾らかは納税してもらわなければ筋が通らなくなります。ウィリアムズさんの素晴らしい理念を実現させる為にも納税額は極力少なくなるように申告書類を偽装致しますので。そもそも、貴方は日本人では無いので三大義務の内の一つ、納税はしなくてもいいような気もするのですが、エヘヘ」


ウィリアムズは渚の目をじっと見据えてふむふむといったような感じで頷きながら話しを聞き入った。


「ウィリアムズさん、私の提案はどう思われたでしょうか?」


渚はウィリアムズの反応を確かめながら意見を尋ねた。


ウイリアムズはしかつめらしい表情から一変し少年のようなあどけない笑顔で言った。


「高塚さん、今日は貴方のような聡明で人を慈しむ方とお会い出来て幸甚に存じます。是非、先程お話ししていただいた内容で事を進めていただければ幸いと存じます。高塚さん、今後ともよろしくお願い致します」


ウィリアムズは立ち上がりスラックスの大腿部で掌を拭い渚に差し出した。


渚も立ち上がりウィリアムズの手を両の手で握り返した。


ウィリアムズの手の温もりが渚の身体の中の血管内をヘモグロビンが酸素を運ぶように駆け巡る。


「それでは、話が進展しましたらご連絡させていただきます。私も今日はウィリアムズさんのような方とお会い出来て大変嬉しく思います」


「それでは、高塚さん、またお会いしましょう」


ウィリアムズはショルダーバッグをからいジェットヘルを抱えて渚に一礼して退室した。


渚はウィリアムズの後を気取られないように追った。


税務署の正面玄関を出てジェットヘルを被りスーパーカブに跨るウィリアムズ。


走り去って行くウィリアムズの後ろ姿は『モーターサイクル ダイアリーズ』でチェ ゲバラを演じたガエル“ガルシア”ベルナルを思わせた。


渚は思う。


彼は日本にやって来たホセ ムヒカやチェ ゲバラのような革命家だわ。


渚はミッシェルジョルダンの腕時計を見ると休憩時間を返上でウィリアムズに応対していたのに気付いた。


渚は部下の橘 葵に言った。


「橘さん、ちょっと休憩時間を取れなかったから休憩に行ってくるわね。後はお願い」


橘は無口で真面目な女性だがたまに見せる笑顔の時には靨がキュウトな今時の女の子だと渚は思っていた。


その靨を覗かせて橘が返した。


「分かりました、高塚係長」


渚は自販機で紙パックのフルーツミックスジュースを買って屋上に向かった。


屋上に設置されているベンチに腰を下ろしストローを紙パックに刺して一息つく渚。


頭上に燦々と輝く太陽。


陽光がプリズムを帯びて渚に降り注ぐ。


渚はポケットに手を入れウィリアムズから貰った名刺を取り出す。


ジョージ ウィリアムズさん。


歳は幾つなんだろう?


実直で温もりのある人。


理不尽な事には物言い人にやさしく澄み切ったあの少年のような眼差し。


渚の中にある感情が芽生えていた。


それは5年前に感じた感情で彼と破局してからは渚はその感情を宝箱にそっと入れ鍵を掛けて心の奥に仕舞っていた。


彼とはたった2ヶ月の付き合いだった。


彼には夢があってハリウッドでスタントマンとして活躍したいという願望があった。


渚は彼に突き付けた。


「私と夢どっちを取るの?」


1週間後、彼はロス行きの飛行機に搭乗していた。


これは恋なのかしら?


あの人と早く逢いたい。


さっき別れたばかりなのに。


でも、あの人には奥さんがいる。


子供さんもいるのかしら?


駄目よ、渚、これはプラトニック ラブなのよ。


理性は抗っているが心は落ちた林檎が地面に落下するようにウィリアムズに惹きつけられていく。


邪な考えを追い払おうとする渚。


でも、あの人を好きになっちゃったんだから仕方ないじゃないの。


あの人に逢いたい。


声が聞きたい。


「先程はどうも」なんて言っちゃって一言だけでも。


スマートフォンに手が伸びそうになるのを必死に自制する渚。


もう3ヶ月も経てば夏ね。


今夏は何だかアバンチュールな夏になりそうな予感。


渚はすっくと立ち上がり飲み終わったフルーツミックスジュースの紙パックをゴミ箱に入れて確定申告窓口に戻って行った…

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