第3話 真塩の証言
風見と麦野が北F工場を追われた一時間後、同じようにスーツ姿の男性社員がこっ酷く邪険にされて外に放り出された。
「米山でも駄目か」
「どうして僕が……」
ずれた黒縁眼鏡を調整し、くたびれた調子で呟いたのは総務部の米山
「総務そのものを毛嫌いしているみたいだな。ここの連中と何かトラブルがあったのか?」
「そんな話、聞いていないけどな。まあ総務は社員ごとに担当する業務がばらばらだから、僕の知らないところで誰かが揉めたのかもしれないね」
「情報共有がなってねェな。……で、何か感じたか?」
「何かって?」
「何かは何かだよ。あんたのその霊感で」
米山は両親や祖父、その曾祖父から続く霊能者の家系で、遺伝的に霊感を持っているらしいのだが、本人曰く役に立てた試しがないのだそうだ。
「特に変わった感じはしない。第一、僕の霊感はたいして強くないから」
「無いよりはましだ」
「まったく、人を測定装置みたいに使ってくれちゃって……」
ぶつくさ文句を垂れる米山を尻目に、風見は難しい顔で北F工場を見上げる。
「ごめんなさい。風見さんも私もアジロじゃ新人ですから、四年目の米山さんだったら入れて貰えるかと思ったんです」
「麦野ちゃんが謝ることはないよ。でも確かに、あの拒否反応は気になるな」
裏手から次々にトラックが発車する。搬出入のピーク時間が過ぎたらしい。
真新しい北F工場は白基調で統一され清潔感があり、ぱっと見た限りでもよく整理整頓がされていたし、幽霊が出るようにはとても思えなかった。
「まあ基本的に保守的なんだよ、皆。僕の後輩が北F工場に居るから、駄目元で協力を頼んでみる」
「おっ、さすが。米山、やっぱり頼りになるぜ」
「風見さんは調子がいいんだから」
そして昼休み。
二階事務所の入口では、若い男性社員が入りにくそうに事務所内を覗き込んでは少し離れ、出入りする社員に道を譲っては、また覗き込む。
「
「あっ、米山さん」
彼は米山を見つけると安堵の笑みを漏らしたが、背後の風見に気付くと、ぎょっと顔を強張らせた。入社して三ヶ月も経っていない風見は、まだ社内では知られていないのだろう。初対面なら彼の金髪に驚くのも無理はない。
「話を聞きたいって、何でしょうか」
真塩は米山と同じ高専出身。アジロに就職してからもたまに飲みに行く仲だそうだ。纏う空気もどことなく米山と似通っている。それは単に、彼も眼鏡を掛けているというだけかもしれないが。
心霊マネジメントシステムの事務局にはまだ事務所が与えられていないので、一階の小部屋に場所を移し、真塩をパイプ椅子に座らせる。小部屋の扉が閉まると、彼は幾らかリラックスした様子で肩の力を抜いた。
「ふう。総合棟って、未だに緊張するんスよね。特に二階の総務近辺は場違いな雰囲気が強くて」
間接部門が集められている二階事務所は、大半がスーツ勤務なので工場の作業着姿は目立つ。でも同じ会社の社員なのだから、そこまで萎縮しなくてもいいのにと思うが、それもやはり、総務とのトラブルに由来する溝なのだろうか、と麦野は不思議に思った。
「総務に用事があるときはいつも米山先輩ばっかりに連絡しちゃって」
「そりゃ仲が良いことだな」
多岐に渡る総務の仕事を米山が何でも担当しているわけではないだろうに……まあ、米山と単なる先輩後輩の仲以上に親しい真塩が、都合よく北F工場に居たのは渡りに船だ。そう考えたところで、果たして偶然だろうか、と麦野は首を捻った。
風見がわざわざ米山を北F工場に呼んだのは彼の霊感目当てだろうと思っていたけれど、もしかすると初めから真塩を引き入れたかったのかもしれない。彼が米山にべったりだという情報をあらかじめ入手していて。
……どこまでが風見の思惑なのか、いまいち掴みきれない。
「真塩君、来てくれてありがとう。さすがに
