第1章 嗤うギャングスター

第1話 双子と悪魔01

 夏特有の低い満月。その青白い月の光を煌々とした街明かりが掻き消していた。


 大陸西岸に位置する海沿いの街、ヴィネア。海路を結ぶ商業都市の一つとして賑わうヴィネアは夜、別の顔を見せる。『音楽と快楽の不夜城』……それがヴィネアの別名だった。


 ヴィネアの住人たちは音楽をこよなく愛し、王都で活躍する音楽家にはヴィネア出身者も多い。折しもヴィネアでは三日間、夜を通して行われる音楽祭が始まろうとしていた。今宵は誰もが音楽祭への期待と興奮で高揚している。


 幾重にも張り巡らされた水路を進むゴンドラ。その漕ぎ手たちは声高らかに歌を歌い、ひしめき合う露店や酒場からは男たちの怒声や女たちの嬌声が聞こえてくる。


 そんな喧騒から離れたヴィネアの郊外……そびえる城壁に寄り添うように建てられた豪華なホテルの最上階。そのテラスからアリオ・トーマ・クルスは眼下に広がる街並みを見下ろしていた。


「賑やかね、お姉さま。歌がここまで聞こえてくるなんて……」


 夜風になびく髪を耳にかけながら、アリオはかたわらを見つめた。そこにはアリオと瓜二つの容姿をした少女が佇んでいる。ただ、アリオは明るい栗色の髪をしているが、アリアはサラサラとした銀髪だった。


「お姉さま、素敵な街だと思いませんか? こちらまで楽しい気分になってきます」

「そうね、アリオ。そう思うわ……」


──ああ……お姉さまの声はいつも柔らかくて……わたしを包んでくれる。


 アリオは満足そうに微笑んで目を閉じた。


 しかし……。


 誰かがこの光景を見れば首を捻るだろう。アリオの隣には誰もいない。アリオは一人きりで会話をしている。瞼の裏にアリアの面影を思い浮かべ、想いを馳せていた。すると、突然。


 コンコン。と、遠くから来訪者を告げるノックが聞こえた。アリオはギクリとして目を開けるが、すぐに平静を取り戻す。


「アリアお姉さま、また後で……」


 アリオは誰もいない空間に微笑みかけて部屋へと戻った。



×  ×  ×



 ガチャ……。


 扉を開けると、そこにはグニャリと背の曲がった小男がさらに背の低い男娼を連れて立っている。酷い拷問でも受けたのか、小男の顔には深い傷が無数に刻みこまれていた。


「ヒヒヒ、どんなお大尽だいじんがいるかと思えば……年端もいかないお嬢ちゃんか……」


 小男はアリオを見るなり下卑た薄ら笑いを浮かべて舌なめずりをした。その仕草からは生来の陰湿さや残忍さが滲み出ている。アリオは小男の性根を感じ取って眉をひそめた。


「娼館に宿をとった覚えは無いわ」

「まぁまぁ。わっちはゼブ、快楽売りのゼブと呼ばれてましてね……夜の愉しみを提供しに来たんでサァ」


 ゼブは手に持つ鎖を引いた。鎖は男娼の首輪へと繋がっており、男娼はよろめきながらアリオの前へと引き立てられる。


 男娼はアリオより華奢な体つきで、フィッシュテールのスカートにクレリックシャツを着ており、よくかされた黒髪からは香料の甘い香りがした。一見すると、少女と見まごうほどだ。


「『ドン・ニコラ』が決めたおきてで……音楽祭の三日間、ヴィネアのホテルは全て、夜は娼館に変わるんですぜ。こいつは貴族の子息で、今日が初めてでサァ」

「しつこいわね。帰って」

「まぁ、そう言わず。愉しみましょうや、お嬢ちゃんだって……」


 しつこく食い下がるゼブがアリオの袖に手を伸ばした瞬間だった。


 パン!!


 アリオはゼブの手を強く払った。


「あ、あれ?」


 ゼブは払われた己の手をポカンと見つめた。次第に、その顔に血が昇り、醜い顔が更に醜く歪む。


「下手に出てりゃいい気になりやがって……俺をさげすんだな!!」


 ゼブは怒りに任せてアリオへ掴みかかった。その時、フワリとアリオのチュチュ・スカートが揺れ、しなやかな脚線が刹那の弧を描く。


 メキャッ!!


 肉を打つ鈍い音を立てて、ゼブの顔面に厚底のブーツがめり込んだ。


「!!!!!!」


 細身のアリオからは想像もできない一撃だった。ゼブは廊下の壁まで吹き飛ばされ、ズルズルと崩れ落ちる。


「う、うぶぅ……」


 ゼブは両手で鼻を抑えて苦悶に喘ぐ。指の隙間からは大量の血がポタポタとあふれ出ている。己の血を目にしてゼブは逆上した。


「こ、この女……ゴロヒテヤル!!」


 血塗られた手で懐から短刀を取り出し、起き上がって身構える。しかし、アリオと対峙したゼブのひたいに、今度は痛みと別の脂汗が浮かんだ。


「う……」


 いつの間に取り出したのか、アリオの右手には回転式拳銃リボルバーが握られている。


「そ……その銃は……」


 ゼブは恐怖で心がざわついた。それは、銃が珍しいからではない。裏社会を生き抜く中で銃を向けられることは何度もあった。どう対処すれば良いかはちゃんと心得ている。


 しかし……。


 アリオの持つ銃はではない。銃身には高等魔術の文言もんごんと、羽ばたく蝶の文様もんようが彫りこまれてあった。


 この世界は魔法と科学で成り立っている。それはもちろん、武器も同じだった。魔法と科学が併用された武器は『魔導まどう武装ぶそう』と呼ばれ、使用できるのは限られた人間たちである。そして、その人間たちは例外なく類稀たぐいまれな戦闘力を有していた……。


 銃のグリップでは鎖に繋がれた髑髏どくろの装飾品が揺れている。ゼブは緑色に輝く髑髏どくろを目にしてゴクリと生唾を飲みこんだ。


「魔導武装……それも、特注品」

「あら、良くご存じね?」

「わっちらのボス、ドン・ニコラも髑髏どくろが付いた魔導武装を使うんでサァ。そりゃもう、桁違いに恐ろしい方で……」

「へえ、そうなの?」


 恐怖に飲まれたゼブは聞かれてもいないことをペラペラと喋った。アリオはそんなゼブに不敵な笑みを向ける。


「ねぇ、まだ戦う気なのかしら?」

「い、いや。とんでもねぇでサァ……」


 ゼブは完全に戦意を喪失していた。すると、アリオがチラリと男娼の少年へ視線を送る。


「じゃあ、さっさと消えて。この子は迷惑料として貰っておくわね」

「え!? そ、そんな!!」


 ──ガチリ。


 アリオは無言で撃鉄を起こした。その瞳は冷徹で、今にも引き金を引きそうだ。


「ヒィッ!!」


 ゼブは少年に執着するよりも自分の命を優先した。アリオへ背を向けて一目散に逃げ出してゆく。


「同じ髑髏どくろ……か」


 ゼブの姿が見えなくなると、アリオは呟きながら細い指先で髑髏どくろを弾いた。

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