第14話 悪癖
満席状態の社員食堂で、窓際のテーブルを陣取っていた工員達がちょうど揃って席を空け、五人はそこに収まることが出来た。雨がガラスを絶え間なく濡らす。晴れていたら連なる山々が綺麗に見えるのだと教えてくれた米山は方々を捜し回ったらしく、まだ肩の辺りが濡れていた。
「じゃあ馬榎主任は西B工場には戻っていないのね」
「ああ。そっちは何か手掛かりは?」
「目撃情報はないし、電子錠の開閉記録も問題なし。ロビーの鏡も調べたけれど何ら変わったところはないわ」
「あのときロビーに居た女二人は誰だったんだ?」
「当社と取引のある派遣会社の担当者よ。問い合わせてみたら、当分は人材の紹介を見合わせたいって言われちゃったわ」
「そんな。勝手だなあ」
米山が眉を寄せる。
「本当。連絡しなきゃ良かった。うちは定着率が悪いから今回のことは建前でしょう。同業他社に変な噂を立てられないことを祈るばかりね」
花丸は焼き魚を箸で解す。
外は雨の勢いが強くなる一方だ。
「南渡に大雨注意報が発令されたみたいだ。警報にならないと良いけれど……電車の運行が止まったりしたら困るよ」と米山が言い、「麦野さんはどこから来ているんだっけ」と尋ねた。
麦野は最寄り駅を言い、「今朝は二時間掛かりました」と答える。
南渡駅は一つの鉄道しか通っておらず、その上途中から各駅停車になるので、同じ都内でも時間を要する。
「遠いね。もしアジロに就職が決まったら引っ越すの?」
「ええ……はい」
もし決まればの話だが試験の先行きは不安だ。
会話が途切れ、麦野は水筒から普洱茶をこくこくと飲む。
「はい、米山君あげる」
「また?」
花丸はつんと澄まし顔で、小鉢に入った煮物を米山に渡した。
「好き嫌いかァ。花丸ちゃん」
「どうしても苦手なのよ。根菜の煮物とか……他にもあるけど。そう言う弥彦君は嫌いな食べ物はないの?」
「俺はないね。ああ、お前は餅が苦手だよな。風見」
「放っとけ」と風見は仏頂面を浮かべる。
「喉に詰まるから苦手なの?」
「老人じゃねェんだから……」
人並に好き嫌いがあるとは、喰えない人だと思ったけれど可愛いところもあるのだな。
咀嚼しながらじっと風見を眺めていると、「何だよ」と凄まれてしまい、慌てて目を逸らした。
風見と弥彦が煙草を吸いに席を立ち、麦野は花丸、米山と共に残された。
「ねえ、麦野さん。話の流れでこんなことになっちゃったけど、あの人に無理して付き合うことはないんだよ。麦野さんに入社して欲しくないという訳じゃなくてね」
花丸も「そうね」と同調する。
「あ……ありがとうございます」
「馬榎主任のこと、あんな人に任せて良いのかなあ。人を怖がらせて楽しんだりして……僕はちょっと怖いよ」
「得体の知れないところはあるわよね。あたし達も彼とは殆ど話したことがないから。麦野さんは彼をどう思う?」
風見は別の部署なのか。道理で二人が風見に対して余所余所しいと思った。
「口は悪いですし態度も……強引なところが」
麦野は思ったままを答える。しかし現時点では地道に調査を進めているし、調査は二件中二件ともきっちり解決している。
「でも悪い人ではないと思います」
「そう? それなら良かった」
麦野の答えを聞いて、花丸はやや安堵した顔を見せた。
遠くを見る花丸の瞳に、彼女が押し殺した感情が透けて見える気がした。恋人があんな風になって心配していない筈がない。仕事を第一に優先し、微塵も動揺を感じさせない花丸の心中を思うと胸が痛む。
「……馬榎主任、逃げてどうするんだろうな」
米山がぼんやりと独り言つ。花丸はそれには答えず、残った魚を平らげ始めた。
風見と弥彦が戻らないまま昼休憩の終わりを告げる鐘がなった。
「総務の事務所で待っていたら?」と花丸に提案され、麦野は有難く甘えることにした。部外者の学生なのにそこまで立ち入っていいものか迷ったが行先もない。
