第4話 真塩の証言(2)

「派閥?」

「ざっくり言えば、亀山派と篠下ささした派です」

「篠下?」


 また知らない名前。

 工場内の多くの人間が絡み過ぎていて、整理するのに苦労しそうだ。


「アジロに長らく勤めていた男性です。その篠下さんも亀山リーダーに辞めさせられたも同然だって噂ですよ。……亀山リーダーは南渡市の出身で、地元の繋がりがすごく強いんですよね。だから同じ南渡出身の社員を子分みたいに従えて、休日も取り巻きとゴルフをしたり釣りに行ったりしてつるんでいたんです。派遣の山本さんも仲が拗れる前まではお仲間だったらしいんですけど」

「成程。対抗する篠下さんにも子分が居た?」

「どうでしょう。篠下さんは社歴も年齢も亀山リーダーより随分上だし、わざわざ派閥を作るというより、亀山派につかなかった社員が篠下派だったんじゃないですか」


 それだけ亀山の影響力が強かったということ。話だけ聞けば、亀山は性質の悪い田舎のヤンキーのようである。


「組織異動で中堅以上の社員はごっそりいなくなって、今残っているのは亀山の取り巻きをしている若手だけなんです。だから、今の北F工場って他の工場と比べて平均年齢が低いんですよ」

「じゃあ、亀山と、そのお仲間によるパワハラがますます横行したわけだな」

「ええ。事務所で周りに聞こえるように怒鳴られたり、休憩を取らせて貰えなかったり、残業前にタイムカードを切られたり……。ある意味、お仲間以外にはに厭がらせをするので、自分一人が標的ではないのは救いでしたね」

「篠下って奴が退職したのも九月か」

「えーと。正確には十一月末付退職で、十月の途中から有給消化に入られました。俺も少しの間だけ一緒に働きましたよ。話す機会は殆どありませんでしたが」


 ベテラン社員なので有給日数は沢山あったのだろう。それをすべて消化したというのなら、円満退職にも思えるが。


「篠下さんと親しかった社員は皆北F工場を去っていますから、詳しい事情は知らないんですよね。ああ――でも妙な噂は聞きましたね」

「妙?」

「あ、はい。篠下さんに変な宗教に誘われたって」


 宗教?

 何というか、また全然違う方向性の情報だ。


「それは誰から聞いたんだ?」

「ええと、誰だったかな。正直、もう辞めた人の話に興味なかったんで、聞き流しちゃって……。すみません、思い出したら連絡します」

「ああ、頼む」


 聞き取りが一段落し、風見はレコーダーを停止した。

 緊張が解けた真塩は思いっきり伸びをする。


「助かったよ、真塩」

「いえいえ。お役に立てたのなら嬉しいです。もう幽霊が出る工場で働くのはウンザリっスよ」


 真塩は暗い面持ちから一転、からっと明るく笑った。人に話すことで胸のつかえが取れたのかもしれない。


「あの、そんな場所で働いていて、自宅でも怖くはありませんか?」と麦野は尋ねた。


「別に……。工場でしか出ませんし」

「そんなものですか」

「だって別に俺だから見えたんじゃなくて、北F工場に居れば誰にでも起こり得ることでしょ。亀山リーダーの厭がらせと同じで。幽霊は俺個人に憑いている訳じゃないっスもん」



   *



 真塩が小部屋を後にすると、風見は「この音源、文字に起こしとけよ。あと黒木の分も」と麦野に指示をした。さらっと言うが結構な量である。

 前の採用試験で丸一日行動を共にして十分理解していたつもりだったが、部下になってみると風見の俺様ぶりについていくのは想像した以上に大変なのかもしれない。

 それにしても女の霊と同じ現場で勤務し続けられるとは……大人しそうな印象を受けた真塩がインタビュー後は一転、たくましく思えた。人間の順応能力はすごいというか。





「麦野ちゃん、進捗はどう?」

花丸はなまるさん!」


 ひょこっと現れたのは総務部の花丸はな――米山の直属の先輩社員だ。

 心霊マネジメントシステムの事務局も組織図上では総務部の所属なので、風見と麦野の先輩でもある。


「あれ、風見君は居ないの?」

「打ち合わせだそうで、ついさっき出ていきました」


 アルバイトの麦野と違い、彼は調査外の業務も抱えている。具体的にどこで何をしているのかは知らないが。


「戻りの時間は……」と麦野が思い出そうとするのを、「あ、いいの、いいの」と花丸が止めた。


「あたしが用事あるの、麦野ちゃんだから」

「私ですか?」

「心霊マネジメントシステムの事務局って、まだ事務所がないんでしょ? あたしの隣がちょうど空席だから、そこに麦野ちゃんのデスクを用意したの。仮屋かりや課長にも承諾取ってあるから安心して。それと、これ社内で使える内線用の携帯電話。自由に使ってね」


