第35話 脱出の切り札

「脱出するったって、できるのかよ。そんなこと……」


 海賊の多くが出払っているとはいえ、留守居役の海賊がいるのは明らかだ。


 彼らの目をかい潜り、無事にアナザーヘブンまで戻るのは、簡単なことではない。


 だが、ライはひとつ、大事なことを見落としている。


「忘れたのか。俺とエクリがどこで働いていたのか」


「あっ……」


「相手が何人いようと、機関場を掌握すればこっちのもんだ。……エンジンと発電機を押さえられたら、何もできないからな」






 機関場に入ると、親方をはじめ機関士に事情を説明した。


「海賊とやりあうから、俺たちにも協力しろだって!?」


 俺から協力を持ちかけられたゴリが声を荒らげる。


「なにも正面から殴り合えって言ってるわけじゃない。機関場を押えるのを手伝ってくれって話だ」


「けどよぉ……」


 ゴリと同じく協力を渋るサル。


「あんたらだって、無理やり入れられたクチだろ。……なら、海賊たちに義理立てしてやる理由がどこにある」


 俺の言葉に、ゴリとサルが顔を見合わせた。


「そりゃあ、オレたちだって、海賊たちをよく思ってるわけじゃねぇ」


「お前らが反抗するってんなら、応援しないでもない……。けどなぁ……」


 サルの視線の先では、親方がいつにも増して渋い顔をしていた。


「ここを荒らすヤツは誰であろうと許さん。……小僧、テメェでもな」


「親方……」


「で、でも、デストラーデたち海賊には、オレたちも酷い目に合わされてきたんですぜ? それなのに、海賊の味方をしようってんですかい?」


「別に海賊の味方になったわけじゃねェよ。俺ァただ……」


「船の味方、だろ」


 親方の言葉を遮り、俺が続ける。


アトランティスこの船はアンタが手塩にかけて鍛えた船だ。戦闘で傷つくならまだしも、自ら壊すなんてもってのほか。

 ……たとえそれが、海賊を倒すためだったとしてもな」


「親方……」


「アンタって人は……」


 サルとゴリの視線が親方に集まる。


「ふん……わかったようなことを言いやがる……」


 痛いところを突かれたのか、親方は俺から目を背けた。


 この反応を見るに、俺の推測は間違ってなかったらしい。


 俺はその場に落ちていたスパナを拾うと、親方に手渡した。


「船を壊さずにここを制圧する。……それでいいな?」


「…………勝手にしろ」


 スパナを受け取ると、親方は黙々と自分の作業に戻っていくのだった。






 親方たちとの話がまとまったことを報告すると、案の定エクリが抗議した。


「船を壊さないって……。それじゃあ、何のためにここに潜入したのよ! てっきり、みんなでエンジンでも発電機でも壊すのかと思ってたのに……」


「なんだ。壊したかったのか? 案外野蛮なんだな」


「アンタに言われたくないわよ!」


 エクリのツッコミを無視して船の見取り図を広げる。


 エクリが毎日通気口ダクトの掃除をやっていただけに、ダクトの位置から配管まで細かく記されていた。


「エクリ、お前ダクトの中に潜って掃除なりメンテしただろ。ここからここまでは終わってるな?」


「当たり前でしょ。冒険者たるもの、依頼された仕事はキッチリこなさないと……!」


 誇らしげに慎ましやかな胸を張るエクリを尻目に、俺は未開封のドラム缶に手をつけた。


「おい、なんだそれ」


「洗剤……平たく言えば船体の塗料を落とす超強力な薬品だ」


 僅かに漏れ出た薬品の匂いに、エクリが顔をしかめた。


「クサっ! 封を開けるんなら、ちゃんと換気してからにしないよね」


 俺から距離をとるエクリ。


 実際、説明書にも『使用にあたっては換気が推奨されており、換気をせずに密閉空間で使用しては人体に悪影響を及ぼす恐れがあります』と記されている。


「……でだ。そんなアホみたいに気化しやすいコイツを、ダクトから毒ガス感覚で流し込んだら、どうなると思う?」


 俺の問いに、エクリとライが顔を見合わせた。


「どうなるって……」


「そりゃあ……」






 突如として広がった異臭騒ぎに、アトランティスに残った海賊たちは大混乱に陥っていた。


「なんだよ、これ!」


「毒ガスか!? いったい誰がこんな……」


「換気だ換気! 送風を最大にしろ!」


「ダメだ! ダクトから毒ガスが広がってる!」


「とにかく、部屋から出ねェと……」


「おいおい、廊下まで広がってるのかよ、毒ガス……」


「ヤベェ、頭、痛ェ……」


「意識が、遠のく……」


 気化した薬品を大量に吸い込んでしまった海賊たちは、その場に倒れるのだった。






 船内の見取り図をウィンドウに表示すると、毒ガスが蔓延した箇所が赤く色が変わっていく。


船橋ブリッジ、通信室、デストラーデの部屋と幹部連中の部屋。その他すべての廊下に薬品の散布が完了しました』


 量が限られている以上、一般海賊の部屋は省いたが、毒ガスで廊下が使えない以上、彼らは自室から出ることはできない。


 陸の孤島に取り残された以上、船内の海賊たちは事実上無力化されたとみていいだろう。


 これにてアトランティスの制圧は完了だ。


「──よし」


「よし、じゃないわよ!!!!」


「何か問題があったか?」


「問題大アリよ! 毒ガスなんて、法律で禁止されてるでしょ! もし通報でもされたら……」


「誰がするんだ? 通報なんて」


「誰って……」


「できるわけないだろ、海賊が通報なんて。自首しに行くようなもんだ」


 仮に、この戦いに勝ったあと冒険者ギルドや警備隊に糾弾されたとしても、「塗料を落とすための薬品が漏れた」とでも言えば、俺の資格に傷がつく程度で済む。


(……毒ガス使った罪でしょっぴかれるのと比べたら、かわいいもんだがな)


「無法すぎでしょ、海賊相手とはいえ……」


オレ詐欺師よりお前の方がよっぽど犯罪者だろ……」


 顔を引きつらせるエクリとライの元に、ゴリとサルがやってきた。


「言われたとおり、酸素発生機O2ジェネレーター空気清浄機エアクリーナーを止めたけどよぉ……」


「本当にこんなんでいいのかよ? 黙ってねぇだろ、海賊たちがよ……」


 俺の指示で機械を止めたとはいえ、やはりどこか不安が残るらしい。


 心許なさげに立ち尽くすゴリとサルに、親方が声をかけた。


「……構わねェよ。何かあったら、俺が泥をかぶる。おメェらは適当に脅されてたとか何とか言っとけ」


「「親方……」」


 ゴリとサルの目に涙が浮かぶ。


「助かったよ、親方」


 俺が礼を言うと、親方は「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「……この船壊されるよか、マシな方を選んだだけだ」

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