第23話 告白

「会議室に陣沼香苗の霊を呼んだ奴は誰か」


 花丸は「呼んだってどういう意味?」と首を傾げる。


「面接の際にわざと陣沼の使用していた香りを漂わせ、馬榎に仕掛けた人間が居る」

「わざと?」

「今朝、馬榎が面接官になることを知っていた人物は限られる。急な代理だったからな。容疑者は青ヶ幾の爺さんと、いけ好かない総務課長、あの眼鏡、それにあんただ」

「あたしも容疑者になるの? 冗談――」


 ぴくりとも笑わない風見に、花丸も笑顔を引っ込めた。


「誤解しているようなら言っておくけど、あたしと馬榎主任は何でもないから」

「らしいなァ。恋人が犯人だったら面白かったのに」

「面白いからって容疑を掛けないで頂戴」


 風見が椅子に深く腰掛けた。


「既に犯人の当たりは付いている」


 暗がりで空気が緊迫するのが肌でわかる。花丸は「勿体付けないで。何が言いたいのよ」と風見を睨んだ。


「この仕掛けは当然、馬榎が会議室に居なければ成立しないのだから、奴が面接官の代打になる切っ掛けを作った人物が犯人さ」

「え? それって――」と花丸がぽかんと開口し、麦野に視線を向けた。


「そう。こいつが遅刻したことで、面接の時間が変更になり、馬榎が代打の面接官となった」


 麦野は面喰らう。


「ちょ、ちょっと。私じゃないですよ。アジロに来るのは二回目ですけど、馬榎さんとは面接で初めてお会いしましたし、陣沼さんは面識もありません」

「じゃあどうして遅刻したんだ? 今朝、俺と同じ電車に乗っていただろ」

「あの後バスもタクシーも捕まらなくて、歩く羽目になったんです」

「時間に余裕はあった筈だ」

「そんな、総合棟までの道順を間違えて迷ってしまっただけですよ。……本気で私を疑っているんですか?」


 風見の冷徹な目に問いかけながら悲しくなる。


「あんたは元々、すぐにメモを取る癖がある。道順だって当然メモをしている筈だ。迷うなんておかしい」

「で、でも」

「万が一にでも、教えられた道順が間違っているのでなければ」


 ――え?


 風見が、麦野の手帳を開く。正門から総合棟までの道順を走り書きした頁だ。花丸が横から覗き込んで「これ……変ね」と眉間に皺を寄せた。

 それは走り書きでミミズの這うような字だったが、花丸は一字一字読み……顔を曇らせてゆく。


「道順がまるっきり違う。正門から総合棟は遠いけれど、ぐるりと迂回しているだけの一本道なの。こんなの、わざと教えたとしか考えられない」


 とん、とん、とん、と足音がし、一同は振り返った。米山が懐中電灯の明かりを揺らしながら歩いて来る。


「米山君……」

「参ったよ。電力が復旧するまで、もう沢之内さん達もやれることがない。明日の出荷は間に合わなそうだ。久々に古巣の応援に駆り出されそうだな」


 懐中電灯を棚上に置き、米山は立ち止まった。


「どうしたの、皆」

「こっちが訊きたいぜ、眼鏡。なぜ今朝、こいつに誤った道順を教えたんだ?」


 米山が笑いを引っ込めた。

 続いて現れた弥彦が「風見、何を言っているんだ」と笑い混じりに咎める。


「なァ? 学生をからかうにしちゃ意地悪だぜ。その上なぜ馬榎に陣沼の霊が現れたと錯覚させる真似をしたんだ?」

「どうして僕がそんなことをするんだ」


 語気を強める米山に、花丸が手帳を差し出した。


「麦野さんの正門からの電話を応対したのは、米山君だったわよね……」


 米山は唇を震わせる。


「花丸先輩まで僕を疑うんだ」

「そうじゃない。ただ……」と言葉が続かず、花丸は沈黙した。


「眼鏡。あんたは旧診療所で体調を崩したとき、おっさんの持参した筒を見て『今は気持ちが悪いから香りのする物は困る』と言ったな。初めから中身を知っていた上での発言だ」

「だ、誰だってわかるでしょう。あれは香を持ち運ぶための入れ物だもの」


 確かに香を入れる容器だ。しかしあの木彫りの独特な見た目では麦野は即座にそれと気付けなかった。


「陣沼さんの荷物を派遣会社に送ったのは米山君だったわよね。もし、そこにあれと同じ香があったなら……」

「ちょっと待ってよ。僕が……僕が……?」


 後ろによろめいた米山の背中が壁に当たり、花丸があっと手を伸ばした。


「く……あははははははは!」


 堪え切れない可笑しさを爆発させ、米山は腹の底から笑った。眼鏡をずらし、目に滲んだ涙を拭う。


「とんだ計算違いだよ。心霊マネジメントシステムの事務局は、こんな探偵紛いの調査までするのかあ」

「米山君……」

「花丸先輩、今日はご迷惑をお掛けしました」


 米山は息を吐き眼鏡を掛け直した。その奥には、麦野が初めて目にする米山の暗い瞳があった。


「風見さんには言っていなかったけど、僕は以前は馬榎主任の下で働いていたんだ。ここの西B工場の社員だったんだよ。でも昨年、急に年度の途中で総務へ異動を命じられてね。……理由も知らされずにお払い箱さ。悲しかったし、悔しかったよ。だから僕は今回の一件で馬榎主任の反応を見たかっただけなんだ。怖がらせたかった。大成功さ!」


 それだけ?


