心霊マネジメントシステム事務局の傀儡契約〈全38話〉

プロローグ

7.2 力量

 組織は、次の事項を行わなければならない。

 組織のパフォーマンス及び有効性に影響を与える業務をその管理下で行う人(または人々)に必要な力量を明確にする。

 適切な教育、訓練又は経験に基づいて、それらの人々が力量を備えていることを確実にする。

 該当する場合には、必ず、必要な力量を身に付けるための処置をとり、とった処置の有効性を評価する。力量の証拠として、適切な文書化した情報を保持する。


注記

 適用される処置には、例えば、現在雇用している人々に対する、教育訓練の提供、指導の実施、配置転換の実施などがあり、また、力量を備えた人々の雇用、そうした人々との契約締結なども有り得る。



心霊マネジメントシステム

(Paranormal Management System)

国際規格「ISO■■:20XX 7.2『力量』」より抜粋








「――風見かざみさん。これ、もう始まっているんですか?」

「ああ。レコーダーで録音するから、なるべく細かく話してくれ」

「わかりました。……ちょっと緊張しますね」

「別に誰かに聞かせる訳じゃない。気楽に話したらいい」

「はい。ええと、僕が北F工場に異動したのは、先々月の十一月上旬のことです」

「悪い。最初に、氏名と所属を言って貰えるか。記録として、一応」


「すみません。生産部一課の黒木くろき祐慈ゆうじと申します。僕自身は入社以来購買課一筋だったので……当然、北F工場の作業内容や装置のことは何も知らない状態でした。そんな人員でも欲しいって言うんですから猫の手でも借りたい程の状態だったのでしょうね。

 ただ、異動したはいいものの、北F工場は新人の僕に作業を教える余裕が無かったらしく僕は派遣社員の人達と一緒に雑務をすることになったんです。主に一緒に行動していたのは山本やまもとさんという男性で。

 仕事内容は、完成した製品をひたすら容器に詰めるとか、その容器を所定の場所まで運ぶとか、文字通りの力仕事でしたよ。僕としても生産部の社員と一緒にあれこれ複雑な仕事をするよりは、彼ら派遣さん達と単調な力仕事をしていた方が気楽だったので、正直助かりました。


 数日、北F工場で働いてみて気付いたのは、北F工場の派遣社員は社員達とまったく会話をしないということです。それが最初の違和感でした。

 派遣社員は毎日の退勤時にタイムシートを記入して正社員に確認印を貰う決まりになっているのですが、そんなときも無言なんですよ。それこそお互いに『お疲れ様』の一言すらもありません。購買課にも派遣さんは居ますけど、親しくしていますし、こんな隔たりはないですから驚きました。それで『ああ、北F工場は正社員と派遣が上手くいっていないのだな』と感じました。

 そのときすでに幽霊の噂は耳にしていましたが、僕自身はあまり信じていませんでしたから、人間関係のほうがよっぽど気になりましたよ。


 北F工場は生産部一課の担当工場です。羽立はたて部長と小手指こてさし課長の管轄ですね。

 僕が入ってからは二人は一切北F工場に顔を出していないと思います。その代わりに亀山かめやまリーダーが色んな権限を委任されているようですね。平気で課長印を押しているところも何度も見ましたよ。何というか、北F工場自体があんまりルールを重んじないというか……。『俺達は俺達のやり方がある』っていう強気な雰囲気があって。

 社員の年齢層が若いのもあるかもしれません。リーダーの亀山さんもまだ三十代半ばですし、一方で派遣社員は年上の方が多く、年齢差もあって噛み合わないのかなぁという感じがしました。

 あ、すみません。全然幽霊と関係ない話ばっかりしちゃって。

 本題は、霊体験ですよね。……正直、途中から変な感じはしていました。いえ、霊感とかはないです。圧迫感って言うんですかね。トンネルの中に居るような……そんな感覚です。軽い気持ちで山本さんにお話ししたんですよ。そしたら『俺も感じる』って言うんです。

 しかも、霊を見たって。

 山本さん曰く皆この工場に入ると気持ち悪いんだって。前はそんなことはなかったのに、最近ずっとそうなんだって。


 山本さんが霊を見たのは、僕が北F工場に入る一週間前だったそうです。

 工場の休憩室で仮眠を取っていたら突然水に突き落とされたみたいな感じがして、驚いて瞼を開けたら、目と鼻の先に女の顔があったんだって。白いワンピースを着た髪の長い女。

