二品目 鯛
十一膳目 「鯛の昆布〆」
とある休日の昼下がり。
まな板一杯に載った一匹の鯛を前にして、陽平と和樹が言い争いをしていた。
「あのさ、料理作ってくれるのは嬉しいんだけどさ、一体こんなデカい鯛どーすんのよ?」
目の前の鯛は、一抱えはあろうかという大きさである。
「え、いや、何と言いますか……、この子と市場で目が合いまして…」
「はぁ?」
「声が聞こえた気がしたのよ」
「はい?」
「いやー、何か俺のこと呼んでくれてる気がしてさ」
「そんなわけないでしょうよ。捨て猫じゃあるまいし」
和樹が大きなため息をつく。
「どうよ? この澄んだ目見た?」
「まぁ、さぞかし活きがいいんだろうな、とは思うけど」
「でしょ? でしょ? 朝揚がったものをその場で締めてもらったんだ」
先ほどから陽平はずっと上機嫌である。
「てか、それを食べようとするって、陽平さんも中々サイコパスだよね」
「いやー、愛おしいからこそ、余すとこなく食べてあげたくなるってもんじゃない?」
「うっわ、おっも…」
和樹が本気でドン引きする。
「えー、そんなことないよー」
「で、いくらしたの?」
「ん?」
陽平はわざと聞こえないフリをする。
「この鯛、いくらで買ったの?」
和樹は追求の手を緩めない。銭勘定になると、とにかく口うるさい性格なのだ。
「それはまぁ…、それはそれということで」
「い・く・ら・し・た・の?」
和樹が語気を強める。その横で、陽平が小さくなっている。普段の年上らしい威厳などは微塵もない。
「まぁ、それはそれということで…」
「ちょっと、まだ俺の話終わってないんだけど?」
「さー、また鯛で十品作るよ!」
「話をそらすな…、って、またあれやるの?」
「うん」
「この間空豆でやったばっかじゃん」
「あれで小説書いてみて調子よかったから、またやることにしたの」
「ホントよーやるね」
「まずはこの鯛捌いてくよ。和樹、新聞紙出して」
「新聞紙? 料理するんでしょ?」
「いーから。玄関に積んである山から一部持ってきて」
陽平に急き立てられて、和樹が台所に新聞紙を持ってくる。それを陽平が受け取り、流しの中に隙間なく敷き詰める。
「一体何始めんの?」
「鯛の鱗取るの。こうすればそんなに飛び散らなくて済むから」
「へぇー」
陽平が鯛をまな板ごと新聞紙の上に置き、金属製の鱗取りで鱗を取っていく。
「それ初めて見たわ」
「あぁ、これのこと?」
陽平が鱗取りをちょっと持ち上げる。
「鱗取りって言うんだよ」
「へぇー。何かアイスすくうやつみたいだね」
「まぁ、遠目から見れば似てなくもないか」
陽平は鯛をひっくり返し、反対側も鱗を取っていく。鱗取りを出刃に持ち替え、背びれを取り、腹びれの根本から刃を入れる。そのまま胸びれを持ち上げ、背中側まで刃を入れていく。身をひっくり返し、反対側も同様にすると、刃元に思いっきり力をこめて背骨を切り落とした。そのまま頭を引っ張ると、するするとワタと一緒に頭が身から離れた。
「うわぁー、気持ち悪い」
「んなこと言うなって。後でこれも使うんだから」
切り離した頭とワタを、陽平はボールに入れる。
そのまま尻尾の方から腹を割き、ササラを使って、水を張ったボールの中でワタをこそげ出していく。ササラを見たことがない和樹がすかさず陽平に質問してくる。
「そのホウキみたいのは?」
「ササラ。竹を細く割ったのを束ねたやつ」
集中している陽平は言葉少なに答える。
腹の中を洗い終えると、陽平は身の頭の方から包丁を入れ、背骨に沿って尻尾の方に向かって刃を入れていく。陽平持つ刃の動きには迷いがない。あっという間に半身が鮮やかに骨から外され、反対側も尻尾から頭の方に向かって刃を入れていく。真剣な目つきで鯛を捌いていく陽平を、和樹が感心した顔つきで見ている。ものの数分で、陽平の手によって大きな鯛は綺麗な三枚下ろしにされた。
「いや、お見事!」
思わず和樹が拍手をする。
「いやー、それほどでもあるけどね」
それにつられて陽平もキメ顔をする。
「さ、最初は昆布〆にするから、和樹は昆布出しといて」
「はーい」
「昆布出したら固絞りにした布巾で表面拭いておいてね。そのままバットの上に昆布置いといて」
「オッケー」
陽平に日々こき使われたおかげで、和樹も軽い下ごしらえぐらいならこなせるようになりつつある。
和樹に指示を出し、陽平は骨から外した身を柵取りしていく。出刃から柳に包丁を持ち替え、腹骨をすき、半身を更に背側と腹側に半分に切り分ける。血合骨も取り除き、切り分けた柵の皮目を下にして皮を引いていく。
「昆布準備できたよー」
「……」
真剣に皮を引いている陽平は何も答えない。陽平が皮を引き終え、身をひっくり返すと、白身に鮮やかな赤いV字が並んだ見慣れた鯛の柵が姿を現した。
「おぉ、いつもスーパーで見てる切り身だ」
「そう簡単に言うけど、これ結構大変なんだよ」
「へぇー」
「ムカつくから後で和樹にも一回やらせるわ」
「えぇぇー、陽平さんヒドイー」
和樹の困り顔を横目に見ながら、陽平は皮引きした柵を平造りに引いていく。身が崩れないよう、手早く引き切るような感覚で包丁を動かしていく。
「うわぁー、ちゃんとよく見る刺身じゃん」
「刺身作ってるんだから、そりゃそーでしょ」
切り終えた身を、塩を振った昆布の上に重ならないように並べ、上からも塩を振り、最後に昆布をかぶせる。
「これで重しをして、冷蔵庫入れればおしまい」
「どれぐらい置くの?」
和樹が陽平から渡されたバットを受け取る。
「早ければ一時間でも食べれないことはないけど、四から五時間ぐらい寝かした方が美味しいよ」
「えー、そんなに待つの?」
「すぐ味見できると思ったんでしょ?」
「うん」
「残念。今回はお預け」
「犬みたいな言い方しないでよ」
和樹が口をへの字に曲げる。
「さ、その間に他の料理作っちゃうよ」
「はーい」
和樹が昆布〆の載ったバットを冷蔵庫にしまい、二人はまた次なる料理の支度を始めるのだった。
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