総務の事務所は総合棟の二階にあった。昼休憩が終わり、書類やノートパソコンを抱えた者、連れ立って会議へ向かう者、通話中の者など出入り口は大勢の往来がある。
「こっちは辞めたくて辞める訳じゃねェんだぞ!」
入るなり太い怒鳴り声が耳を
制服姿の――あれは沢之内だ。怒鳴り散らす男性社員を宥め、すっかり狼狽している。
「花丸、丁度良いところに」
仮屋が小声で手をこまねき、「あれ」と忌々しそうに指を差した。
「西B工場の社員が揉めていてねェ。ちょっと仲介してくれないか。もう辞めてもらって構わないから」
「沢之内君は引き留めようとしているように見えますけれど?」
「無理に引き留めて余計に揉め事になったらどうする。本人が辞めるって言っている内に追い出した方が良い」
花丸は一瞬何か言いたそうにしたが、すぐに表情を取り繕った。
「わかりました」
声を荒げていた社員は花丸の登場で少しだけ態度を和らげた。その隙に、仮屋がそそくさと事務所を出て行くのを麦野はしっかり目撃していた。面倒事からの逃げ足の速い課長である。
「秋場さん、辞めたいって本当なの?」
「聞いてくださいよ、花丸さん。自分は辞めるって言ってンのに沢之内の野郎が引き留めるんですよ」
「ですから俺は……」
沢之内が反論しようとするのを花丸が遮る。
「沢之内君も落ち着いて。あちらでお話しましょう、ね。秋場さん? ……ちょっと、どこに行くの?」
「社員寮ですよ。辞めたら自分は出て行かないといけないでしょう。さっさと片付けを始めます。明日は有給貰って、不動産屋行きますから。良いよな、沢之内?」
「こ、困りますよ」
「五月蝿ェ!」
「もう、秋場さんってば!」
秋場を追う花丸と入れ替わりに、風見と弥彦が連れ立って事務所に入って来る。ほんのりと煙草臭い。
「秋場って……あんたが話していた書き置きの内容を知っているっていう男じゃねェの?」
「ええ。それが急に辞めたいと言い出しまして……。通常、こういうことは馬榎主任が担っているのですが」
「辞める? せっかく怪談が解決したのに?」
弥彦が目を丸くした。
「ええ……。それが逆効果だったと言いますか……」
「逆効果?」
沢之内は言葉に迷った末、「人影が見えると言うのです。それが陣沼の霊の仕業だと言って……」と言った。
「まァた陣沼絡みの怪談か。さっきはそんな話はしなかったじゃねェか」
風見が不服を申し立てる。
「俺も知らなかったのですよ。主任だけに内々に相談していたらしく。風見さんが幽霊なんか居ないと解決しちゃったものだから、自分の問題は蔑ろにされたと思ったようで……。説得しても『もう辞める』の一点張りで困りましたよ。仕事が回りません」
憂鬱そうな沢之内と対照的に、「へえ、そりゃ大変だな」と風見は調子良く声を上げた。
「おいおい、また怪談話に興味が湧いたんじゃないだろうな?」
「いい加減、馬榎さんを捜しましょうよ」
麦野と弥彦が口を揃えて止めるのを、風見はにやりと笑って返した。
「冷てェこと言うなよ、記録係。退職したい程深刻に悩んでいる社員を見捨てるつもりか?」
「そんなつもりは」
「それに秋場って男も、馬榎と同じく陣沼香苗の霊に怯えているのなら何か心当たりがあるかもしれない。だろ?」
「はあ……」
確かに言われたら、そうかもしれない。
「沢之内。俺様がさっさと解決して、ついでに退職も引き留めてやるから安心しろ。そうと決まれば、直ぐに社員寮に案内してくれ」
ぱちんと指を鳴らして勇む風見を、麦野は呆気に取られて眺める。やはりオカルト愛好家としての好奇心が勝っただけなのでは……。
「悪い癖だぞ」と弥彦が呟いた。
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