其の弐 鯛と上方文化  

 「海老で鯛を釣る」、「腐っても鯛」、「鯛の尾よりいわしの頭」。

 長いこと日本人の暮らしの中に溶けこんできたからでしょうか、鯛の出てくる慣用句やことわざというのもいくつかございます。因みに、つまらない物で大きな利益を得ようとすることを「海老で鯛を釣る」と申しますが、実際鯛はエサとして海老をよく食べます。ひょっとすると、小さな海老も鯛からしたらご馳走なのかもしれませんね。

 話が逸れましたが、鯛が登場するのは何も言葉の中だけではありません。庶民の文化風俗の中にも、鯛が重要な役割を果たしているものが多く存在しております。中でも、「天下の台所」と称された大坂を中心とした、いわゆる「上方」の文化には面白いものがいくつかございます。大坂では鯛は「お鯛さん」と呼ばれ、人々にこよなく愛されてきたそう。大坂といえば商人の街、商売繫盛の神様といえば恵比寿様、恵比寿様といえば鯛。あくまで私見ではありますが、きっとこんな感じで大坂では鯛が珍重されたのではないでしょうか。

 関西に今も残るものとして、「にらみ鯛」という風習がございます。これは大皿に鯛の尾頭付きを乗せまして、三が日の祝いの膳に出すというもの。これだけならさほど珍しいことではないのかもしれませんが、面白いのは、その鯛には一切箸をつけないということ。三が日の間同じ鯛が食事のたびに出されては下げられてを繰り返し、それをただ眺めるだけなのです。そして、四日になってようやく、家族一同この鯛に箸をつけるのだそうです。

 もう一つご紹介するならば、「魚島季節うおじまどきのご挨拶」という風習でしょうか。これは五月の八十八夜の辺りに、江戸の頃から戦前まで船場せんばの商人の間で行われていたと伝わる風習でございます。この風習は、塗りの箱に松葉や笹を敷き、その中に鯛を詰めてお得意様や親しい間柄の方々に配るというもの。この時ばかりは、普段商家で下働きをしている使用人さんたちも鯛を口にすることができたのだそうです。数年前に連続テレビ小説で取り上げられたことから、ご記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。元々は、春に産卵のために陸近くで魚が群れる様があたかも島のように見えたため、その現象を「魚島」と申したそうでございます。そのため魚島は春の季語にもなっているとか。今でもこの時期、瀬戸内海では鯛がよく水揚げされます。

 その他にも、若狭わかさの「グジ(甘鯛のこと)」を珍重する京都の風習、果ては富山の細工蒲鉾、長崎の有平糖や金沢の金花糖など鯛を模した祝い物まで、上方を中心に色々なものが現在まで伝えられております。

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