第9話 マイペース
俺がいま風呂に入るところだというのを分かっているから、美代は一瞬顔を覗かせただけですぐリビングの方に引っ込んでいった。多分二時前まで起きているということは今は眠れないバイオリズムのときなんだろう。まあ、風呂入ってくる。そうリビングの方に向かって独り言より少し大きな声で言った。
そういえばこの熱いお湯にも慣れたなあ。二人で住み始めたときは絶対にこんな熱湯耐えれないって思ったのに。それとも俺が年を取っただけか。居酒屋の空気でベタついた髪の毛を乱雑に洗う。飛び散った水滴はもうすっかり冷たくなっていて俺の体を攻撃してくる。シャンプーを流していると美代の顔が思い浮かんできた。たしかに昨晩も寝ていなかった気がする。昨日はホールが一人無断欠勤しててんやわんやで疲れ果て風呂に入ったらすぐベッドに直行したからほぼ何も覚えていないけど。もう寝るわ、なんて言っていたけど多分あの後も寝れなかったんだろう。
バスタオルで体を拭いたあと脱衣所に出る。パンツを履いてパジャマを着て廊下に出る。リビングの電気は相変わらず点いていないが人の気配を感じる。それも起きている人間の気配を。
「なあ、電気点けていいか。ビール飲んだりしたいんだが」
「ああ、そうなの。豆電球ならいいわ」
「分かった」
電話台の上に置いてある電気のリモコンを手に取って豆球のボタンを押す。数秒遅れてカバーの中の一点がじんわりと光る。これを見てロマンチックだななんて話したのはいつが最後だろうか。冷蔵庫を開けると中から白い眩しい光が漏れてきた。缶ビールとプロセスチーズを取り出してすぐにドアを閉める。別に今も豆球は嫌いじゃない。このぼんやりとした感じ。闇を闇のままにしてくれる感じはどうにも落ち着く。おそらく美代も同じ気持ちだと思う。人の思う人の気持ちほどあやふやなものは無いが。まあ少なからず美代がこの豆球モードを気に入ってるのは間違いない。ここまで考えて何を当たり前のことをと気づいた。気に入ってるから豆球にしてほしいとわざわざ頼んでるんだろうから。
カーペットに座っていた美代がこちらをじっと見てきた。一瞬考えていることが見透かされたのかと思ったが、そんなわけはない。ごめん、今までずっと何考えてるか見えてたのって告白されたら信じてしまうと思うが。見つめられてた原因はずっと開けられていない缶ビールだと気づいた俺は何にも頓着していないフリで荒っぽくプルタブを引っ張った。指が痛いなと思っていたら美代が立ち上がった。
「一口ちょうだい」
美代は私の返事を待たずに口をつけた。ほの暗い中でその唇は艶やかに見えた。
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