 僕も見ました。あれは一人で階段を下りているときですね。後ろに続くように足音が聞こえて、『同僚がついて来たんだな』と思う反面、何かが妙だったんです。言葉にすると難しいのですが、足音が僕が歩く速度とまるで同じなんですよ。トン、トン、トン、と一定で。それで不思議に思ってふっと振り返ったら階段の角から女が覗いていました。あれはさすがに不気味でしたね。ただその日は亀山リーダーに嫌味言われた直後だったので……精神的に参って幻覚を見たのだろうなと思いました」


「『その日は』ってことは、それからも何度かあった?」

「はい。一人で階段を歩くときは百発百中でした」

「それに対して恐怖は感じなかった?」

「うーん。さっき言った通り、僕は超常現象的な違和感よりも人間関係の方がしんどかったので、ちょっと個人的に揉め事もあって、それどころじゃなかったっていうか。

 話が前後するんですけど、行動を共にしていた山本さんがメンタルを病んじゃったんですよ。彼も、一人で行動していると工場の女の霊がどこにでも現れるって言っていました」

「それはいつ頃からですか?」

「僕が北F工場に行って二週目だったので十一月中旬だと思います。ある日、朝礼で突然騒ぎ出したみたいです。僕自身はそのときはまだ購買課の朝礼に参加してから北F工場に移動していたので居合わせなかったんですけど。

 それからは一人でトイレにも行けないくらいに参っていたようです。僕も休憩するときは一緒に来て欲しいと頼まれたことがあります。ロッカーに煙草を取りに行くからついて来てくれって。仮眠室でも隣に居てくれって。かなり深刻な様子で、ちょっと笑い飛ばすような雰囲気じゃなくて、僕は黙って同行しました。だって可哀想で。さすがに急ぎの作業が立て込んでいたときは断りましたけどね。

 まあ、そういうこともあって、山本さんはますます社員との……特に亀山リーダーとの仲が険悪になっちゃって」

「どうして亀山と?」

「亀山リーダーは霊現象を真っ向から否定していたんです。まあ気持ちはわからなくもないです。北F工場は幽霊の噂を抜きにしても、とにかくゴタついていますから。元々北F工場は、下半期になってすぐ十月の組織変更で正社員がごっそり入れ替わったんです。派遣社員も山本さん以外の大多数が辞めてしまわれたそうで、人数的にはプラマイゼロになるように調整はされたたものの新人ばかりでは当然マンパワーは落ちますから……。なぜか装置トラブルも相次いで出荷遅延も起きていたので、亀山リーダーが焦るのも仕方ないと思います。そこに追い打ちを掛けるような心霊騒ぎで、亀山リーダーは相当ピリついていました。僕の場合、あらかじめ『何か変なことがあっても、社員には言うな』と先輩から釘を刺されていましたから、霊を見たことは亀山リーダーにも誰にも話しませんでした。山本さんはよりによって朝礼で騒ぎを起こしてしまったので、亀山リーダーからかなり絞られたみたいです。それが切っ掛けで他の派遣社員も亀山リーダーとの折り合いが悪くなったんですね。

 とにかくそんな風にリーダーの亀山さんが心霊現象を否定していたので、社員も誰も口出し出来ない雰囲気でした」


「複数人で同じ霊現象を目撃するということは?」

「なかったと思います。少なくとも、僕の耳に入っている範囲では。僕自身もそうです。そういうこともあって、被害……と言うのかわからないですけど、自分しか被害に遭ってないことって訴えにくいじゃないですか。しかも霊現象なんて証拠もないものを、自分自身でも現実だったのか気のせいなのか確信が持てないのに、その上、現場のリーダーは否定派ときたら……、そりゃもう、訴えにくい雰囲気が強くて。

 だって万が一心霊現象に遭ったと主張した後に、仕事でミスでもしようものなら、通常の倍は怒られますよ。幽霊だなんだとふざけたことを言って注意力散漫だからミスをするんだ、アジロを潰すためにわざとミスをしたり噂を流したりしているんじゃないだろうな、それなら派遣会社に話を通すぞ、訴えるぞ……っていうのが実際、山本さんが言われたことなんですが」

