第4話 花束01

「みんな、お疲れさま~!!」



 レイラの明るい声が楽屋中に響く。レイラはDJ仲間たちとグータッチを交わし、お酒の入った細長いガラスボトルを手に持ってひたいへ当てた。ひんやりとした感触がライブで火照った身体に心地よく、思わず微笑んでしまう。レイラはみんなに向かってガラスボトルをかかげた。



「音楽祭はまだ初日。明日も、明後日も、わたしたちが先頭きって盛り上げようね!!」

「「「オッケー、レイラ!!」」」



 DJたちは笑顔になり、それぞれガラスボトルをかかげてレイラに応える。敬意に満ちた輪が音楽祭の順調な滑り出しを表していた。すると、そこへイベントを切り盛りする中年女がやってきた。女はトントンとレイラの肩を叩き、小声で耳打ちする。



「レイラさん、地元の方たちがお見えです」

「え、地元? ……わかりました。ありがとうございます」



 レイラは賑やかな楽屋からひっそりとした裏口へ向かった。裏口を出るとそこは細い路地になっている。巨大な建築物の隙間には廃車やゴミが散乱し、華やかな表通りとはまるで別世界だった。



「「「レイラ!!」」」



 突然、物陰から数人の少年たちが出てきた。彼らは髪を金や青といった派手な色に染め、お揃いのジャケットを羽織っている。一見するとギャングに憧れる不良少年たちだった。レイラは少年たちを見るなり笑顔で一人一人と抱擁を交わした。



「みんな、来てくれたんだね。ありがとう!! 元気だった!?」



 全員が懐かしい顔ぶれだった。彼らはレイラの地元である貧民街からやって来ている。みんなレイラより年下で弟のような存在だった。中には13歳になったばかりの少年もいる。



「これ、俺たちで買ったんだ!! チケットは高くて買えなかったけど……音楽祭の初日、出演おめでとう!!」



 リーダーとおぼしき金髪の少年が赤いバラの花束を差し出した。包装紙にはヴィネアの高級花屋のラベルが貼ってある。レイラは喜ぶよりも先に顔をしかめた。



「ネイト、これはどうしたの? まさか盗んだんじゃ……」

「ち、違うよ!! 俺は牛乳配達、ブルは古紙回収……みんなでお金を貯めて買ったんだ!!」

「そうだよ!! 僕も、ネイトを手伝ったんだ!!」



 一番年下の少年までもが頬を膨らませている。レイラは疑った自分を恥じた。



「そっか……ネイト、疑ってごめんね」

「いいよ。どうせ、俺たちはワルだからな」

「ちょっと、拗ねないでよ。ちゃんと楽屋に飾っておくから……」



 レイラは苦笑いを浮かべながら少年たちを見渡した。みんなが来てくれたことは本当に嬉しい。しかし、今が深夜で、しかも繁華街の路地裏であることを考えると素直に喜べなかった。



「みんな、学校は? ちゃんと家族の人には言ってきたの?」



 レイラが尋ねると少年たちはバツが悪そうに顔を見合わせる。やがて、ネイトが不満そうに口を尖らせた。



「俺たちは大人だぜ。自分のことは自分で決める。許可なんて必要ないだろ? 学校も、家族も、俺たちには関係ない!!」



 ネイトはレイラに子供扱いされて悔しかったのか、精一杯に虚勢を張ってみせる。すると、裏口の方から静かだがハッキリと耳に残る声が聞こえてきた。



「ネイト君、それは違うなぁ……」

「!?」



 声に驚いたのは少年たちよりもレイラの方だった。ギクリとして裏口を見ると、オーダーメイドの白いスーツを着たニコラが立っている。



「学校は社会に出るための知識を、家族は絆の大切さを、それぞれ教えてくれる。真面目に学び、敬意を持って接しなければならない。そうだよね、レイラ。心からの感謝と敬意をこめて……」



 ニコラも赤いバラの花束を持っており、レイラへ歩みよって差し出した。偶然にも、花束はネイトたちが用意したものと同じだった。



「あ、ありがとうございます……」

「同じ花束でも、僕の方は霞んでしまう。そっちの花束にはの想いがこめられているからね……」



 ニコラが語りかけているとネイトが割りこんできた。



「さっきから何を偉そうに語ってんだ!! お前、誰なんだよ!!」



 ネイトはニコラの胸倉をつかんで締め上げる。他の少年たちもネイトに加勢するべくニコラを取り囲んだ。ニコラはまったく動じずに、冷ややかな目つきでネイトを見下ろした。



「社会を知らないから平気で噛みつく、絆を知らないから仲間を危険に晒す……それじゃあ、バカな野良犬と一緒だよ」

「バカな野良犬だって!?」

「ああ。誰彼かまわず噛みついて恐れを知らない。バカな野良犬じゃなきゃ、何だ?」

「こ、この……!!」



 ネイトはニコラを睨みながら歯ぎしりをした。レイラの前で恥をかかされて、このまま黙っているわけにはいかない。野蛮な矜持プライドがネイトを暴力へと駆り立てる。ネイトはニコラの顔面を思いきり殴った。ニコラの眼鏡が吹き飛ぶと同時に、レイラが血相を変えて止めに入る。



