第2話 ネオ・カサブラン01
日が昇ると金属楽器のファンファーレがヴィネア中に鳴り響いた。そして、王都から招かれた著名な音楽家が音楽祭の開催を宣言する。人々は待ちに待った音楽祭を歓声とともに迎えた。しかし、ヴィネア市役所の役人たちに音楽祭を楽しむ余裕なんてない。ファンファーレは地獄の幕開けを告げる進軍ラッパだった。
「ねえ、ニコラ!! このリベルンホテルの音楽隊はどうなってるの!? まだ到着してないって連絡があったわよ!!」
役人たちが忙しく駆け回る廊下で女が男を呼び止めた。女は中肉中背で年も若く、怒気を含んだ眼差しを男へ向ける。男は背の高い優男で、大量の書類を抱えたまま困り顔になった。
「あの、船の到着が遅れているみたいなんです。ホテルのディナーショーには間に合うかと……」
「ニコラ、そんなことでどうするの!? 担当者はあなたでしょ!!」
「ヘレナさん、すいませ……」
「あなたがちゃんと手配しないから遅れてるのよ!! 大事な音楽祭でみんなの足を引っ張らないで!!」
ヘレナは事情に興味がない。苛立ちを解消するかのように責め立てる。声は大きく、ニコラはまるで人目に
「ヘレナちゃん。ニコラはヴィネアに来て2、3年なんだ。まだ音楽祭のことなんてわからない。コイツは仕事のできないよそ者なんだから」
男は自分が持っていた書類もニコラの抱える束の上に置いた。そして、ニコラへ向かってわざと威圧的な態度をとった。
「おい、ニコラ。書類を運んだら、音楽機材の搬送を手伝ってこい。人手が足りてないって話しだ。お前は役立たずなんだから、せめて身体だけでも酷使して音楽祭に貢献しろ。それならできるだろ? ちゃんと走るんだぞ? 走らなかったらコレだぞ?」
男は喋り終えると同時に握りこぶしを作ってニコラを殴るふりをする。ニコラの顔面手前でこぶしを寸止めして得意げに笑ってみせた。
「いいか、仕事のできない無能でバカなヤツは死んで詫びなきゃならん」
「オルビオさん、言いすぎですよ」
注意するヘレナもオルビオと一緒になって笑っている。一方のニコラといえば、困り顔のままようやく頷いた。
「わ、わかりました」
「よし、わかったらさっさと行け!! 走れよ!!」
「は、はい!!」
ニコラは小走りで去ってゆく。すると、それまで得意満面だったオルビオが不思議そうに首を傾げた。
「あいつ、俺が殴るフリをしても
「驚いて動けなかっただけなんじゃないですか?」
ヘレナが答えるとオルビオは嬉しそうに自分の顎をさすった。
「まあ、そうだな。俺のストレートは電光石火だからな。驚く間もなかったか」
「ちょっと、あまりふざけないでくださいよ。まだ音楽祭は始まったばかりなんですから。あんなニコラでも、いないよりいた方がマシなんです。やめられたら困ります」
「わかった、わかった」
「ほら、仕事に戻りますよ」
ヘレナが行こうとするとオルビオは慌てて呼び止めた。
「あ、ヘレナちゃん待って!! 今日の仕事が終わったら、『ネオ・カサブラン』に行かない?」
「え!? チケットが取れたんですか!?」
「まあ、役得ってヤツでね。俺たち役人だって音楽祭を楽しんでいいだろ?」
オルビオはスーツの内ポケットから金色のチケットを取り出した。そこには『ネオ・カサブラン』と彫りこまれてある。ヘレナは目を丸くした。
「ゴールドチケット!? オルビオさん、凄い!!」
ヘレナは感激してオルビオの腕へ抱きついた。ヘレナの反応が予想以上だったのか、オルビオは照れたような、困ったような、何とも言えない顔つきで頭をかく。
「ちょっと、ヘレナちゃん。こんな場所で……」
「一緒に行きます!! わたし、一度でいいからDJレイラのステージを見たかったんです!!」
ヘレナの甲高い声が役人たちの行きかう廊下に響く。二人とも使い走りにしたニコラのことなど完全に忘れていた。
不思議なことに、ニコラ・サリンジャーは怒らない。どれだけ理不尽な扱いを受けても不平不満を言わず、黙々と仕事をこなす。普通なら尊敬されるだろうが、ニコラの場合は違った。ヴィネア市役所の役人たちは、『コイツには何を言っても、何をしても大丈夫』と思いこんだ。
いつの間にか、役人たちはニコラに理不尽な
それでも、ニコラ・サリンジャーは怒らない。
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