「パワハラだな。人事に報告すべきなんじゃないの」

「十一月末におたくの総務課長に相談しましたよ。でも、山本さん本人に相談する意志がないのなら会社としてはどうにも出来ないと言われてしまって。それで山本さんに一緒に総務課に相談に行こうと持ち掛けたんです。一時的には山本さんも乗り気だったのですが、その日に山本さんが一課の小手指課長に呼び出されまして、戻って来たときには『もういいんだ。済んだ話だから』としか言ってくれませんでした。何を話したのかは教えてくれませんでした。

 これは僕の推測ですが、総務課長が小手指課長に告げ口したのではないかと思うんです。結局、山本さんが課長に何と言われたのかはわからないままでした……その後、年末より少し前に山本さんは辞めてしまわれたので」

「辞めた理由は? 霊が出るから?」

「わかりません。たぶんそうだと思いますけど、聞いてもはぐらかされました。すでに次の仕事は決まっていると仰っていたので体調不良やメンタル不調が原因ではない筈です。最後は『ここお化け出るしなぁ』って軽く笑っていました。その豹変ぶりも変だなと」

「…………」

「山本さんは、亀山リーダーとは最後まで険悪でしたが、パワハラめいたことは収まっていたので、小手指課長が指導したのかな。まあ、もうすぐ辞める相手と思えば苛める気も起きなかっただけなのかもしれませんが。

 その頃になると、それまで山本さん以外と話すことがなかった霊体験を、周囲の社員とも話す機会が増えていました」


「異動して一ヶ月半。北F工場の社員と信頼関係が築けたということか」

「ははっ。いやあ、むしろ逆じゃないですかね。いつまでこの工場に居るかわからない人間だからこそ気軽に話してくれたんじゃないでしょうか。色々聞きましたよ。中には気にし過ぎのようなものから、面白がって誇張しているように思えるものもありましたが」

「成程。あんた自身はどうだったんだ。女の霊を見続けた?」

「お恥ずかしい話ですがなるべく一人で行動しないように気を付けていまして、その、僕に霊体験を打ち明けてくれた社員に僕のほうからも打ち明けて、お互いに協力っていうんですか、ちょっと変な感じですけど、なるべく霊現象が起きる条件を満たさないようにしようってことで、最終的には北F工場全員が単独行動を避けることにしたんです」


「へえ」

「工程内なら大抵二人以上いますけど、問題は休憩時間とか移動、事務作業ですよね。休憩は二人一組で取れるように現場のシフトをこっそり変えて、事務所に一人きりになりそうなときは事務仕事を後回しにするか、総合棟にも生産部の事務所がありますから、向こうまで行って事務仕事をやろうとか」

「徹底しているな」

「そうやって社員同士で協力してみると、霊体験をすることは滅多に無くなったんです。変わらずトンネルの中にいる感覚は抜けませんでしたし、具合が悪くなることはあったんですけど、そっちはそこまで精神的にはこないというか……。それくらい我慢するか、霊を見るよりましかって感じで」

「成程ね」

「人間関係も大分良くなってきたように思えたんです。ただ、今度は亀山リーダーが……。あの、僕達はまったく知らなかったんですけど、亀山リーダー、風見さんに相談されたんですよね?」


「ああ」

「やっぱり。そうだったんですか……。あの、このまま引き続き話したほうが記録し易いんですよね? ……わかりました。はい。亀山リーダーはどんどんやつれてきていました。元々は体を鍛えていたのに、目に見えて痩せていました。ただでさえ年末は忙しいので、単に仕事が大変だったのも原因だと思います。

 僕も、社員と打ち解けてからから知ったことですけど、あの組織変更はかなり急な話だったらしく、引継ぎが杜撰で、作業していてもいちいち『これどうやるんだっけ?』っていうのが多いと。現場でのケアレスミスも増えていました。

 絶対、亀山リーダーとの連携が上手くないのが原因ですよ。今、現場を一番よく知っているのは亀山リーダーなのに、気が短くて有名な人なので、皆話し掛けづらくて。……そりゃ、かく言う僕も、苦手ですけどね、亀山リーダーは。それで亀山リーダーと関わりたくないがために、わからないことをわからないままに、ちょっとしたミスを報告できずにそのままに……っていうのが積み重なっている状態で」


