第2話 採用面接

「し、失礼いたします」


 こんな分厚い扉で声が通るだろうかと心配したが、中から「どうぞ」と声が返ってきた。

 少し裏返った声も、部屋に入るなり躓いてしまったのも、ひとまず気にしないことにした。


「本日は面接に遅れてしまいご迷惑をお掛けし、ま、誠に申し訳御座いません。改めてお時間を調整してくださりありがとうございます。の、野澤大学社会科学部の麦野日和と申します。よろしくお願いいたします」


 長机に並ぶ五人の面接官が各々の反応を示す。


 向かって左端、下手の席には白い作業服を着た大柄の男性社員が座っていた。胸ポケットに〈馬榎まえの〉と刺繍されている。メーカー系ではスーツではなく制服や作業服の面接官も珍しくはない。

 彼は細い目をかっ開き、麦野を睨むように見つめていた。中央に寄った黒目はわなわなと震えており、麦野は早々に気圧されてしまった。


 ――な、何だろう……。


 花丸の言っていたように彼は面接官として不慣れなのかもしれない。真正面から異様な視線を浴びせられながら、麦野の面接が始まった。


「どうぞご着席ください」


 一礼し、鞄を床に置く。


「では麦野さん。当社を志望された理由からお聞かせください」


 馬榎の隣に座るスーツの男性が尋ねた。よく日焼けした肌に、ぎょろりとした特徴的な目には見覚えがある。たしか会社説明会で司会を務めていた総務兼人事課長。

 名は――仮屋かりやだったか。

 表情はにこやかだが履歴書と麦野自身を比較するように何度も顎を引いたり上げたりしている。いかにも見定めようとする仕草に、麦野は自分が就活生という一種の商品であることを自覚させられる。馬榎とはまた違った種類の圧である。


 頬に力を入れ、笑顔を作る。まずは定型の質問だ。台詞は一言一句、用意してある。


「は、はい。わたくしが御社を志望いたしますのは――」


 中央に座るのは白髪、白髭の老紳士――御年八十は超えているだろう。スーツの胸元にぺたりと貼った名札は急拵えなのか手書きである。青ヶ幾、の上にあおがきと振り仮名が記されている。


「――御社の『水の一滴も漏らさないほど頑丈なものづくり』という経営理念にひ、惹かれまして、春に会社説明会に参加したことがきっかけでした」


 麦野と目が合うと馬榎はさっと目を逸らし、あらぬ方向を観察し始めた。羽虫を追うように落ち着かない目線に集中力を削がれたが睨まれているよりはずっといい。


「製造、開発現場だけでなく、その裏に素敵な人々が働いていらっしゃると教えていただきました。それで――」


 こほん、と咳払いが入った。仮屋である。

 唇を真一文字に結び、一言申したげな顔付きをしている。そのぎょろ目で射抜かれると、リクルートスーツがぎゅっと縮んで締め付けられるような錯覚に襲われた。


「――ええと、私は、つ、常に周囲を観察し、細かく記録を取り、計画的にことを運ぶように心がけています。こちらに来たからには、に、入社した暁には、私は、私は……」


 緊張で喉がからからに乾いていく。やっとここまで辿り着いたのに、もう逃げ出したい気持ちに駆られた。


「つまり具体的にどんな仕事がしたいの? 全然伝わってこないなァ」


 答え終わるのを待たずに仮屋が口を挟んだ。


「は、はい。具体的に申し上げますと、その」


 この質問も想定していた。

 それなのに言葉が言葉にならずに尻すぼみになってしまう。脂汗がこめかみから流れる。覚えた筈の台詞が消えていく。

 おやおやと仮屋が呆れて苦笑した。

 ぼやけていく思考で花丸の言葉を思い出す。自分の言葉で――と。

 しかし。

 就職活動において自己分析は麦野の最も苦手とすることだった。掘り下げようとすればする程に己の輪郭が曖昧になり、一体自分はどこの誰なのだろうと不確かな気持ちになる。

 何を目標に、何をやりたくて就職活動をし、何のために生きているのか。他の皆はわかっているのか。自分だけがわからないのか。

 余計な思考を振り払うべく花丸の顔を思い出そうとして、上手く形成できずに幻覚の女に成った。あの訴えるような目。鏡に映った自分じゃない女。

 膝に置いた手が震える。


「あのう、ちょいと私から、一言失礼させてください」


 青ヶ幾がおもむろに口を開いた。のんびりとした口調で、麦野に語りかける。


「文系出身の新卒の皆さんは人事や営業の仕事はよく調べて来られます。想像がつきやすいためですかねえ。ほっほっほっ。仮屋課長は麦野さんに、それだけが仕事じゃないということを伝えたいのでしょう。ね、仮屋課長?」

