第3話 狂信者たちの聖夜01

「ドン・ニコラ、グランツォ一家のアブルッチが傘下に入りたいと申し出ています」

「カルナン連合のテオドアが停戦協定を結びたいと言ってきました」

「ビッグシックスのターニャが会合を開きたいそうです」



 『ネオ・カサブラン』のVIPルームでは幹部たちが次々とニコラに報告する。がる名前はどれも暗黒街の大物ばかりだった。ソファーに座るニコラは上等な白のスーツに着替え、髪もオールバックに変えている。しかし、雰囲気は優しげなままで、笑みを絶やさずに聞いていた。



「みんな、報告ありがとう」

「「「はい。それでは、失礼いたします」」」



 部下たちが一礼して部屋を出ていくとニコラはソファーに寄りかかって伸びをする。欠伸を噛み殺しながら隣のダヴィデへ話しかけた。



「ダヴィデ、停戦協定に会合だってさ……ずいぶんと平和になるね。嬉しいよ」

「平和が嬉しい? ニコラがそんなことを言うの? あなたは昔から抗争が大好きでしょ。ちゃんと知っているんだから」



 ダヴィデは苦笑まじりにロックグラスを傾ける。ウイスキーのなめらかな舌触りと芳醇な香りを楽しみながら、ニコラとの出会いを思い出していた。


 5年ほど前、ニコラはふらりとヴィネアに現れ、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』というギャング組織を立ち上げるとまたたく間に裏社会を牛耳ぎゅうじるまでに伸し上がった。


 元々、他組織の幹部だったダヴィデはニコラの圧倒的な戦闘力と凶暴性を知っている。ニコラに叩きのめされ、その強さに憧れて部下になった。ニコラが役人をしていると知ったときは心の底から驚いたものだった。



「暴れまわるあなたは生き生きしてた。いかり顔で暴力を振るうヤツより、笑顔で暴力を振るうヤツの方が怖い……って、ニコラに教えられたんだから」

「あはは、ダヴィデは面白いことを言うね。さすが僕の家族ファミリーだ」



 ニコラが微笑むとダヴィデは真剣な顔つきになった。 



「ねえ、聞いてちょうだい。わたしたちギャングは世間からうとまれ、さげすまれながら生きてきた。まあ、悪事ばかり働くから当たり前なんだけどね……でも、ニコラは世間からあぶれたわたしたちを家族ファミリーと呼んでくれる。あなたのためなら、わたしたちは何でもするわ」

「ダヴィデ……」



 ニコラは感動したような、少し照れ臭いような、複雑な表情を見せる。すると、ダヴィデは勢いよく立ち上がり、ウイスキーを一気に飲み干した。ニコラに心酔する両目には狂気の炎が灯っている。



「今の『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』はヴィネア暗黒街の本流メインストリーム、すべてが思いのままよ!! ニコラ、次は何が欲しいの? お金? ドラッグ? それとも新たな抗争? ニコラ、ニコラ、ニコラァァァ!!!! 早くわたしたちに命令して!!!! 早くぅぅぅ!!!!」



 ダヴィデの金切り声がVIPルーム中に響く。ニコラは苦笑いを浮かべながら立ち上がる。興奮するダヴィデを無視して巨大なマジックミラーに近づくと『ネオ・カサブラン』の音楽フロアが一望できた。



──僕が欲しいもの……。



 ニコラは眼下に広がるフロアを見渡した。光り輝くステージでは金髪の女がポニーテールを揺らしながら客席へ呼びかけている。ちょうど、DJレイラによるプレイが始まろうとしていた。



×  ×  ×



「みんな、音楽祭を楽しんでる!?」


 レイラは爽やかな笑顔と華やかなで立ちが印象的だった。ステージの中央から観客席へマイクを向けると観客たちは歓声で応える。その中にはヘレナやオルビオもいた。はしゃぐヘレナとは対照的に、オルビオは辺りをキョロキョロと見回している。必死にノリを合わせていると再びレイラの明るい声がフロアに響いた。