「はい、ちょっと」
志岐は真塩と同じ班に所属する先輩で、現在は亀山の代わりにリーダー代理を務めているのだという。
「やっぱり総務と北F工場で何かあったのかなあ」
「あ、いや。昼前に、検査部門から製品不良の連絡があったんで来られないってだけです」
「志岐さんは北Fに異動する前は、生産部三課でリーダーをやっていたんだよね。指示出しは上手いでしょう」
「ああ、はい。特に俺は、志岐さんと同じタイミングで三課から一課に異動した者同士なのでやりやすいですね」
「同じタイミングってことは、例の、十月一日付の組織異動か?」
風見が口を挟み、真塩は「はい、そうです」と生真面目に答えた。
「だから、僕は十月以降のことしかわからないのですが、大丈夫ですか?」
「良いよ。逆に先入観がない話が聞けそうで、期待してる」
その言葉に、真塩は「そうかもしれないっスね」とようやく笑顔を見せた。
「じゃ、気楽に話してくれ」
風見が机にレコーダーを置く。工場内はスマホ持ち込み禁止の場所が多いので、録音にはレコーダーを、撮影にはデジタルカメラを使用するのが常らしい。
部屋の隅に立って麦野は手帳を開いた。さっき風見から霊体験の聞き取りに関する三つのポイントを教わったのだ。このポイントを念頭に置いておくと聞き漏らしが減るのだとか。
一つ目は、体験した現象の内容。どんな現象で、いつ・どこで発生して、どのくらい続いたのか。現象が起こる前や起こったあとに何かあったか。他に誰か体験者や居合わせた人間がいるか。シンプルに要所をついて聞くこと。
二つ目は、体験者本人の解釈。どのような感じを受けたか。単に『音』だとしても、それを足音と思ったのか、ノック音だと思ったのか、単なる軋みだと思ったか。主観で構わないので確認すること。
三つ目は、体験者の背景。今悩んでいることはないか、体調面の不安はないか、家庭や周囲でトラブルはないか、といった個人的な事情を差し障りのない範囲で尋ねること。
「一応言っておくが、録音した音源は俺ら以外は聞かねェから安心しろ」
「わかりました」
真塩の了承を得たところで、レコーダーの電源を入れる。
「では、最初の質問だ。北F工場で女の幽霊を見たことはあるか?」
いきなり核心をつく質問だ。
「あります」
真塩があっさりと答え、麦野は米山と目配せをした。
「それはいつ頃?」
「最近です。十一月――いや、もっと最近かな。十二月頭だったと思います」
「成程。それまでは? 嫌な圧迫感を受けたり、足音に尾けられたりは?」
「足音は、俺は聞いたことがありません。でも圧迫感はわかります。あの工場にいるとずっと気持ちが悪いんです。配属されて二ヶ月以上経ちますけど、ますます酷くなっているような……。
最初に違和感を口にしたのは、前から北F工場にいる社員の誰かだったんじゃないかな。何か変な感じがするって。それを皮切りに『俺は足音が聞こえた』『自分は女を見た』って感じでみるみる噂が広まっていって。その時期に小手指課長に相談をしたら、総務に対応を依頼するからって言われて。それで産業カウンセラーとの面談があったんスよ」
「あんたも面談をした?」
「いいえ。だって見当違いな対応じゃないですか。小手指課長や総務は、俺達がストレスで幻聴や幻覚に悩まされているだけだって思ったのかもしれないですけど、違うじゃないですか」
思い出すと怒りがわいてきたのか、真塩の口調が厳しくなる。
「面談した社員も居たみたいですけどね。でも結局、変な現象は収まる様子もないし、昨年で二人異動して、一人退職した筈ですよ」
「そういや中途半端なタイミングで人事異動の辞令が出たが、それだったのか」
「はい。派遣社員は辞令が発表されませんからもっと辞めています」
急な組織変更に加え、更なる人事異動、退職……成程、それでは現場は大混乱に陥るはずだ。