「現場としては最悪だな」

「ええ。本当は上司である小手指課長がちょくちょく顔を出して、亀山リーダーと部下の間を取り持ってくださると良いんですが、まあ、放任といいますか。どうして小手指課長が北F工場に関わりたがらないのか、その辺の事情は誰も知らないみたいです。

 派遣社員と正社員どころか、実際はリーダーとリーダー以外の関係が上手くいっていない状況で、誰も亀山リーダーのことは気に掛けなかったというのが正直なところですね。僕ら社員同士が結託し始めた頃から、亀山リーダーは孤立気味だったんだと思います。それで……亀山リーダーは総務に相談されていたんですよね? 霊体験に遭ったとおっしゃっていましたか?」


「相談内容を明かすことは出来かねるな」

「そうですか。そうですよね。僕は初めから亀山リーダーには厳しく指導されていましたし、異動直後に山本さんの件があってますます苦手になって、極力距離を置いていました。

 そりゃ全員が全員霊体験をしているのだから亀山リーダーも一度位は怖い目に遭っているんじゃないかと気にはなりましたよ。でも今更聞く勇気もないですし、それに心配したのに聞いて怒られたら怒られ損ですからね。

 年末が近くなると亀山リーダーが一人で事務所にいるのを何度も見掛けました。仕事が溜まっていたのだと思います。夜、帰るときも一人だけ残っていらして。前は他の社員をはべらしてたんですが――ごめんなさい、今のは意地悪な言い方ですね。以前は数名の社員が取り巻きのような状態でした。その頃には社員のほぼ全員が亀山さんを遠巻きにしていて、工場は学校じゃありませんから別にそれでも良いんでしょうが、幽霊が出るという状況下で彼だけを一人にすることには罪悪感がありました」


「しかし誰も亀山に近付こうとはしなかった」

「はい。まさか年が明けて休職してしまうなんて思いもよらず、リーダー不在の中現場は混乱、また装置トラブルも重なり、先日は北F工場の製品の出荷が遅れて顧客から大クレームに……」

「それは聞いているよ。生産部長もお怒りだそうじゃないか」

「取締役もカンカンで、北F社員全員こってり絞られましたよ」

「とりあえず現場を見てみないことには何とも言えないな」

「来なくていい」

「いや、さすがに面談と書類だけじゃ、結論は出せないぜ」

「来なくていい」

「お前な……」

 音声が途切れた。

 長い沈黙に、レコーダーが拾った空調音や、外で車両が鳴らすエンジン音が入る。

「邪魔すんじゃねぇぞ」

 低い男の声。

「は?」

「邪魔すんじゃねぇぇぇぇって言ってんだよ」

「……黒木?」

「てめ、総務だか何だから知らねぇけどよぉ部外者が勝手に引っ掻き回すんじゃねぇぇぇぞっつてんだよ。わかんねぇのかばぁぁぁぁか」

「黒木」

「ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁか、しね、しね、しね」

「黒木!」

「苦しんでしねぇぇぇぇぇてめぇなんかよぉぉぉぉあっ、あっ、あ、僕、あれっ、風見さん、かざっいいぎ……」



 呻き声と雑音が混じった耳障りな音声は延々と、レコーダーの停止ボタンを押すまで続いた。再生が終わった後も、まるで痰を吐くような厭な声が鼓膜に張り付いているようだ。

 彼はこの日の晩、帰社途中に道路に飛び出して乗用車に轢かれ、即死だったと聞く。

 麦野むぎの日和ひよりは、額に滲んだ脂汗をハンカチで拭き、努めて冷静を装った。

 北F工場ではすでに二人の死者が出ている。

 だが会社外での不慮の事故であったために当然ながら労災認定はおりず、また、雇用主であるアジロ製造株式会社の人事部は知らぬ存ぜぬの態度をつき通している。

 果たして本当に偶然なのか?

 それとも黒木の証言通り、工場に女の霊が存在し、彼らを殺したのか。

 はたまた別の原因があるのか。


 ――これは心霊マネジメントシステムの事務局として、最初の仕事である。

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