十七膳目 「鯛の肝と真子の含め煮」
「さ、そろそろこれも使っちゃおっか」
陽平が調理台の隅に置いたボールを指差す。中には鯛を捌いた時に出たワタが入っている。陽平はその中から淡い黄色の塊を掴む。
「それは?」
「これは、真子」
「まこ?」
「鯛の卵のこと」
「あ、この鯛メスってだったんだね」
「そうだよ。それがどうかした?」
「いや、陽平さんがナンパされたって言ってたから、てっきりオスの鯛だとばかり…」
「お前なぁ、」
陽平の照れる顔を和樹がニヤニヤしながら見ている。
「ま、真面目な話、俺白子苦手なんだよ。それでメスの鯛買ってきたの」
「何だ、ナンパでも何でもないじゃん!」
「そうだよ」
「正体現したね、陽平さん」
「いや、俺がこんなんってお前よく知ってるだろ?」
「まぁ、そうだけども……」
「それに、俺がナンパに乗るのはさすがにアウトだろ」
「何が?」
「何がって、そりゃ…」
恥ずかしさで陽平が口ごもる。
「えー、ナニナニー?」
さっきの仕返しをするつもりなのだろう、和樹は悪い顔をしている。
「ねぇねぇ、教えてよー」
「え、だって…、お前いんのに、他の男のナンパ乗るのはマズいだろ」
陽平の言葉に、和樹はまんざらでもない様子だ。
「いやー、さすがの俺でも鯛にまで嫉妬はしないよー」
「お前、結構独占欲強いからな」
「えーそんなことないでしょ」
「そんなことあるだろ」
「それはー、だってぇー、陽平さんかわいいんだからしょうがないじゃーん」
「あんまりバカなこと言ってると刺すよ」
陽平が手に持っていた金串を和樹に向ける。
「陽平さん、こわーい」
「お前はどっか行っとけ!」
陽平はその金串で真子の表面にある太い血管を取り除いていく。それが済んだら真子を筋に沿って縦に開き、適当な大きさに切り分けて表面の皮を裏側にひっくり返す。こうすると、ちょうど中の卵が表面にくるような状態になり、いびつな半球形みたいな形になるのだ。
「肝も使っちゃおっか」
そう言って陽平はボールの中に入っていた残りのワタにも手を伸ばす。苦玉を潰さないように取り除き、腸は包丁の背でこそいで掃除し、胃も掃除をして適当な大きさに切り分ける。肝臓も一口大に切り分ける。ワタの下処理が全て済むと、鍋に沸かした湯に塩と酒を加え、腸と胃をサッと湯がいて臭みを抜いていく。真子は少しぬるめの湯をボールに張り、卵を崩さぬように慎重に作業をしていく。ゆっくりとボールの中に真子を沈め、湯がぬるくなったら湯を取り替えながら表面がうっすら白くなる状態まで火を通していく。
「ずいぶんとめんどくさいことしてるね」
陽平の手仕事を飽きもせず見ていた和樹が口を挟む。
「こうしないとキレイに仕上がらないんだよ」
「ふぅーん」
和樹は興味がないといった感じだ。
「こうやってやると、真子がまん丸い花みたいになるんだよ」
「確かに、キレイではあるね」
「これをなるべく崩さないように煮るのが、また大変なのよ。ま、今日はあんま気にしないけどね」
「お腹入っちゃえば一緒だもんね」
「それ言われると、今俺がしてるの全部ムダになるんだけど?」
「ごめんって」
陽平が不機嫌そうに空の鍋をコンロに置く。鍋の中に出し汁を注ぎ、酒と醤油、味醂と砂糖に合わせて煮汁を作っていく。そこに真子や肝類を全て入れ、汁が冷たい状態から火にかける。真子が崩れないよう、陽平はあまり鍋をグラグラと沸かせないように注意しながら、煮汁を真子や肝に絡めていく。煮過ぎると食感や味が落ちるので、肝や真子を調理する時は少なめの煮汁で短時間で仕上げなければならない。陽平は火加減に気をつけながら、絶えず手を動かしている。
「さ、出来たよ」
ものの十分ほどで仕上げ、真子を崩さないように皿に盛っていく。
「さ、好きな部位味見しな」
陽平が和樹に箸を手渡す。
「じゃぁ、せっかくだから真子食べてみようかな…」
和樹が恐る恐る真子の含め煮を口に運ぶ。
「どうよ? 真子食べるの始めてでしょ?」
「……うん。味の薄いタラコ」
和樹の感想に陽平は思わずコケそうになる。
「もっと他にないの?」
「だって本当にそうなんだもん!」
「他も味見してみて」
少し苛立ちながら、陽平は和樹の他の部位をすすめる。促されて、和樹が他の部位も味見をする。
「どう?」
「肝臓はクセのある白子みたい。他のコリコリしててあんま味しない」
陽平が肩を落とす。
「ま、まぁ、肝臓は少し味をなじませた方が美味しいからね……」
「あ、全然マズいわけじゃなくて、どれも美味しいよ!」
「あ、ありがとう…」
無邪気な和樹の言葉に、陽平が苦笑する。
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