「俺も、一人作業はやりたくないです。皆そうだと思います。最近はどの工程も二人以上で回すことにしているんです。表向きは安全のためだと言えば、上にも文句は言われませんからね」
「真塩さんから見て、誰か一番怖がっていますか?」
彼は少し考え込んだ。
「一番は、もうお辞めになった山本さんです。朝礼で『工場に、女の霊が居る』って言った日はかなり騒動になりました。新しい職場では元気にしていると良いんスけど」
「いや、亡くなったよ」
「え?」
「自宅で死んでいたのが発見されたそうだ。もう派遣契約は終了していたからアジロに連絡はなかったが、派遣会社に訊いたら教えてくれたよ」
「それは……いつ頃……」
「十二月三十日って話だから、アジロを辞めた二週間後だな。で、亡くなる前の黒木の態度はどうだった?」
「……あ、はい。黒木さん……ええと……別に、普通でした。山本さんが言ったことに対して、『実は自分も見えたんだ』と言っていましたけど、それは他の人間も同じでしたから。本当にただの事故だったんスかね……」
「わからない」
「そうですよね、すみません」
「亀山は?」
亀山の名前を出すと、真塩の声色は一段と暗くなった。
「亀山リーダーは、当初は怪奇現象に関しては莫迦にしていたんです。俺達がこっそり小手指課長に相談したってバレたときも『てめーら頭おかしいのか』って厭味を言われましたし。変化に気付いたのは十二月の半ば頃です。最初は残業が多い所為で疲れているのかなと思っていて。でも……」と一度言葉を切る。
「……怖がり方が、他の人とは違ったんですよ。俺達は、単独行動さえ取らなければ何も起こらないから、ペア行動が定着してからはそんなに怖くなかったっていうか。それに、万が一何か起こっても、誰かと恐怖を共有出来たら恐怖心って薄れるじゃないですか。
それに先月の北F工場はてんてこ舞いだったんで、さすがにそれどころじゃないって気持ちもあったんスよね。でも亀山リーダーは誰かと一緒に居ようがお構いなしに常に怖がっていました。いや、本人は『怖い』なんて口が裂けても言わなかったですよ。あの人、プライドが高いですから。まあ言わなくても、あんなに挙動不審だったら態度でわかりますけどね」
ふと、亀山は今どうしてるんだろうと気になった。
年が明けてもずっと休職してしまっているというが。家にいれば安心して過ごせるのだろうか。山本は「家にも出る」と言っていたらしいが、それはどうなったのだろう。
「話は変わるが、北F工場に異動して来た当初の印象はどうだった?」
「印象っスかぁ。あのときは一気に十名前後の社員が配置転換になったんスよ。北F工場の社員が別の工場に異動になったり、入れ替わりに、俺や志岐さんみたく北F工場勤務になったり。生産部大シャッフルっていう印象だったんで、『ああ仕事をローテーションさせたいのかな』という程度にしか思っていませんでした。ただ実際は……」
真塩は苦笑する。
「これ、本当に、貴方達しか聞かないんですよね?」
「もちろん。総務の他の人間にも聞かせない」
「それなら……俺も後から知った話で、昨年九月末に、北F工場の社員の大半が退職や異動希望を出していたそうなんです」
「じゃあ組織変更の目的は、北F工場の立て直しだったのか?」
「つまりそういうことっスよねえ」
「九月は俺も入社する前だな。その頃にすでに幽霊の噂があったのか?」
「いえ、あの組織変更と、幽霊騒動はまったく関係がないと思います」
――ここまで来て、幽霊が関係ないだって?
風見も眉を顰めるが、真塩は至って真剣だ。
「その時期、北F工場では社員同士の派閥争いがエスカレートしていたらしいんです」
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