(2)田川英彦

第8話 時速80キロ

 居酒屋の居心地がいいのは分かる。そもそも字からして「居」酒屋だからな。そこに居ることを楽しむ店なんだよ。それは分かってるんだが、やっぱりダラダラと居座り続けられるとイライラする。そもそもあいつら絶対二十歳いってないだろ。分かんねえけどよ、どう見ても大学生だからどーせ、そう。大学生だしいいだろって感じだろ。でも、六人で来てて頑なにソフトドリンクのやつがいたな。注文取るのはバイトに任せてるからどんな面子だったのかは分かんねえけど。

 こんな時間まで酒飲んでよお、ラストオーダー後もずっとしゃべり倒しやがって。別にもう客も来ねえからいいんだけどな。それに俺はただのチェーン店の店長なだけで好きにできる権限もねえし。まあ、さっさと家に帰って俺も酒を飲むことにしよう。缶ビールあったっけな。信号を守るのもばかばかしいや。こんな夜中に――って、おいおい、誰かいるじゃねえか。びっくりした。黄緑色の服でよかったよ。暗くても目立つ。別にこの信号を渡ろうってんじゃないみたいだけど、誰もいないと思って80出してた焦った焦った。

 こんなんで事故してちゃ馬鹿らしいから気をつけよう。見ず知らずの青年のおかげで居ずまいを正せたし怒りも収まった。そのまま法定速度で家に着いた。夢のマイホームだががっつりローンが六十歳まで残っているし、ケチったせいでガレージに屋根は無い。だから大雨にさらされたときなんかは洗車だって言い張る羽目になっている。

 インターホンを押さずに鍵を開ける。俺が堂々とインターホンを押せる時間に帰って来れる日は来るのだろうか。まあ、インターホンを押さないのは近所迷惑になるからであって、美代を起こさないためではない。あいつは一度寝付くと泥のように眠って全く起きないから。その代わり寝れないときはほんとに寝れないらしい。そんなときに呑気にピンポーンなんて鳴らそうもんなら大ごとだから押さないのがくせになったというべきだろうか。

 だからか。脱衣所でTシャツを脱ぎながら気づいた。美代がドアを開けて俺を出迎えてくれたことがないのは。ドラマや映画でそういうシーンを見るたびに、なぜうちにはこの習慣が無いのだろうかなんて考えていたものだが。一緒にソファーに座ってドラマを見ていても、美代、たまにはこうやって迎えてくれないかとわざわざ言うほどのことでもないし、そんなことを言うのは気恥ずかしかったというのが本音だ。

 ここ十年の謎が解けた気がしてすっきりしたが、同時に知らない方がいいことに気づいてしまった。体重計がピピっという音ともに69という数字を表示した。その音に気づいたのかリビングの扉が開いて美代が顔を出した。あれ、寝ていなかったのか。電気が消えていたから自室で寝ていたものとすっかり思っていた。

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