「ちょっと、ネイト!! やめて!!」



 レイラは全身から血の気が引いていくのを感じた。ネイトは誰に手を出したのかわかっていない。このままだとネイトが無事に朝陽を見ることはないだろう。ネイトが悪いとわかってはいても、レイラは必死になってネイトを守ろうとした。



「ネイト、この方がドン・ニコラなの!!」



 仕方なくレイラはニコラの正体を告げた。それは、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の幹部としてあり得ないことだった。他のギャング組織から守るためにも、ニコラの素性は秘密にされていた。



「え!? あ、あなたがニコラですか!?」



 ネイトは犯した過ちの大きさに気づき、ひたいに大量の汗を浮かべた。仲間の少年たちも狼狽ろうばいして顔を見合わせる。


 貧民街の少年たちにとって、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』は恐怖と憧れの対象だった。それは、彼らが強盗や強姦の蔓延はびこる貧民街に圧倒的な暴力で秩序をもたらしてくれたからだ。事実、ネイトたちの英雄であるレイラも『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の一員となっている。



「拾ってくれるかな?」



 ニコラは乱れた胸元を静かに直した。その何事もなかったような仕草を見て、ネイトは得体えたいの知れない恐怖を感じた。慌てて眼鏡を拾い、震える手でニコラへ差し出した。



「も、申し訳ありませんでした!! ニ、ニコラさんとは知らなくて……お、俺、とんでもないことを……」

「そんなに怯えないで。君たちはレイラの家族ファミリーなんだろ? だったら、僕にとっても大切な家族ファミリーだ。もう、許してるよ……」



 ニコラは怒るどころか、内ポケットからマネークリップに挟まった札束を取り出した。見たこともない金額にネイトたちが息を呑んでいると、ニコラは微笑みながら差し出してきた。



「ほら、これで音楽祭を楽しんで。無くなったら、また『ネオ・カサブラン』に来るといいよ。これを見せれば、ダヴィデが好きなだけお金を用意してくれる」



 よく見ると銀色のマネークリップには『ニコラ・サリンジャー』と名前が彫りこまれてある。それを持つネイトは『ドン・ニコラの知り合い』ということになり、そこら辺のチンピラやギャングなら、もうネイトに頭が上がらないだろう。



「い、いいんですか!?」

「言っただろ、レイラの家族ファミリーは僕の家族ファミリー。何も遠慮する必要はないよ」

「ニ、ニコラさん……」



 ネイトは大金の挟まったマネークリップを見つめていたが、やがて意を決した表情になり、ニコラへ返した。



「俺たち……お金よりも『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入りたいんです!! どうか、俺たちを『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入れてください!! お願いします!!」

「「「お、お願いします!!」」」



 他の少年たちも、13歳の子供までもが頭を下げる。そんな少年たちを見て、ニコラは目を糸のように細めた。



「そうか。君たちは若くして大志を抱き、野望に燃えているんだね。素晴らしい……君たち、家族ファミリーのために血を流す覚悟はあるかな?」

「もちろんです!! 俺たち、何でもします!!」



 ネイトが頬を紅潮させるとニコラの口の端が上がる。



「それじゃあ、ダヴィデを訪ねてみるといいよ。ちょうど今、新しい仕事のために人員を探して……」

「ちょっと、冗談でしょ!?」



 突然、レイラがニコラとネイトの間に割って入った。そして、冷笑しながらネイトたちを見回した。



「こんなお金のない薄汚い子供ガキが『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入る? ありえないわ!!」

「「「レ、レイラ?」」」



 ネイトたちはレイラの変わりように驚いて言葉を失った。レイラは困惑する少年たちに向かって畳みかける。

 


「正直、ずっと迷惑に思ってたのよね。知り合いっていうだけで楽屋に来るし、こんな花まで用意して……恩着せがましいのよ」



 レイラはネイトたちからもらった花束を足元に捨てて踏みつける。グシャッという音がして赤い花びらが散った。

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