 花丸に連れられて総合棟の二階にある総務課の事務所へ行けば、デスクに、何とノートパソコンまで置いてある。


「パソコンは総務の予備だからちょっと古いけど、動作には問題ないから。下の小部屋に持って行っても良いし好きに使って」


 こうしてパソコンを支給して貰えると事務職に就いたのだという実感がやっと湧いた。


「お気遣いありがとうございます」

「風見君の気が利かなすぎるのよ。部下の出社初日だっていうのにデスクもパソコンも準備しないんだから!」


 花丸は苦々しい口調で、ここに居ない風見を睨みつける。


「あの男は放っておいて、この花丸が、何でも相談に乗りますからね!」と、どーんと自分の胸を叩いた。

「頼りにしてます、花丸先輩!」


 小さく拍手すると、花丸は嬉しそうに笑った。


「……ほぼ無理やり呼ばせてるなぁ」


 不意に後ろから顔を出したのは米山だ。


「後輩が入ってくると、すぐ先輩って呼ばせたがるんだよ。この人」


 呆れた口調で言いながら、米山は腕に抱えていた重そうなカタログを数冊、どかっと花丸のデスクに置いた。


「ほら、貴方が頼んでいたカタログ一式ですよ。花・丸・先・輩!」

「米山君、感謝!」


 花丸は両手を合わせて首を傾げた。こういう仕草が許されるのは、彼女のように可愛い女子の特権だよなと麦野は感心する。


「騙されないでね、麦野さん。気が付いたらパシりに使われるから。大体このカタログだって、ネットに載っているのに」

「ネットカタログで商品を探すより、紙の方が早いのよ」

「じゃあ、せめてカタログくらい自分で取りに行ってよ」

「米山君。ありがとう」


 感謝の言葉で相手を黙らせることが出来るのはなかなかの芸当だと思う。麦野がまたしても簡単の息を漏らした横で、米山は溜息を吐く。

 今の会話だけで、この二人の力関係が察せられた。


「花丸先輩、総務って北F工場の人達と何かトラブルがありましたか?」

「あたしは聞いたことないわ。どうして?」

「それが、僕達が現場に行ったらすごい態度で追い返されたんだよ」と米山も言う。

 花丸は何かを思い出そうと首を捻った。


「北F……北F……そうだ、産業カウンセラーとの面談があったわね」


 やはり、北F関係の総務案件というとそれしかないのか。

 待てよ。

 それしかないのなら、原因はそれなのではないか?

 真塩達が小手指課長に相談をしたとき、彼らは総務に対し、心霊現象が起きているということを前提にした対策を期待した筈。それが産業カウンセラー面談というお門違いの対応が返ってきたのだから、さぞ落胆しただろう。

 以後、黒木が亡くなるまで総務の動きはなかったのに、今日突然、連絡もなしに風見と麦野が訪ねてきたとなれば……北F工場側が憤りを感じたとしても自然な流れだ。

 心霊現象は解決して欲しい。

 しかし今更、総務は信用出来ない。

 相反する気持ちの落としどころとして真塩が聞き取りに応じたのかもしれない。志岐が来なかったのは仕事が理由だと真塩は言っていたけれど恐らくは違う。きっと真塩は今頃、志岐や北F工場の人間に、風見達の感触を報告しているに違いない。信じられる相手かどうか。


「そういえば、あの面談は誰が担当したんだっけ……」と花丸は呟いた。


「麦野さん、外線のお電話ですよ」


 総務の女性社員が固定電話の受話器を持って手招きをする。


「え?」


 相手に心当たりがない。電話を架けてくる取引先はまだないし、ここで麦野がアルバイトをしていると知っているのは会社関係者の他には誰も居ない。不思議に思いながら麦野は保留を解除した。


「もしもし?」


 一拍置いて、「もしもし」と答えが返って来る。

 かなりノイズが混じった音声で聞き取りづらい。


 ――誰?


 記憶のどこにもない見知らぬ声に不快感を覚えた。


「……どなたですか?」


 名乗る気配のない相手に問い掛ける。

 また、一拍の沈黙。


「やっと繋がりましたね」


 プツ、と通話が切れる音がした。


「えっ。ちょっと、あの」


 ツーツーツーと不通の音が鳴る。


「麦野ちゃん、電話は誰だったの?」

「さあ。切れちゃいました。悪戯だったようです」


 受話器を置いてからも何だか胸騒ぎがした。だって気味が悪い。まだ入社もしていないただのアルバイトである自分の氏名が外部に漏れているなんて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る