第2話 北F工場

 麦野は構内図を手に北F工場へと向かう。アジロで働くのならまず敷地の全体像を把握しなければならないが、これがまた厄介だ。

 とぐろを巻くように敷かれた道路の終着点に総合棟があり、その道路から東西南北へ細かく分岐する小路は構内図上で見ても歪に入り組んでいるのに、いざ歩くとなると一度通った道でも同じように辿れるか怪しい。落葉樹の葉が散っているお陰で幾らか明るいものの、それでも構内図を片手に指で辿っていかないと不安になってしまう。

 まるで村落のよう、とは前回訪れた際に抱いた感想だ。変な工場だとしか思わなかったが、もしかしたら意図的に作られたのかもしれない……封じるために。

 この土地に棲まうものの恐ろしさは麦野も身を以って知っている。そのためにアジロが導入しているのが、心霊マネジメントシステム――Paranormal Management System。


「風見さん。心霊マネジメントシステムでは調査手順は決まっているんですか?」

「厳密なルールはない。基本の思考は品質や環境のマネジメントシステムと同様で、事業活動の改善に役立てるための仕組みだが、今回のような問題解決にも応用出来る手段だ。俺たちが達成すべき『目標』は何だと思う?」


 麦野は考え込んだ。その沈黙が数十秒続いたところで、風見が「そもそも俺達に調査依頼をしたのは誰だか知っているか」と助け船を出した。

 直接風見に相談を持ち掛けた黒木は亡くなっているし、そうなると――


「――北F工場の方々ですか」

「いや」


 正解だろうと高を括っていた矢先の否定に、麦野は「え?」と先を歩く風見を見上げた。


「では青ヶ幾あおがきさんですか?」


 青ヶ幾とはアジロの取締役参与であり、心霊マネジメントシステムの管理責任者でもある。つまり風見と麦野のボスなのだが、御年八十を超えており、体調が優れず今日も出社していないという。

 そして、この回答にも風見は首を振った。


「青ヶ幾さんも俺達同様、依頼を受けた側だ。俺達は青ヶ幾さんが受諾した仕事をこなす役目ってことだな」

「じゃあ……依頼主は誰なんです?」


 もう見当もつかない。お手上げだ。


「うちのトップマネジメントだよ」


 トップマネジメント。『最高位で組織を指揮し、管理する個人又はグループ』と定義され、要するに経営者或いは経営陣という意味合いである――と参考書で読んだ。


「アジロの心霊マネジメントシステムの場合、トップマネジメントは専務取締役だ。トップマネジメントはマネジメントシステムの有効性に対して説明責任がある他、その活動全般について責任を負う」

「そう聞くと、管理責任者との違いがよくわからないですね」

「昔はトップマネジメントが組織の管理層から管理責任者を任命するよう義務付けられていた。しかし現在ではその事項は削除されており管責は不要となった……とは言うものの、結局はトップマネジメントと事務局の間を取り持つ中間管理職的な立場がいないと仕事が成立しづらいから、管責を置いている会社が多いのが現状だな。アジロもそういうわけで青ヶ幾さんが管責を務めている」


 成程。管理という名称は過去の名残なのか。

 アジロへの就職が内定して以来、学業の合間にISO関連の書籍を読んでみたもののいまいち頭に残らないのが悩みだったが、こうして一つ一つ説明して貰えると少しは理解が捗る。


「依頼主は専務なのですね」

「そういうことだ。その上で、目標を考えてみろ」


 今のやり取りで実感したのは、事務局業務は探偵業とはまったく違うということだ。我々は取締役の指示下で動いているのであって、心霊現象の被害者達に頼まれて調査しているのではない。そうなると、目標を『心霊現象の解決』とするのは違和感がある。今回の目標は取締役の望む方向性とイコールになるのだから。

 自分がアジロの取締役だったら、この状況で何を求めるだろうか?

 ……少なくとも北F工場の幽霊が成仏すること、ではない気がする。


「北F工場の製品の出荷が遅れてクレームになったのでしたね。会社としては、もうクレームは出したくない。出荷が遅れるような事態にはなってほしくない。となると『北F工場が通常通り稼働できるようになること』が目標でしょうか」

「その通り!」


 風見は満足気に笑った。


「ただ目標が大きすぎるとPDCAも大仰になっちまってスピード感が落ちるから、もう少し噛み砕いて具体化するとやりやすい。現時点での情報だと、『現場の混乱を解消すること』、『退職・休職による人員の流出を止めること』の二本柱だな」


 そう纏められると、シンプルな話に思えた。


「現場の混乱は、工程の手順や引継ぎの問題に加え装置トラブルが原因だ。装置については恐らく設備課が対応済だろうから資料を貰うとして、後は幽霊が機械に影響を及ぼしている可能性……霊障だな。もし霊障ならば心霊現象が解決すれば自動的に装置トラブルも解決する筈だ。人員の流出についても同様に、現象が収まれば解決するのかもしれないが、黒木の話を聞いていると人間関係にも問題がありそうだ」

「十月の組織変更も気になりますよね」

「そうだな。総務の人事担当にも話を聞こう」


 話している内に北側、つまりアジロの正面側に見えてきた白壁――あれが北F工場。

 アジロではアルファベットが若い程古いので北F工場は比較的新しい。外壁を伝う配管もまだ綺麗で、雑木林然としたアジロの風景においては浮いて見える。建屋自体はそう大きくなく、こぢんまりとした工場だ。


「心霊マネジメントシステムの場合、まずは情報収集がベースだ。平たく言うなら科学的な視点と非科学的な視点の両方から見ていくのが肝になる。くれぐれも、話し手の情報に引きずられるなよ」


 またしても念を押され、麦野は頷く。


「黒木が相談に来る以前から、北F工場では装置トラブルが頻発していたらしい。それを上に知らせず、社員らが内々に対応していた状態でごっそり人員が入れ替わってしまい収拾がつかなくなっている。会社にありがちな隠ぺい癖だな」

「隠ぺい、ですか」


 北F工場の裏に回ってみると、生憎搬入のタイミングに重なってしまった。路肩に数台のトラックが乗り付けており、そこかしこで数社の取引業者がアジロの社員とやり取りの最中。

 その隙間を縫い、風見がしれっと裏口から立ち入ったので小走りに麦野も続いた。一瞬、知り合いの取引先が居るかなと思ったが、さすがにそんな偶然は起こらなかった。

 狭い通路はもっと混雑しており、納品伝票が落ちたり荷物がぶつかったりと導線がこんがらがり、仕舞いには「危ないからどっか行って」と大声で追い払われた。……どうも、訪ねた時間帯を誤ったようだ。

 それで仕方なく正面に回ることにしたのだが、出入口から入ってすぐに運悪く――というか案の定、作業服姿の社員に出くわした。彼らは風見と麦野を見るなり、「何の用?」と不快感を露にする。


の仕事で来たんだ」


 どうやら心霊マネジメントシステムの調査というのは伏せる方向らしい。

 相手の表情はますます厳しく歪む。


「総務? 総務が何しに来たんだよ。事前に連絡は?」

「していない。ちょっと見回るだけだ」

「事前連絡もしていないのに立ち入られては困る。出直してくれ」

「は? ちょっと。俺達は仕事で――」

「仕事? こっちの依頼は無視しておいて、何様だっていうんだ。出て行け!」


 あれよあれよという間に二人は外に押し出され、鼻の先でぴしゃんと扉が閉められた。多少煙たがられるかもしれないと予想はしていたが、想像を遥かに上回る拒絶ぶりに、二人は暫し無言で佇んだ。

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