「それだけだよ」


 米山は誰にも訊かれない内に、念を押して呟く。


「面接で醜態を晒して、昇進の話もなくなってしまえと思った」


 憎々しげに付け加えられた言葉は、米山の本心だろうか。

 麦野は何も言えなかった。

 まさか米山から誰かを恨む言葉が出るなんて。今日会ったばかりの相手とはいえ、その豹変ぶりをどう受け止めて良いのかわからない。


「嘘ね」


 きっぱりと、花丸が言った。


「そんなの嘘。あたしは米山君が総務に来てから、毎日一緒に仕事をしてきたのよ。例え今言った気持ちは本当だとしても、恨みや僻みで行動するような人間じゃないわ。他に何か理由があるでしょう。隠さないで教えて」

「買い被りすぎだよ、花丸先輩」

「いいえ。米山君は派遣業務を担当しているわよね。陣沼さんと何かあったの?」


 米山の表情がさっと曇った。


「彼女が急に辞めたとき、仮屋課長達がとんとん拍子に手続きを進めてしまった。だから何か事情があるとは思っていたけれど」

「陣沼さんは、馬榎さんに想いを寄せていたそうなんです」と麦野が口を挟んだ。


「でも馬榎さんは花丸さんとお付き合いされているから陣沼さんを振って、それで陣沼さんは失恋を理由に辞めたのではないかと……工場の皆さんの認識では、そういう話になっています」

「何よ、それ……。じゃあそのくだらない噂で陣沼さんは亡くなったかもしれないってこと?」


 拳を震わせ、花丸は行き場のない感情を事務机にぶつけた。揺れた卓上から書類が落ちる。


「……あたしとのことはともかく、馬榎主任と陣沼さんの関係は本当なの? 米山君」 

「僕だって知らないよ。ただ一度だけ、終業後に二人が一緒に居るところを見たことがある。あの電子錠が掛かった倉庫の中で」

「いかにも怪しいじゃない。それで?」

「あの倉庫には僕もそのとき初めて入ったんだ。沢山の鏡が置いてあって……」


 鏡。

 麦野は咄嗟に風見を見た。


「二人は何をしていたの?」

「何を……?」


 虚ろに米山が繰り返す。


「何をしていたのか……わかれば、僕だってこんな計画は企てなかったよ!」

「どういう意味?」

「言ってもわからない」

「決め付けないでよ。あたしは……」


「わかるもんか!」


 米山の金切り声に、花丸は出しかけた手を仕舞う。


「……誰にも」


 声が震えている。

 誰にもわからないって、どうしてそんなに苦しそうに言うの?

 憶測は当たっていたのに全然嬉しくない。もしかしたら犯人が居るかもしれないと思ったとき、麦野は謎解きをする感覚だった。風見にされたような些末な悪戯を暴く、正義のつもりで。

 それなのに目の前の米山は今にも泣き出しそうだ。罪悪感と後悔が胸に押し寄せる。自分のしたことは間違いだった気がする。

 誰しも隠している秘密がある。他人と共有出来ない孤独が――自分にも。

 何も知らない部外者の癖に軽率に引っ掻き回すべきではなかった。思い上がったのだ。少しでも、自分に心霊マネジメントシステムの仕事が向いているかもしれないなんて……自信過剰も甚だしいことを。


「誰にもわからないって、そりゃねェだろ。米山」


 風見は一歩、米山に近づいた。


「そんな風に言われちゃこっちは手も足も出ない。これまで理解されないことで厭な目に遭ってきたのなら尚更、今俺らを拒絶しちゃあんたはますます袋小路だろ」

「あ、暴いておいてよく言うよ」

「……正直、迷ったけど」と風見は頭を掻く。


「嘘だ。貴方は迷うような性格じゃない」

「ああ、もう、面倒臭ェな! じゃあ暴きついでにもう一つ言わせて貰う。あんたは――」

「な、何を言う気ですか。風見さん!」


 麦野は風見を止めようとした。

 もう十分だ。これ以上、米山を追い詰めて知らなければならない真実なんてない。


「――霊感がある」


 予想外の言葉に、麦野は驚いて米山を振り返った。花丸も同じく唖然とし、踵が蹴った椅子がからからと床を滑る。

 当の米山は目を見開いて、硬直していた。


「ん。違ったか?」

「ど、どうして……」

「霊感のある奴が心霊スポットで具合が悪くなる。お約束だろ?」


 風見はおどけた調子で肩を竦めた。

 沈黙が流れる。

 転がった椅子が、机に当たって止まる。


「……当たり」


 長い長い溜息を吐いた後に、米山は力なく微笑んだ。


「その通りだよ。視えもしなきゃ祓えもしない、厭な気配があると具合が悪くなるアレルギー症状程度のものだけどね」


 米山は椅子に腰を下ろす。きい、と金属音が鳴る。


「家族もそういう体質で、遺伝なんだ。あの夜に倉庫で主任と陣沼さんを目撃したときにもそれが起こった。得体の知れない何者かが遠くからやって来る禍々しい気配があって、吐き気を催した。陣沼さんが死んでしまったなんて今でも信じられないし、彼女の身に何が起こったのかについては本当にわからない。でも唯一はっきりしているのは……彼女の死に馬榎主任は無関係ではないということだ。絶対に」


 最後の言葉は掠れていた。


「話してくれたら良かったじゃない」


 米山は首を振る。


「昔から、こういう体験を信じて貰えた試しがないんだよ。せめて具体的に視えたら良いんだけど、僕が体調を崩すだけではね。それでも仮屋課長には報告したよ。今思えば馬榎主任の昇進が決まっているのに不利になりそうな件を調べてくれる筈がなかったんだけど」


 米山は小さく長く息を吐いた。


「……本音を言えば、自分だけで抱えるのは責任が重くて、怖かった。僕が見聞きしたことを全部話すよ」


 即座に花丸が頷く。

 麦野と弥彦、そして風見も続いた。


 ――外はまだ嵐。

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