「音楽祭は始まったばかり!! みんな、いっくよー!!」



 レイラは熱気あふれる反応に頷き返しながら鍵盤の付いた音楽機材へ向かう。おもむろに鍵盤横のスイッチを押すと四つ打ちのビートがフロア中の空気を振るわせる。次に鍵盤を使って旋律を加えると観客はさらに熱狂した。


 レイラの音楽は攻撃的で高揚感にあふれ、フロアの熱気をそのまま表現している。人々は重低音に合わせて首を振り、飛び跳ねた。フロアには音楽を心から楽しむ歓喜のうずができている。ニコラは思わずマジックミラーに両手をそえた。



──レイラはすごいなぁ……。



 レイラが眩しく見えるのは、きっとスポットライトのせいだけじゃない。ニコラはヒーローを目にした子供のように目をキラキラと輝かせた。


 でも……。


 どうしてだろうか……。


 レイラを見ていると心の奥底が段々と暗くなってゆくのがわかった。言い知れない不満や怒りが渦巻いて静かに降り積もってゆく。



──僕は真面目に生きているのに、彼女のようにはなれない。こんなに、こんなに、こんなにも真面目に生きているのに……。



 重くなる心に耐えかねてニコラはソファーへと戻った。深く腰をかけ、今度は盛り上がるフロアの歓声と音楽に眉をひそめる。



──いったい僕は……何を手に入れれば、満足するんだ?



 自分に問いかけてみても答えは出てこない。あるのは例えようもない『何か』に対するだけだった。得体の知れない渇望はニコラをかつてないほど苛立たせる。やがて、ニコラは苛立ちをぶつけるようにダヴィデへ命令を下した。



「ダヴィデ、アブルッチに『傘下に入りたいなら縄張りシマを全部よこせ』と伝えろ。それに、停戦協定なんてクソくらえだ。震える老人どもの頭に鉛玉なまりだまをぶち込んでこい。あと、ターニャだが、『ウチの娼館で働くなら話を聞いてやる』と言ってやれ」



 過激な言いようは宣戦布告と変わらない。とたんに、ダヴィデの顔が興奮で真っ赤になった。



「ニ、ニコラァァァ!! 超カッコイイ!! 超クール!! それでこそ、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』のドンよ!! 愛してるぅぅぅ!!!!」



 ダヴィデはニコラに抱きつこうとしたが、目の前に手を出されて拒絶されてしまった。仕方なく新しいロックグラスを用意して、ニコラのためにウイスキーをそそぐ。



「はい、ニコラ。勝利の前祝いよ!! カンパーイ!!」



 よほど嬉しかったのだろう。ダヴィデはすぐに飲み干してドバドバと新しくそそぎ直す。そして、グラスからあふれ出て指先についたウイスキーをチュパチュパと舐めながらニコラの顔を覗きこんだ。



「ねえねえ、お金と兵隊はどうする?」

「好きなだけ使っていいよ」

「素敵、今から脳汁が出ちゃう!!」



 ダヴィデが感動しているとVIPルームの扉がコンコンとノックされる。ダークスーツの男たちが入ってくるとダヴィデはあからさまに不機嫌な顔つきになった。



「何よ、あんたたち。せっかくニコラと楽しんでいるのに。邪魔しないでちょうだい」

「ダヴィデさん、すいません。あの……」



 男の一人がダヴィデへ近づいて耳打ちをする。聞いていたダヴィデはすぐに太い眉を上げた。



「へぇ~。あんたたち、やるじゃない」



 ダヴィデが感心しているとニコラは不思議そうに首を傾げた。



「ダヴィデ、どうしたんだい?」

「ゼブのヤツをとっ捕まえたって」

「ああ、あの男娼を女に取られたヤツか……」

「そっ。ヴィネアから逃げようとしていたみたい。逃げられるわけないのにねぇ……あんたたちで始末してちょうだい。海にでも捨てたらいいわ」

「「「はい。わかりました」」」



 男たちが立ち去ろうとすると、今度はニコラが呼び止めた。



「ちょっと待って。ゼブをここへ連れてきてくれないかな?」

「え? 何でなの? ドンが関わるほどのことじゃないわ……」

「いや、少し聞きたいことがある」



 ニコラは自分の胸元へ右手を当てる。翡翠髑髏ジェイド・スカルの感触を確かめながら静かに答えた。

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