「え? あ、はあ……」


 仮屋課長は肩を透かされた顔になる。


「例えば彼、米山よねやまさんは――」


 青ヶ幾が目を遣った先で、若い面接官が一生懸命メモを取っていた。黒縁眼鏡の奥で瞳孔が開いており話題を振られたことにも気が付いていない。


「――総務部の所属です。我が社の総務部は採用もしますし、経理も、福利厚生も、物品管理も、纏めて担当いたします。今、我々が座っている椅子を購入したのも総務部なんですねえ。よく縁の下の力持ちと言われます。米山さんのお隣は――」と言いかけ、青ヶ幾は笑顔で唇を結んだ。


 隣にいる面接官は――あの、風見だ。

 風見は卓上に肘を付いてつまらなそうにしている。青ヶ幾の目線に気が付いてアイコンタクトを返し、そして麦野にも目を向け――ることはなく、再び茫っと退屈そうに虚空を見つめた。


「――と、様々な仕事が世の中を支えていますが学生の皆さんはわからなくて当然です。適性は我々が考えますから、麦野さんはどんと構えて、今の貴方自身のことを教えてください」


 青ヶ幾は好々爺然とした微笑みを浮かべて締め括った。彼の助け舟のおかげで麦野の緊張は和らぎ、手の震えも止まった。


「はい。私は、その、自分がやりたいことにはしがみつき続ける粘り強さに自信があります。目標を達成するためには、やり遂げるまでこつこつと努力し、決して諦めません。時々、鈍くさ……マイペースと言われることもありますけれど」

「ほうほう。素敵ですね。仮屋課長、何かお尋ねしたいことはありますか?」と投げ掛ける。

 仮屋は「いいえ、十分です」と言い、また質問が重ねられるかという麦野の不安は杞憂に終わった。

 安堵と同時に、がたりと椅子が倒れる音が響いた。

 馬榎が起立していた。

 その浮腫んだ顔は血色が悪く、ひどく青ざめている。

 全員が驚いて彼に集中する。

 採用面接中に、面接官が何事かと。


「まさか」


 馬榎は両手で顔を覆い、指の隙間から目を大きく見開いて、誰にともなく呟いた。


「ほ、本当に……」


 本当に? 何が?

 仮屋が、「馬榎主任」と声を落として注意をした。馬榎は仮屋に袖を引っ張られ、すとんと椅子に腰を下ろしたものの、肘置きをしっかりと掴んで震えている。まるで椅子から振り落とされる危険を恐れているみたいに。

 何となく会議室にぎこちない空気が流れ、誰も次の質問を繰り出そうとしなかった。


 どん。


 その沈黙を破り、突如、鈍い衝突音が響いた。窓が揺れた。


「何の音だ」


 仮屋が口にしたが、立ち上がろうとはしなかった。不穏な空気が色濃くなる。

 黒縁眼鏡の若手社員――米山がおろおろと窓に駆け寄った。


「……窓ガラスに鳩がぶつかったようですよ。真下で死んでいます」

「人騒がせだねェ。清掃員に回収するよう連絡しておくように」と仮屋が震える声で米山に指示をした。

 一方で馬榎は大きな体を椅子に詰め込み、がくがくと震えている。恐ろしがる理由をこの場の誰もわからないが、僅かな動揺が伝染し始めていた。


「どうした、あんた――」


 黙っていた風見が口を開いた。


「――何に怯えているんだ?」


「お、お、怯えてなんかいません。べ、別に、別に別に」


 馬榎はか細く答えたが、説得力がない。


「ほ、ほ、本当にいつ戻って来たのかそれはあっち側から。ただ……」

「おい。具合でも悪いのか?」と仮屋も狼狽える。

「う、あう」


 馬榎は言葉にならない音を漏らし、目線をぎょろぎょろと泳がせ、再び目が合った。麦野はぎこちなく微笑みを返す。


「あ、もおっえいい……」


 掠れ声はみるみる萎み――そして、絶叫した。


「いいいいいいいいいいっ!」


 倒した椅子の上に尻もちをつき手足をばたつかせるのを、仮屋が迷惑そうに椅子を遠ざけながら「落ち着きなさい」と言葉だけを投げる。

 仮屋の声が届いた様子はなく、馬榎は悲鳴を上げながら這いずり回った。肥えた体がカーペットの上をのたうち回る。

 米山が駆け寄ったが、抵抗する巨体の前に歯が立たず、馬榎はよたよたと会議室から逃げて行った。


「いいいいいいいいいいいっいい…………」


 彼の叫び声の余韻だけが、部屋に残る。

 一同は呆然とし、互いに顔を見合わせた。


「どうしたんだ、あいつ」

「さあ」


 ふと誰かが洟を啜ったのを合図に一同は鼻先を天井に向け、そして再び互いに視線を交わす。


「何だ、これは……?」


 麦野もすうっと深く息を吸った。

 気付かぬう内に、会議室に奇妙な香りが漂っていた。まるで馬榎が残した恐怖の残滓のように。

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